日々の雑学 ●●●
日々、ふと思ったことを書いていきます。   ・・・千葉ロッテ・マリーンズ、菅野よう子、再生可能エネルギー、自然環境、里山、棚田、谷津田、日本近世史、歴史小説、時代小説、クラシック音楽、・・・などなど。
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藤沢周平「霧の果て~神谷玄次郎捕物控」
2014年04月13日(日) 21:39
4月からのNHKのBS時代劇は、藤沢周平の「霧の果て~神谷玄次郎捕物控」を原作とした「神谷玄次郎捕物控」が始まっている。


霧の果て―神谷玄次郎捕物控 (文春文庫)霧の果て―神谷玄次郎捕物控 (文春文庫)
(2010/09/03)
藤沢 周平

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ドラマ化できそうな藤沢周平作品はやりつくしてしまったかのように思っていたのだが、これが残ってたか、という感じ。

Wikiで調べてみると、過去の東京12チャンネルとフジテレビでドラマ化されたことがあるらしく、今回が3度目とのこと。

神谷玄次郎の人物造形はちょっと投げやりであり、正義感は強いけれども、奉行所というお役所仕事には、斜めに構えたところのある人物である。
北町奉行所きっての自他共に認める怠け者というキャッチになっている。

藤沢周平は海外のミステリーを読み尽くしており、海外の刑事モノのミステリーを彷彿とさせる捕り物帖がいくつかある。

彫師伊之助のシリーズもそうだけれども、この神谷玄次郎もハードボイルド・ミステリー捕り物帖である。

第1週目を見逃してしまったのだが、今日の放送はしっかり見せさてもらった。
手下の銀蔵に中村梅雀を配した安定感の上で、神谷玄次郎には「ボウケンンジャー」でレッドをやり、「梅ちゃん先生」で恋人役の医学生松岡くんをやっていた高橋光臣が主人公。
脇役や一回だけ登場では時代劇の経験はあるけれども、主人公としての時代劇ははじめてのようなのだが、原作の神谷玄次郎のざっぱくな雰囲気を非常に上手く出している。

出ている俳優さんには失礼な表現かもしれないが、ネームとして話題になるような俳優さんを起用しているわけではない、と言えると思うけれども、役者のネームバリューに寄り掛からない、正統派の時代劇づくりが成功しているように思う。

お津世役も大事な役なのだが、中越典子を配している。
これも名前でキャスティングすれば、もっと話題の女優さんを置くことはできただろうが、あえて中越典子であることが、いい感じになっているように思う。

中村梅雀はさておき、この人が出ているなら、内容はともかく見てみたい、というような俳優さんを起用していない、という意味である。
高橋光臣の髷げ姿に既視感がなくフレッシュなのが吉と出ているのかもしれない。

そして橋爪功のナレーションがこれまたいい感じに全体を締めている。

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ルーキー石川完投勝利で3連勝
2014年04月06日(日) 22:40
一昨日はアジャ井上、昨日は吉原、今日は石川と3日連続ルーキーがお立ち台に立っての3連勝。

5連敗していたのが嘘のよう。

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開幕以来ノーヒットで苦しんでいた清田が昨日途中出場の打席から、3打席連続ホームラン。
今日はホームラン4本での勝ちで、本来のマリーンズのスタイルではないけれど。

それにしても、石川は良かった。
三振も取れていたし、ゴロアウトも多く、大谷翔平に2本と小谷野に1本打たれただけの3安打ピッチングは圧巻。
立ち上がりちょっとバタついたけれども、回を追うごとに安定。
雨での34分間の中断の後、さらに勢いがついた印象だった。

開幕カードの負けたホークス戦でも、成瀬や唐川よりは健闘していたので、この先もこの調子で行ってくれれば大丈夫なのではなかろうか。

ルーキーキャッチャー吉田のリードも冴えていた。

マリーンズ打線も6安打しか打てておらず、そのうち4本がホームランなのだが、ファイターズ投手から7つ四死球をもらい、エラーももらっての得点。

何とか早いタイミングで5割まで戻したいものだ。
次は今恐ろしく強いバファローズとの対戦。

安心して見ていられる石川のピッチング
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清田の覚醒はうれしい
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藤沢周平「玄鳥」を読み返す
2013年10月16日(水) 22:00

玄鳥 (文春文庫)玄鳥 (文春文庫)
(1994/03)
藤沢 周平

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藤沢周平の短編集を引き続き読み返している。

前に書いた「花のあと」は武家ものだけでなく、市井ものも含めて色々な風合いの短編を集めたものだが、「玄鳥」は五編の武家ものを集めた短編集である。

玄鳥(げんちょう)とはツバメのことで、表題作はツバメが点景として大きなモチーフになっている。

武家ものばかり五編とは言っても、
「玄鳥」
「三月の鮠」
「闇討ち」
「鷦鷯(みそさざい)」
「浦島」
の五編は、風合いはそれぞれ全く違う。

男女の機微をメインに据えたものから、ユーモアを交えたもの、友情を描いたもの、微禄の藩士の悲哀を描いたもの、といろいろである。

この短編集が藤沢周平ファンに必読と思われるのは、もちろん五編の本編もすばらしいのだが、作家で評論家の中野孝次氏による開設が必読である。

「なぜ藤沢周平はすばらしいのか」ということを過不足なく簡潔に見事にまとめて書かれている。
この解説を読むだけでも、藤沢周平ファンはこの「玄鳥」を読まねばなるまい。

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藤沢周平「花のあと」を読み返す
2013年09月15日(日) 23:16
藤沢周平の短編集「花のあと」を読み返している。


花のあと (文春文庫)花のあと (文春文庫)
(2012/09/20)
藤沢 周平

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これも珠玉の短編集と言ってよいだろう。

「鬼ごっこ」
「雪間草」
「寒い灯」
「疑惑」
「旅の誘い」
「冬の日」
「悪癖」
「花のあと」

8編は、風合いも全く違う作品なのだが、その振れ幅の大きさが藤沢周平の懐の深さを感じさせる。

表題作の「花のあと」は、見た目が醜いことを気にしている設定の主人公を北川景子が演じて映画化されたわけだが、映画は映画で良かったけれども、やはり原作の風合いもやはり捨て難い魅力がある。

長編も良いのだが、短編は選び抜かれた言葉と、読後に残る風合いがなんとも言えない。

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藤沢周平「日暮れ竹河岸」
2013年01月30日(水) 22:38

日暮れ竹河岸 (文春文庫)日暮れ竹河岸 (文春文庫)
(2000/09)
藤沢 周平

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ちょっと前に藤沢周平の「彫師伊之助捕物覚え」シリーズについて書く、といいつつ3作を読了したのだが、続けて藤沢周平生前最後の作品集となった「日暮れ竹河岸」を読んでいた。

この作品集は「江戸おんな絵姿十二景」という、数ページの「掌編」小説集と、「広重『名所江戸百景』より」と題した、短編集の2つの作品集からなっている。
表題作の「日暮れ竹河岸」はその中の一編の名である。

日暮れ竹河岸/飛鳥山/雪の比丘尼橋/大はし夕立ち少女/猿若町月あかり/桐畑に雨のふる日/品川洲崎の男の七編である。

竹かし(第76景)
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飛鳥山(第17景)
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びくにはし雪中(第114景)
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大はしあたけの夕立(第53景)
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猿わか町よるの景(第91景)
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赤坂桐畑雨中夕けい(第49景)
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品川すさき(第84景)
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この七編は、118枚の安藤広重の絵の中から選ばれたものだ。

前半の「江戸おんな絵姿十二景」は、文藝春秋本誌に1年間に渡って、12回連載されたもので、1月~12月までの季節を扱い、江戸の女性を主人公にして、ほんの数ページ、短編とも言えない「掌編」に描き出したものだ。

よくこれだけの字数で、これだけの人情のあやを描き出せるものだ、と舌を巻く。

後半の広重の江戸百景よりも素晴らしいのだが、「すごいな」と驚き、唸らされるのは、前半の「江戸おんな絵姿十二景」だろう。

解説を書いた杉本章子さんは、「広重に始まって広重に終わった」のか、と慨嘆されているが、藤沢周平の処女作「暝い海」は主人公は葛飾北斎なのだが、主人公北斎が嫉妬と猜疑と自尊の混じった視線で、じっと見つめているのは、ずっと安藤広重の東海道五十三次の絵と、広重その人のことである。
北斎の目を通して広重を書いている。

そして、生前最後の作品集となったのが、やはり広重の「名所江戸百景」だった、ということだ。

藤沢周平は、歌麿のことも書いているし、浮世絵は重要なテーマと言えばそうなのだが、終始浮世絵に関わることを書いていたわけでもなく、膨大な時代小説、歴史小説の中で、直接的に安藤広重が出てくるのは、処女作と、この最後の作品集だけだ。

杉本章子氏は、その巡り会わせの奇縁を思ったのだろう。

しかし、藤沢周平は、浮世絵と関わりのあるなしに関わらず、どんな小説であっても、風景描写が絵画的である。

読者は映像美の描写から、作品世界にすうっといざなわれていくことが多い。

風景画と藤沢文学はそういう意味では常に一緒にあると言っても良いかもしれない。

最後の作品集であるということを意識せずとも、そういう意味では、藤沢文学の最も「らしい」面が出ている作品集と言っても良いだろう。
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藤沢周平「消えた女-彫師伊之助捕物覚え」
2013年01月08日(火) 23:52
藤沢周平の長編連作ものの中でも1つの柱を成すと言っても良い、彫師伊之助シリーズ。
これも10回目くらいの読み直しになるが、また手にとってみている。


消えた女―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)消えた女―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)
(1983/08)
藤沢 周平

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シリーズ第1作「消えた女」は年末に読み終え、第2作の「漆黒の霧の中」に入っている。


漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)
(1986/09)
藤沢 周平

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ミステリーの要素の強いシリーズなので、ネタバレは厳禁だと思われるが、第1作の「消えた女」の高麗屋の主人も凄絶で、作品の骨太さという意味では「消えた女」が勝るようにも思うが、「漆黒の霧の中で」を読み出すと、著者が自在に筆を振るっているという点では「漆黒の霧の中で」の方が滑らかに進む感じはある。

第3作の「ささやく河」まで、一気に読むことになると思うが、このシリーズも捨てがたい。

藤沢周平が海外のミステリー小説の骨法に精通している強みを存分に発揮している作品たちである。
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藤沢周平「春秋山伏記」
2012年12月18日(火) 23:36
藤沢周平作品の読み返しも何巡目にも入っているのだが、この「春秋山伏記」も印象深い作品だ。


春秋山伏記 (新潮文庫)春秋山伏記 (新潮文庫)
(1984/02)
藤沢 周平

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時代小説というのは、単純に類型化すれば、武家モノと江戸市井モノに大きく分けられ、たいていはどちらかに属する。
藤沢作品でもそうだ。

しかし、この「春秋山伏記」は庄内地方の山村を舞台にしたもので非常に異色と言えるだろう。

ストーリーはだいたい覚えてしまっている感じなので、読み返しても顛末は先にわかっているのだが、それでも読み返す味わいがある。

藤沢周平があとがきで言及しているように、読者のわずらわしさは覚悟の上で、かたくなまでに庄内方言に固執して書いている、という点が、やはりこの作品の良さになっているように思う。

藤沢周平は庄内地方の生まれ育ちだが、業界新聞に勤めていたサラリーマン時代に東京の街を原稿取りや営業で歩き回り、江戸東京の土地勘も十分に身につけているから、江戸市井モノを書いても、リアリティを失うことはないのだが、やはり庄内の農村という藤沢周平の血肉の根幹を成す情景を書かせれば、冴え渡るのは当然とも言える。

チャンバラや決闘があるわけでもない、この「春秋山吹記」だが、数ある藤沢作品の中でも、異色の愛すべき作品になっていることは間違いない。
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藤沢周平「隠し剣秋風抄」読了
2012年11月12日(月) 23:00
先日「隠し剣孤影抄」を読み終わったのに続けて、続編の「隠し剣秋風抄」を読了。


隠し剣秋風抄 (文春文庫)隠し剣秋風抄 (文春文庫)
(2004/06)
藤沢 周平

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こちらは10回とまでは行かなくても、7~8回は読んでいるのではなかろうか。

この中に収録されている、「盲目剣谺返し」が、キムタクの主演で「武士の一分」というタイトルで映画化されたので、その時にも読み返している。

不思議なもので、「盲目剣谺返し」を読み返しても、主人公の三村新之丞に木村拓哉のイメージが重なることはない。
個人的な印象だが、三村新之丞は1年以上病んで盲目になっているし、非常に寡黙な設定なので、華のある俳優さんはどうしてもイメージになじめない感じがある。

妻の加世を誰が演じていたか、敵役となる上司を誰が演じていたか、思い出せずに読みえ終えた。

調べると加世は壇れいが、上司の島村藤弥は映画ではなぜか名前を変えて、島田藤弥という名になって坂東三津五郎が演じていた。
映画を見た直後には、壇れいには好印象を持った覚えがあるのだが、今回読み返してみると、全然合わない感じがした。

上司の島田が坂東三津五郎というのは、作中の描写と全く合致せず、いたずらに大物を持って来ただけ、という印象があったけれど、それは読み返しても動かない。
稀代の女好きで終始薄笑いを浮かべている名門の御曹司という役どころなのだが、なぜ坂東三津五郎だったのか不思議でならない。

山田洋次監督の3作品は、映画を観たときには、そこそこ上手く撮れてたのではなかという気がしていたのだが、今振り返ってみると、どれもあまり出来が良いとは言い難かったと思われてくる。

原作のファンが映像化でイメージが違うと騒ぐのは、ありふれた話なのだが、私は映画公開時には、概ね好感を持って観たように思うのだが、時間を経て読み返すと、キャスティングのミスマッチが大きく感じられる。

映像化の呪縛から解き放たれて、自分なりの登場人物像を自由に描くことができるようになった、ということでは、喜ぶべきことなのかもしれない。

本作には、

「酒乱剣石割り」
「汚名剣双燕」
「女難剣雷切り」
「陽狂剣かげろう」
「偏屈剣蟇ノ舌」
「好色剣流水」
「暗黒剣千鳥」
「孤立剣残月」
「盲目剣谺返し」

の9編が収められているが「盲目剣谺返し」が映画化作に選ばれたのは、男女の情愛の機微が比較的万人受けしやすい一作である、ということだろうと思われる。
9作それぞれに、趣の違った良さがあり、「隠し剣孤影抄」の8作とともに、「秘剣」と男女の情愛の機微の織り成す、様々な趣向の短編を連作で味わうところに、この連作短編集の面白さがあるのであって、一作を取り上げて云々すること自体が意味薄弱なようにも思う。

まだまだ読み返したい藤沢周平である。
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藤沢周平「隠し剣孤影抄」読了
2012年11月04日(日) 23:30
藤沢周平の「隠し剣孤影抄」を読み終えたのだが、おそらく10回以上読んでいるのではないか、と思う。
それほど繰り返し読んでいる。


隠し剣孤影抄 (文春文庫)隠し剣孤影抄 (文春文庫)
(2004/06)
藤沢 周平

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一つには、この短編集からは、いくつも映画になった作品があって、その公開ごとに読み返しているというのもあるだろう。

「隠し剣孤影抄」には

「邪剣竜尾返し」
「臆病剣松風」
「暗殺剣虎の眼」
「必死剣鳥刺し」
「隠し剣鬼の爪」
「女人剣さざ波」
「悲運剣葦刈り」
「宿命剣鬼走り」

の8編が収められている。

2004年に「隠し剣鬼の爪」が山田洋次監督で映画化され、2010年に「必死剣鳥刺し」が平山秀幸監督で映画化されている。

「隠し剣孤影抄」の続編である「隠し剣秋風抄」からも「盲目剣谺返し」を「武士の一分」という題名で、やはり山田洋次監督が映画化している。

映像化の功罪は何も時代小説に限らず、コミック原作ものであろうが、東野圭吾作品でも同様だろうが、脚本の改変などはそれほど弊害がないけれども、登場人物の風貌が、特定の俳優さんに固定されて離れられなくなる、というのは、やはり文字としての小説を自由に楽しむ上では弊害だろう。

「隠し剣鬼の爪」では、主人公で主演の永瀬正敏や、ヒロインの松たか子はそれほど刷り込まれていないのだが、剣敵の狭間弥市郎を演じる小澤征悦は、登場シーンの時間は短いものの、どうしても小澤征悦の形をして現れてしまう。

「必死剣鳥刺し」も同様にこちらは、主人公の兼見三左ェ門が豊川悦司から離れられない。

刷り込まれているキャスティングは「ハマっていた」ということだし、誰が演じていたか調べないと忘れている役も役者の格の大小に関わらず多いのだが、忘れて読めるということは、それほど「ハマっていなかった」ということだろう。

俳優と役のマッチングの問題と同時に、原作の人物造形自体が成功しているゆえに、印象的にならざるを得ない、ということもあるように思う。

「隠し剣孤影抄」の8編、続編の「隠し件秋風抄」の9編はそれぞれ、タイトルになっている「秘剣」をめぐる人間模様が描かれているのだが、個々の短編の印象はそれぞれずいぶん違う。

作者はその部分はこの連作短編を書くにあたって、非常に意識した部分だろうが、「秘剣」の登場の仕方と、登場人物の絡み方は、各編ごとに全く違っている。

「秘剣」の技そのものが、物語の根幹を握っているものもあれば、タイトルの「秘剣」自体は些細なものなのだが、それに翻弄されるタイプのものある。

「秘剣」が最初からこういうものだ、と読者にも、剣敵を含む登場人物に披露された上で物語が展開していくものもあれば、最後の最後までわからないままのものもある。

全編に通じる共通点を挙げるとすれば、濃淡の差はあれど、男女の情愛が必ず物語のキーになっている点だろうか。
そして、男前のヒーローが「秘剣」を武器にバッタバッタと悪を成敗する式のものは一編もないのも共通点か。

改めて読み返すと、映画化された作品が特段優れているということもなく、その他の作品にも好きな話が多い。

小説なのだから、「小説として上手くできている」、「藤沢周平は小説巧者だ」となどと言うことは、何の評論にもなっていないと思うのだが、解説や回顧文でも、繰り返し使われる表現だ。

繰り返し読むに耐えるという点だけでも、藤沢周平の小説は私にとっては特別なものだ。

映像化したい、と思う人が著者の生前も没後も、たくさん出てくるのは仕方がないことだが、ブームのような藤沢作品の映画化の波が、少し落ち着いたのは、私個人としては良い事だと思っている。

藤沢作品は、一人静かに読みたいのである。
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藤沢周平「帰省」
2012年02月09日(木) 23:24
藤沢周平が亡くなってもう15年になるのか。

新作を心待ちにしていた時期はもう遠い昔になってしまった。

亡くなった後に、いろいろ出てきたのだが、それらも出版されつくし、さすがにもう何も出ないだろうと思っていたのだが、まだ結構あったようだ。

未収録エッセイ集である。


帰省 (文春文庫)帰省 (文春文庫)
(2011/03/10)
藤沢 周平

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あとがきで、文芸春秋が詫び文を書いているのだが、「藤沢周平全集」には、エッセイも含め全て収録したつもりであったが、未収録のものがこれだけ出て来たという。
「全集」をお買い求めになられた方には申し訳ないと言っている。

しかし、他の作家の著作の解説あとがきとか、何かの記念誌の寄せた文章とか、知人の追悼文とか、あるいは生前に編んだエッセイ集にあえて著者が未収録として没とした文章などもあり、こういうものは、他の作家でも、乾いた雑巾をギリギリ絞れば何かしら出てくるのではないか、という気もした。

藤沢周平の本は売れるので、そういう乾いた雑巾をギリギリ絞る作業をする甲斐が、マーケティング上あった、ということに過ぎず、エッセイ、寄稿、雑文の類は、漏れている文章というのは、どんな作家でもあるのではないか、という気もしながら読んだ。

生前、エッセイ集から藤沢周平が敢えて除いた文章というのは、特定の個人、団体のことに直接触れすぎているので、控えたというような性質のもので、これだけ年月が経つと、もう良いだろうという、文芸春秋の判断で収録したものもあるように思う。

それでも、読み尽くしたという寂しさの中で出会った、藤沢周平の新しい文章は、非常に懐かしく、文章の確かさも相変わらずの藤沢周平クオリティで、一気に読んでしまった。

過去のエッセイ集も三読、四読しているけれども、この本も今後も繰り返し読むことになるだろう。

中には、他のエッセイ集で取り上げたのと、同一のテーマが、別の文章になっているものもあり、「このエピソード自体は知っている」というものもあるわけだが、また、違った表現で書かれていると、違った感興を催す。

ラフな言い方だということを承知の上であえて言うと、純文学であれ大衆文学であれ、小説はとりあえず、読んで面白くなければいけないものだろうという気がします。

というあたりにも、藤沢周平の真髄が直裁に出ている気がするし、古田織部正重然について書いた「破調の織部 - 古田織部の生涯」や、清河八郎のこと、「梶川与惣兵衛の毀誉褒貶」など、非常に興味深く読んだ。

梶川与惣兵衛とは、浅野内匠頭長矩が、吉良上野介義央に刃傷に及んだ際に、たまたま現場に居合わせて、浅野内匠頭を後ろから羽交い絞めにした人物である。

梶川与惣兵衛頼照と初めて出会ったのは、三十ワットか四十ワットの赤茶けた裸電球の光りの下でだった。

と、小学生時代の話を始めるわけだが、私はこの文章を読むまで、梶川与惣兵衛の諱名が「頼照」であることなど、まったく知らなかった。

藤沢周平は武士の名前については、小説中でもよくこの手を使うのだが・・・。
諱名を取り立てて強調することもないし、通称を強調することもないのだが、初めて出てきたときに、平然とさらっと「フルネーム」を書いて、その後は馴染みの深い方の名だけで通して、敢えて触れない。
「梶川頼照」と言われたら、誰のことだかわからないけれども、「頼照」であるということに触れることで、その人物が非常に生き生きと動き始めるのである。

藤沢周平の文章の選び方、磨き方というのは、簡にして潔なのだが、痒いところには絶対手が届いている、という格好なのだ。

藤沢作品の映画化の嵐のような騒ぎも一段落し、しばらく読み返すことをしていなかったのだが、藤沢周平の文章、しかも肉声により近いエッセイに触れて、また「藤沢文章」の世界に遊んでみたい欲求が頭をもたげてきた。

多くの作品は五読目か、六読目かということになろうかと思うが。
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「新三河物語」(上)(中)(下)宮城谷昌光 著 読了
2011年10月12日(水) 21:53
宮城谷昌光の「新三河物語」(上)(中)(下)全3巻を読了した。


新三河物語〈上〉 (新潮文庫)新三河物語〈上〉 (新潮文庫)
(2011/03)
宮城谷 昌光

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新三河物語〈中〉 (新潮文庫)新三河物語〈中〉 (新潮文庫)
(2011/03)
宮城谷 昌光

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新三河物語〈下〉 (新潮文庫)新三河物語〈下〉 (新潮文庫)
(2011/03)
宮城谷 昌光

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まだ生きている作家による歴史小説で、近頃これほど一気に読めた作品は稀有だ。

宮城谷作品は、中国古代モノも一通りは読んでいるのだが、悲しい哉それらの題材の人物や時代にあまりに基礎知識がなく、それなりに面白く読んだ読後感はあるものの、のめりこむというような感じではなかった。

宮城谷作品の優れているところはいろいろあるけれども、印象的なのは練りに練られ、選びに選ばれた単語、文章だろう。
稚拙に感じるところが全くないので、安心して読める。

戦国歴史小説は、普通の人が読むであろうものはほとんど読んでいると思うが(津本陽を除く)、司馬作品のように論説調になる感じでもなく、劇画調にベタに無理くりドラマが展開するわけではない。

司馬遼太郎で言えば、徳川家康とその家臣団を描いた作品として「覇王の家」があるし、徳川家康モノとしては、空前絶後と思われる、全26巻の山岡荘八の「徳川家康」もある。

「新三河物語」も徳川家の勃興と家臣団の活躍を描いていることのは確かなのだが、視点は大久保忠世に代表される大久保一門の武将たちの生き様である。

「三河物語」というのは、ご存知のように、大久保彦左衛門忠教(ただたか)が書き残した「松平・徳川家」、そして「大久保一門」の戦績をまとめたものだが、宮城谷の「新三河物語」も大久保彦左衛門及び大久保一門から見た松平家徳川家勃興の描写になっている。

とは言っても前半は彦左衛門忠教はまだ生まれておらず、宗家当主の忠教かた見ると叔父に当たる大久保忠俊が 雨中に兵を率いるところから描写が始まり、次第に大久保忠世の次弟、大久保忠佐に主人公的な役割を担わせている。
大久保忠佐の人物的魅力が作品を引っ張る大きな力になっている。

通称を平助という彦左衛門忠教(彦左衛門は隠居名である)も、忠佐の視点から年の離れた幼い弟を評価する形で登場して来る。

戦国武将としての徳川家康の活躍期に大久保家の宗家当主格であったのは大久保忠世なわけだが、忠世の家は本来は傍系である。
その辺の経緯は本編で語られているので本編にゆずりたい。

大久保彦左衛門忠教(ただたか)は10人兄弟であり、長兄が大久保忠世であり、次兄が大久保忠佐、その他の兄弟も個性的な魅力で描かれている。

本家の「三河物語」同様、大久保一門の視点から見た歴史観であり、大久保家の家風や一族の武人を美化するところは美化している。
大久保一門に都合の悪い点は・・・誤魔化している。
徳川家の歴史をたどる上で、大久保一門に都合の悪い点は大きく捉えて3点ある。

1.家康の長男・松平岡崎三郎信康が問責された時に酒井忠次とともに大久保忠世が織田信長に弁訴に行くが、信康の擁護に失敗している点(と言うかあまり弁護しなかった)。

2.真田昌幸との2度の上田城攻防戦で主将格でありながら、徳川家の数ある戦績の中でも特筆すべき大敗北をしている点。

3・大久保長安事件への連座

の3点だ。

この3点の描き方は、あまりに大久保家に都合の良い書き方をし過ぎなのでは、と感じる人もいると思う。
信康切腹については、信康そのものが優れた人物ではなく、自ら招いた死であるかのような書き方をしているし、酒井忠次になすり付けている感もなくはない。
真田攻めに関しても、信康崇拝派の平岩親吉と鳥居元忠が大久保一門に反感を持っていて非協力だったことが敗因としている。
大久保長安に関しても、長安の不正そのものは歴史的に動かないと思うけれど、連座の適用が峻厳過ぎるのは本多正信と土井忠勝の陰謀である、という立場を取っている。

この立場は大久保忠教が「三河物語」で書いた見方を踏襲しているとも言える。
だからこその「新」三河物語なのだろう。

そもそも彦左衛門が「三河物語」を遺した意図というのは、松平家存亡の危機の時代から忠節を尽くし、多くの苦しい敗戦を含む、戦場での武勲をあげた家が、太平の世でないがしろにされ、文吏・能吏型の家臣が重用されていくことへの義憤として書かれた面があるので、本多正信への悪評・敵意などは、踏襲するのが正しい態度だとも言える。

大久保一門の武家としてのあり様を主眼として描いているので、桶狭間も本能寺の変も秀吉の中国大返しも、大久保家から見える風景以上のことは書いていない。
関ヶ原も大坂の陣も思い切って飛ばしてしまっているのは却って小気味良い。
大久保忠世一党は秀忠軍に属しているから、中仙道を通って関ヶ原には遅参するので、関ヶ原の様子がわかりようがないのである。

徳川家臣団の人物でさえも、石川数正の謀反も何処か他人事だし、本多忠勝も井伊直政も非常に遠景にいる。
本多正信が唯一やや絡みがあるか、という程度。

歴史にはいろいろな評価の仕方があって、家康をヒーローにも石田三成をヒーローにも描くことは可能なのであり、首尾一貫した適度なバイアスというのは歴史を書くには重要な要素だと思う。

真田攻防戦の描き方などは、池波正太郎の「真田太平記」と比較しつつ、各武将の進退の評価を見てみると全く真逆なので、そういう点も面白いのである。

また、中国のものでも、日本のものでも、歴史ものを読むときに大変なのは、たくさんんの人名なのだが、大久保家の一族は全員「忠」の字を諱名の通字にしているので、これを情報処理するのは確かに大変だ。

大久保彦左衛門忠教から見て、本家に当たるのは叔父の大久保五郎衛門忠俊<常源>で、その弟が大久保左衛門次郎忠次であり、さらに三弟が彦左衛門や忠世、忠佐兄弟の父である大久保平右衛門忠員(ただかず)。
で、兄弟が上から、
大久保七郎右衛門忠世(ただよ)
大久保治右衛門忠佐(ただすけ)
大久保大八郎忠包(ただかね)
大久保新蔵忠寄(ただより)
大久保勘七郎忠核(ただざね)
大久保彦十郎忠為(ただため)
大久保甚九郎忠長(ただなが)
大久保(平助)彦左衛門忠教(ただたか)
大久保弥太郎忠元(ただもと)
・・・
といて、おおぜいいる従兄弟たちも、甥たちも全部が大久保忠○である。

しかも、松平の譜代の家臣には「忠」の字を通字にしている家が他にも多く、酒井忠次の左衛門尉家もそうだし、本多平八郎忠勝の家もそうで、忠○と呼ばれる人物が数十人単位で出てくるのを仕分けながら読まなければならないのは、これは著者にはどうしようもなく不可避なことだ。

例えば「忠次は・・・」と書かれていた場合、それが酒井忠次のことなのか、彦左衛門の叔父の大久保忠次のことなのか、関東郡代の伊奈忠次のことなのかは、ある程度の予備知識と前後の関係から知るしかない。

しかも宮城谷昌光は、これは歴史モノを書くときに大事なことだが、諱名(いみな)を一人称で語らせることを絶対にしていない。

つまり、大久保忠教が兄忠世のことを語る場合「七郎右衛門の兄・七郎の兄」と呼ぶし、次兄忠佐のことは「治右の兄」と呼ぶ。
忠佐も弟たちには、彦十郎、甚九郎、平助と、通称で話しかける。
それが、忠為、忠長、忠教のことである、というのは読者の脳内で変換していかなければならない。

諱名(いみな)というのは実名だけれども、呼びかけの名前としては遠慮して諱むから諱名なのであって、伊達政宗に向かって「政宗どの」とか、前田利家に向かって「利家どの」とか話しかけるのはあり得ないのだ。
わかりやすいけれど、あり得ないのである。
伊達政宗であれば、時期によって違うけれど「藤十郎どの」「陸奥守どの」「陸奥中納言どの」であるし、前田利家であれば呼び捨てでも「又左」であり、「又左衛門どの」「筑前守」である時期も長いし、「加賀大納言どの」になっていく。

ここは私は非常に拘りたいところで、安易に諱名で呼び合っている歴史小説に出くわすと、それだけでがっくりする。

宮城谷氏は通称と諱名の使い分けが徹底していて、実にリアリティがあり、そのことで人物が生き生きとしてくるのである。

本格的な噛み応えのある戦国モノが読みたいと思っている方には、実にぴったりかつ新鮮な味わいを残す好編だと思う。
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映画「花のあと」 藤沢周平原作(ネタバレ大量含有)
2010年04月05日(月) 23:30
家族スキーやら、高校の後輩の定期演奏会やら、マリーンズの快進撃やらに取り紛れて、ご報告が遅くなったが、映画「花のあと」を先々週くらいなのだが見てきた。

映画公式サイトはこちら

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藤沢先生が亡くなった後、堰を切ったように藤沢作品が映画化されていて、藤沢周平ファンとしては、楽しみである反面、ひどく原作の良さを傷つける残念な作品も多いので、怖いもの見たさで見に行く面もある。

やらかしてくれてないだろうな・・・という心配が常にある。

原作至上主義のファンの中には、自分のイメージを壊されたくないので映像は絶対見に行かない、という人も多いのだが、私はもちろん第一義的に原作のファンであるのは確かだが、藤沢作品の世間一般に対する普及とか評価の広がりとかいう側面にも興味があるので、原作よりもはるかに世間に対する影響力の大きい映画がどのようになっているか、がっかりすることを含めて、この目で確かめておきたい、という気持ちが強く、今まで全作品劇場へ出かけている。

まあこの問題は藤沢周平だけに限ったことではなく、原作のある映画はコミック原作だろうと、東野圭吾作品であろうとファンは同じような思いでいるのだろう。

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今回の「花のあと」は2008年にこのブログでも書いた「山桜」を映画化した小滝祥平プロデューサーの「山桜」に続く藤沢作品第2作という位置づけになる。
監督は中西健二監督だが、中西健二氏は時代物初監督ということで、あくまでもプロジェクトとしては小滝プロデューサーの藤沢映画作品第2弾という位置づけで見た方がいいだろう。

「花のあと」は文春文庫の短編集「花のあと」に収録された表題作であり、原作はたった38ページの小品である。

しかし過去の映画化された藤沢作品を見てみると、短編の方が映画の素材としてはじっくり丁寧に描けるし、潤色の余地もあって、作り手側には取り組みやすい素材かもしれない。

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原作ではヒロインの寺井以登(いと)は自らの醜い風貌を気にかけているという設定なのだが、そこはやはり映画にするとなると、美人さんでないと観客が呼べないだろう。
美形の起用は仕方がないところだ。

小滝プロデューサーは「山桜」でも時代物初出演の田中麗奈を主演にし、清新な印象を与えることに成功しているのだが、今回もヒロインのキャスティングには時代物の経験がない女優さんを敢えて選んできているのだと思われる。
今回は今が旬まっさかりの大人気女優と言っても良い北川景子なのだが、彼女も映画・ドラマ通じ、時代物は初挑戦である。

女ながら剣の使い手という設定なので、撮影に入る半年前から殺陣の稽古を始めたそうだ。

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原作は年老いた主人公が孫たちに「ばばの若き頃」の思い出話をするという設定になっているが、映画でもその語法は丁寧に踏襲されている。
「ばば」としてナレーションをしているのは、前作「山桜」で印象的な存在感を見せた大女優藤村志保である。

主人公以登が思いをかける藩随一の剣の使い手、江口孫四郎のキャスティングは苦労されたのだろうと思う。
手垢のついていない清新なキャストを選びたかったのだと思う。
小滝プロデューサーは映画出演の経験がまったくないバレエダンサーの宮尾俊太郎を起用した。
姿は立派である。立ち居振る舞いも申し分ない。殺陣も美しい。
しゃべらなければこれで良かったと思うのだが、相当修練を積まれたとは察するし努力賞はあげたいが、この宮尾俊太郎の江口孫四郎は、申し訳ないが台詞は学芸会レベルであった。

もともと台詞の少ない映画だから、この宮尾俊太郎の台詞の下手さは際立ってしまう。

では、誰だったら江口孫四郎は成功してだろうか、と考えるのだが、立っているだけで誠実さが滲み出るこの表裏の無い善人役に、なかなかこれという俳優の名前をすぐにはあげられないのが私としても正直なところで、稚拙な演技の難はあったものの宮尾俊太郎の起用は一つの答えではあったかも知れないことは認めざるを得ない。

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その点、原作を読んだ時点だけでは、どういう人物像を描いてよいか難しい面もある、許婚で夫となる片桐才助に起用された甲本雅裕は秀逸な演技をしていた。
原作のちょっと獏とした片桐才助像よりも、実像感のある生命を吹き込まれた片桐才助を創出することに成功していたように思う。

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父親の寺井甚左衛門役の國村隼については、予想を上回りも下回りもせず予想通りだったが申し分なし。

敵役の藤井勘解由役の市川亀次郎も十分な経験に裏打ちされた見事な演技ぶりだったように思う。

母親役に、前にこのブログでちょっと書いた相築あきこさんが出演されていて出番は少なかったが好印象だった。
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加世役は伊藤歩だったのだが、この役にはもっとお客に既視感のあるネームのある女優さんを持ってきた方が作品のドラマのめりはりが付いたと思う。
キーパーソンなだけにちょっと埋没してしまう印象だったのが残念。

唯一原作にない登場人物として、父寺井甚左衛門の友人碁敵である医師の永井宗庵なる人物を創出して、柄本明が演じているが、國村隼も北川景子も基本的にものをしゃべらない役だから、背景説明とか諸々の雑感を語る役として上手く機能しており、原作にない人物だが、自然にはまって成功している。

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総じて良く出来た映画になっていたと思う。

エンディングの主題歌は「山桜」のときと同様、一青窈なのだが、これは拒絶感のあるコメントをされている方も多いのだが、好みが分かれるところだろう。
私はもともと一青窈ちゃんのファンなので、そんなに違和感なく受け入れたのだが、原作のイメージとの齟齬を感じた人も多かったようだ。
一青窈の主題歌はその名も「花のあと」というタイトル名で一青窈自身の作詞でシングル発売中である。

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いずれにしても、原作未読の方はまず原作を読んで欲しい。
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藤沢 周平

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「覚悟の人 小栗上野介忠順伝」 佐藤雅美 著
2010年02月26日(金) 22:40
小栗上野介忠順(ただまさ)は幕末の多くの人物の中で、これまで正当に評価されて来なかった人物であろう。

著者佐藤雅美の著述の意図も小栗の才能と功績に改めて光を当てなおし、幕末の幕府側人物として再評価を企図したものだと思う。

確かに、徳川慶喜や、勝海舟、榎本武揚、松平容保などと比べても、一般に目にすることができる小栗忠順に関する著述は少なかったと言えるだろう。

その意味では小栗忠順の事跡を追うのには好適な書だと言えるかもしれない。

しかし、あまりにも小栗を美化しようとするあまり、小栗と対照的な立場にいる人を評する罵倒が直接的すぎて下品な印象が付きまとう。

小栗を引き上げた水野忠徳は評価するものの、徳川慶喜や松平春嶽、勝海舟らを幕府を売る変節漢呼ばわりし、井伊直弼も間鍋詮勝も脇坂安宅も無能者と決め付けている。
「国家を危機に陥れる国家指導者がいる。井伊はその最たる男だった。」
阿部正弘も堀田正睦も川路聖謨もこき下ろされている。

徳川慶喜は「肝心なところではいつもするりと逃げまわって責任を回避する、唾棄すべき卑劣漢だった。」
何もそこまで言わなくても良いだろうという気がする。
松平春嶽も「上辺を飾るだけの、政治好きの父っちゃん小僧だった。」
他にもう少し上品な表現の仕方がないものか、と思う。

幕閣側の人間についてさえそうだから、島津久光、西郷吉之助、大久保一蔵、岩倉具視など倒幕派の人物は端から詐欺漢扱いである。
坂本龍馬の船中八策も何ら目新しいことがないとこき下ろしている。

確かに幕臣として、小栗の振る舞いは立派である。
しかし、小栗自身も自分の意に染まぬことがあれば病気と称して登城せず、結果的にお役御免になって責任を放棄している場面は何度もある。

時代は混乱していたのである。正しい判断を下すのは誰にとっても難しい時代だった。その中で小栗ただ一人のみが正しい識見と矜持を持っていたと断ずるかのごときこの小説の調子は、ちょっといくら何でも極端ではないか、という気もする。

最後の鳥羽伏見の戦後、江戸を脱出して上野に居を構える行動は大局的に見て幕末維新史の中で、良くも悪くも何の影響も与えていない。
榎本武揚の周りを巻き込むことができた行動と比べた場合どうなのか。
幕府を見切り、日本のあるべき姿を幕府より優先させてしまった「お調子者」勝海舟の視点と比べて小栗の視点はどうなのか、勝を徳川家を薩長に売った男として簡単に断ずることはできない問題だと思う。

佐藤雅美の小説はこれまで概ね面白く読んできたのだが、この「覚悟の人 小栗上野介忠順伝」に関しては著者の思い入れが強すぎ、辟易する箇所が多かった。

余談だが、雑学的豆知識を・・・。

小栗上野介忠順は、「上野介(こうずけのすけ)」を名乗る前、「豊後守(ぶんごのかみ)」を名乗っていた。
武家のこの名乗りはある一定の地位に付くと、従五位下(じゅごいのげ)に任官され、自分の好みの「名乗り」を「何々の守」とか選んで良いのだが、いくつかタブーがある。
例えば「陸奥守」は伊達家しか名乗れない、「薩摩守」は島津家しか名乗れない、「尾張守」は「終わり」に通じ不吉なので避ける、「武蔵守」は江戸城のある所なので恐れ多いので「遠慮」しなければならない、などなど。
また同姓の中では違う「名乗り」にしなければならない。松平姓などは旗本も入れると非常に沢山の松平家があるから重複しないような「名乗り」を探すのは大変だった。

それらのタブーの中で、老中と同じ名乗りは「遠慮」しなければならない、というのがある。

元治元年に陸奥白河の藩主阿部豊後守正外(まさと)が老中に就任した。
それを受けて小栗豊後守忠順は名乗りを変えなけえればならなくなった。
小栗の領地は上野、下野、上総、下総、四カ国に分散していて、上野国群馬郡権田村との付き合いが深かったので、「上野」を名乗りにすることにしたのだが、この「上野」の場合、「上野守(こうずけのかみ)」を名乗ることはできない。
全国の「国」のうち「常陸」「上野」「上総」の3カ国だけは「親王任官」の国とされていて、「守」には「親王」のみがなれ、その際には「上野大守(こうずけのおおかみ)」となる。
上野の国の武家としての極官は「守(かみ)」の下の「介(すけ)」になる。
小説や時代劇などで「常陸守」「上野守」「上総守」が出て来たら非常に恥ずかしい時代考証間違いになる。
で、小栗は「上野介」を名乗りとしたわけだが、「介」官は「守」官に対して一段劣る印象もあり、常陸介、上総介、上野介を名乗るものは元々少なかった。

印象的なのは吉良上野介義央(よしなか)で、ただでさえ珍しい上野介の名乗りは吉良以降、不吉で縁起が悪く、吉良以来、誰も名乗っていない。
小栗は敢えてその珍しい不吉な「上野介」を名乗りにしたのだが、どういう意図か詮索する向きもあったようだ。
小栗としては上野国に縁があるから名乗ったまでのこと、と受け流していたようだが、不吉はあたってしまい、吉良義央同様、不本意な形で首を討たれて死ぬことになる。

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今日は「寒梅忌」 藤沢周平命日
2010年01月26日(火) 23:30
今日、1月26日は作家藤沢周平の命日「寒梅忌」である。

寒梅忌に合わせて色々の行事があるのだが、山形県鶴岡では「第11回寒梅忌」が17日、市中央公民館で行われた。

また今日の寒梅忌に合わせ、3月に上映予定の藤沢周平原作の映画「花のあと」の完成披露試写会も開かれた。
記者会見も行われた。

「花のあと」は原作では女性主人公が醜い風貌を持っていることに引け目に感じていることが物語の底流を成しているのだが、映画化ではやはり醜い女性をヒロインにしてというのは難かったとみえて、ヒロインは何と美形中の美形、北川景子さんが演じる。

今年4月には鶴岡市に藤沢周平記念館のオープンも控えている。
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藤沢周平「必死剣鳥刺し」
2009年11月25日(水) 23:30
藤沢周平の「隠し剣孤影抄」には、
「邪剣竜尾返し」
「臆病剣松風」
「暗殺剣虎ノ目」
「必死剣鳥刺し」
「隠し剣鬼の爪」
「女人剣さざ波」
「悲運剣芦刈り」
「宿命剣鬼走り」
が収められ、

続編の「隠し剣秋風抄」には、
「酒乱剣石割り」
「汚名剣双燕」
「女難剣雷切り」
「陽狂剣かげろう」
「偏屈剣蟇ノ舌」
「好色剣流水」
「暗黒剣千鳥」
「孤立剣残月」
「盲目剣谺返し」

が収められており、このうち「隠し剣鬼の爪」はそのままの題名で永瀬正敏の主演で、「盲目剣谺返し」は「武士の一分」というタイトルで木村拓也の主演で、それぞれ映画化されている。

今度、「必死剣鳥刺し」が豊川悦司の主演で映画化されるという
今回は山田洋次監督ではなく、平山秀幸監督による映画化。

映画化の報に接し、改めて読み直してみたが、短編なのでストーリー的には肉付けの必要と余地があるのは確かだが、ちょっと映像化は簡単ではない作品という感じがしている。

藤沢作品の映画化というと原作のファンからすると、不安8分期待2分という感じで、ドキドキしながら見ることになるわけで、今回もそういうことになるだろう。

公開は来年夏ということだが、過剰な期待をせず、淡々と見たいと思う。

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司馬遼太郎「竜馬がゆく」
2009年11月18日(水) 23:21
「坂の上の雲」を久々に読んだ勢いで、同じ棚にあった「竜馬がゆく」を読む。
まあ、来年の大河ドラマが「龍馬伝」だということもあっておさらいのつもりもあった。
読むのはおそらく5回目くらいだと思う。
私の持つ文庫本全8巻には、「竜馬生誕150年」のオビが付いているので、買ったのは1986年ということになるか。大学を出た翌年だ。

1巻~8巻読了。

竜馬という人間の面白さと歴史の不思議さ、を改めて感じる。

毎回思うことだが、勝海舟の人間の大きさを再認識させられるし、陸奥宗光の存在もバイプレーヤーとして非常に良いスパイスになっている。

毎回感動するのは新政府の財政担当として越前藩士由利公正を呼び出しに福井に行くところだ。

司馬遼太郎をまとめて読んだことのない人には入門編として文句無く「竜馬がゆく」をお薦めしたい。

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司馬遼太郎「坂の上の雲」読了
2009年11月08日(日) 21:34
先日、読み始めた司馬遼太郎の「坂の上の雲」だが、読むのは3回目くらいだと思う。

主人公と言って良いのか、秋山好古、秋山真之兄弟と、真之の友人正岡子規だが、全編を通してみると、この3人が登場する場面はごく限られている。

日露戦争の期間がやはり重要な舞台となるのだが、陸軍騎兵の長として満州でロシア軍と戦う秋山好古も、海軍の参謀としてロシア艦隊と戦う秋山真之も、実際の戦争の描写に入ってしまうと、彼らの様子の描写に割かれているページ数は非常に限られている。

その意味では主人公は、大山巌とも言え、東郷平八郎とも言え、児玉源太郎とも、乃木希典とも、クロパトキンとも、あるいはロジェストヴェンスキーであるとも言える訳だし、日露戦争の描写の狂言回しとして、秋山兄弟が適任であったか、というと小説の組み立てだけから言えば必ずもそういう立場に彼らは居なかったとも言える。

ただ、「明治という時代」というものを描こうとしたとき、秋山兄弟、正岡子規の3人が主人公である必然性はあったのかな、と思う。

さてNHKはこれをテレビドラマにする、と言っているわけだが、なかなかテレビドラマにはしにくい作品であることを再確認した。
脚本の腕の見せ所だろう。腕並み拝見と言ったところだ。

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司馬遼太郎「坂の上の雲」
2009年10月28日(水) 23:45
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NHKで「坂の上の雲」がドラマ化されるというので、何年ぶりかで司馬遼太郎著「坂の上の雲」をまた読み始める。
もうすぐ2巻を読み終わる。

司馬文体は鼻につくところもあるのだが、それさえ気にならなければ、面白いことは面白いのだ。

多分一気に読んでしまうだろう。

NHKのドラマのキャストはこちらに

秋山好古はずば抜けて背が高く、堀の深い顔でヨーロッパ人に間違えられた、という人物だから、阿部ちゃんは適役だろう。

秋山真之のもっくんも、適役と言えるだろう。

芝居として一番難しいであろう正岡子規には、病弱というイメージからはほど遠いが香川照之というのも演技力を考えれば順当なところか。

正岡律は原作ではそれほど出てこないのだが、テレビドラマとしては、やはり女性も欠かせないということで、主要4人のキャストの中に入れられているが、菅野美穂。

父秋山久敬に伊東四郎、伊藤博文に加藤剛、東郷平八郎に渡哲也、高橋是清に西田敏行、児玉源太郎に高橋秀樹、山本権兵衛に石坂浩二と、ベテラン陣も豪華なキャスティングだ。
ナレーションには渡辺謙!

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藤沢周平 著「闇の梯子」
2009年08月29日(土) 23:45
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三読目だと思うが、藤沢周平の短編集「闇の梯子」を読む。

・父(ちゃん)と呼べ
・闇の梯子
・入墨
・相模守は無害
・紅の記憶
の5編からなる。

「ちゃんと呼べ」は大工の徳五郎が孤児を連れ帰るところから起きる話。

「闇の梯子」は彫師の清次が妻の不治の病に愕然とする話。

「入墨」は姉妹を捨てた父親が戻ってきて・・・、という話。

「相模守は無害」は公儀隠密が海坂藩に潜入して役目を果たして戻ってくるが・・・という話。

「紅の記憶」は婿入り間近だった主人公の婿入り先の父娘が藩の政争に巻き込まれ・・・という話。

どれも甲乙付け難い味わい深いのある作品だ。

「相模守は無害」で、海坂藩の藩主の姓が「神山」として明示されているところが海坂藩ものとしては異色。
他の作品では官位受領名と諱だけで語られることがほとんどだ。

「紅の記憶」の主人公も藤沢作品の主人公としてはちょっとないくらい豪放で気が強い人物になっているのが印象的。
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藤沢周平 著 「春秋山伏記」
2009年08月27日(木) 23:25
もうこの作品は5読目か6読目か、という感じだと思う。

これは山形庄内の地言葉を意識的に使った作品で、その意味で藤沢周平ならではの作品だと思う。

「藤沢周平ならでは」ではあるのだが、これが海坂藩武家ものでもなく、江戸市井ものでもなく、歴史小説でもない、藤沢作品の中でもオリジナリティのある異色の設定だ。

庄内鶴ヶ岡城下郊外の山懐の山村というのが舞台になっていて、主人公は羽黒山伏である。
赤川が流れ、六十里越街道に通じるという道が村内を通っているから、鶴ヶ岡の南郊、湯殿山の方角なのだろう。

村の人々と山伏との聖俗合い混じった関係が何とも趣深い。

第1章と最終章で重要な役割を演じて副主役となっている「おとし」からの山伏「大鷲坊」への視点というのも「大鷲坊」の人物造形を単に一人称で語らせるよりも面白くさせているポイントだ。

ふっとなごみたい気分のときに手にとってみたい一冊である。

↓Amazonには表紙写真がないので、スキャンした画像を載せておく。
春秋山伏記 (新潮文庫)春秋山伏記 (新潮文庫)
(1984/01)
藤沢 周平

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