日々の雑学 ●●●
日々、ふと思ったことを書いていきます。   ・・・千葉ロッテ・マリーンズ、菅野よう子、再生可能エネルギー、自然環境、里山、棚田、谷津田、日本近世史、歴史小説、時代小説、クラシック音楽、・・・などなど。
スポンサーサイト
--年--月--日(--) --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ↑top
今尾恵介 著 「地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み」を読む
2015年02月04日(水) 22:09
ちょっと久々な感じですが、読書日記。

地図エッセイスト・今尾恵介氏の「地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み;関東(2) 京王・西武・東武」が刊行されて、早速読んだ。

関東(1)の東急、小田急も読了していたのだが、その時は、ここに書かなかったので、まとめて言及。


地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み; 関東(1)東急・小田急地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み; 関東(1)東急・小田急
(2014/09/25)
今尾 恵介

商品詳細を見る



地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み: 関東(2)京王・西武・東武地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み: 関東(2)京王・西武・東武
(2015/01/22)
今尾 恵介

商品詳細を見る


地図から歴史を紐解くスタイルは、従来の今尾恵介著作の定番なのだが、今回は鉄道省文書も絡めて、というところが新しい。

お役所文書としての、型どおりの書類もあるのだが、陳情書や、免許の許認可を求める文書や、路線変更の理由文書などは、当事者のナマの声が文字通り生々しく綴られており、興味深い。

多分に我田引水的な側面もあるのだが、本音が見え隠れするところが、また面白いのである。

なんで、この路線、こうなっちゃっているの?
という疑問、今まで知っていたもの、定説と思っていたものが、勘違いだったことを知るもの、文字通り今回はじめて触れるエピソードなど、いろいろ山盛り。

いずれにしても、周囲が田園地帯である大正~戦前戦中の時代に建設された鉄道網で、昭和・平成のラッシュアワーもほとんど、そのままなんとか押し込めて運搬して来てしまったことは、いろいろな意味ですごいことだ。

keio_20150204.jpg
seibu_20150204.jpg
tobu_20150204.jpg

今後の続刊も楽しみである。
スポンサーサイト
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
小野不由美 著「十二国記」、本でも読む
2015年01月07日(水) 00:31
ちょっと間が空いてしまいました。
新年です。

先にアニメで見てしまった「十二国記」シリーズ。
後追いだけれども、本でも読んでいる。


魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)
(2012/06/27)
小野 不由美

商品詳細を見る



月の影 影の海〈上〉―十二国記 (新潮文庫)月の影 影の海〈上〉―十二国記 (新潮文庫)
(2012/06/27)
小野 不由美

商品詳細を見る



月の影 影の海〈下〉―十二国記 (新潮文庫)月の影 影の海〈下〉―十二国記 (新潮文庫)
(2012/06/27)
小野 不由美

商品詳細を見る



風の海迷宮の岸―十二国記 (新潮文庫 お 37-54 十二国記)風の海迷宮の岸―十二国記 (新潮文庫 お 37-54 十二国記)
(2012/09/28)
小野 不由美

商品詳細を見る



東の海神(わだつみ) 西の滄海―十二国記 (新潮文庫)東の海神(わだつみ) 西の滄海―十二国記 (新潮文庫)
(2012/12/24)
小野 不由美

商品詳細を見る



風の万里 黎明の空〈上〉―十二国記 (新潮文庫)風の万里 黎明の空〈上〉―十二国記 (新潮文庫)
(2013/03/28)
小野 不由美

商品詳細を見る


風の万里 黎明の空〈下〉―十二国記 (新潮文庫)風の万里 黎明の空〈下〉―十二国記 (新潮文庫)
(2013/03/28)
小野 不由美

商品詳細を見る


とここまで読んで来た。

アニメ版と原作は違っているところもあるし、活字ならでは良さ(登場人物や街の名前の漢字)もあるし、映像ならではの良さ(特に妖獣などのリアリティ)、もある。

とは言え、全てのメディアに言えることだが、やはり原作は読まなかればいけない。

別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
書籍「市民・地域共同発電所のつくり方」のご案内
2014年06月10日(火) 23:18

市民・地域共同発電所のつくり方市民・地域共同発電所のつくり方
(2014/05/30)
和田 武、田浦 健朗 他

商品詳細を見る


先日5月30日に発売されたばかりなのだが、「市民・地域共同発電所のつくり方」という本が出た。

まだ、読み始めたばかりで読了していないのだが、実例を豊富にあげて、非常にかわりやすい内容になっている。
ご興味のある方はぜひご一読願いたい。
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
コルンゴルトの余波としてのレスピーギのオペラ
2014年04月03日(木) 23:39
先月のコルンゴルト強化月間で、「死の都」を新国立劇場に見に行った際、幕間に飯守泰次郎先生と少しお話をすることができた。
素晴らしいという言葉とともに、師のツェムリンスキーの影響を指摘されていたのと同時に、レスピーギにも通じるところがある、名をあげていらした。

そう。イタリア・オペラはプッチーニのどん詰まりだ、と思っている人が多いかもしれませんが、レスピーギもイタリアの作曲家であるからには、オペラに対して思い入れは多いにあったのです。

「沈める鐘」は、ゴージャスなサウンドという点でも、豊富なメロディーという意味でも、レスピーギがオペラ作曲家としても偉大な先輩たちの正統な後継者であることを示してくれます。


音質は悪いけれども全曲がアップされていたりする。

レスピーギのオペラを知らずにいるのはもったいないですよ。

ベルリン・ドイツ・オペラが最近「マリー・ヴィクトワール Marie Victoire」を上演したり


沈める鐘のジャケット
respighi_01.jpg
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
「総武線 120年の軌跡」
2014年02月25日(火) 23:38
JTBキャンブックスというのは本来は鉄道ムックの専門のブランドではなかったはずなのだが、現状実態としては、鉄道専門のムックシリーズになっている。
「総武線120年の軌跡」という本が出て、少なくとも千葉の書店では結構な山積になっている。


総武線120年の軌跡 (キャンブックス)総武線120年の軌跡 (キャンブックス)
(2014/02/20)
三好 好三

商品詳細を見る


総武線沿線に暮らしていると、自然と総武線の各駅には馴染みが出てくるので、総武線の歴史を振り返るこういう本にはそそられてしまう。

開業以来の駅舎をそのまま保っている駅もあるのだが、高架化された千葉駅以西では、やはり大きく変貌している。

錦糸町駅の変遷や、西船橋駅開業時の周辺の一面の田園風景、千葉駅の場所の変遷、佐倉駅の扇形機関庫に集う蒸気機関車たち。
物井駅や、南酒々井駅の昔の駅舎の風情などは、ため息が出るほどすばらしい。

2014_0225_soubusen_0001_R.jpg

気動車王国であった千葉・房総
2014_0225_soubusen_0002_R.jpg

小岩ー市川間の江戸川橋梁を渡る
2014_0225_soubusen_0003_R.jpg

錦糸町駅のテルミナは昭和36年開業とすごく古い
2014_0225_soubusen_0004_R.jpg

市川駅で、電車と貨物列車を牽く蒸気機関車
2014_0225_soubusen_0005_R.jpg

房総方面へはスイッチバックだった時代の千葉駅。京成千葉線は市内中央公園のところに駅があった
2014_0225_soubusen_0006_R.jpg

四街道駅舎は、このままだったらさぞかし人気が出ているだろう
2014_0225_soubusen_0007_R.jpg

典型的な地方駅舎のたたずまいの南酒々井駅
2014_0225_soubusen_0009_R.jpg

別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
宮本常一 著「民俗学の旅」
2014年02月21日(金) 23:40
書棚をなんとなく眺めていて、そういえば宮本常一の文章にもしばらくご無沙汰だな、と思って「民俗学の旅」を手に取る。


民俗学の旅 (講談社学術文庫)民俗学の旅 (講談社学術文庫)
(1993/12/06)
宮本 常一

商品詳細を見る


一回読んでいるはずなのだが、もしかすると積ん読のまま書架に置かれた可能性も否定できない感じがあるのだが、新鮮に読んでいる。
宮本文体はやはり非常に良いたたずまいをしている。

幼少時代や、柳田国男や渋沢敬三との交友の回顧など、宮本民俗学の成り立ちが、いかなるところから来ているのかを振り返ることのできるエッセイになっている。

やはり、こういう時代だからこそ、宮本常一をもう一度じっくり読んでみるべきではなかろうか、と思った。

我々が忘れ去ってはいけない、大事なものを宮本常一は記録してくれている。

2014-02-21_0003_R.jpg
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
鈴木梯一 著「エネルギーから経済を考える」
2014年02月14日(金) 23:27
小田原の市民出資の発電会社、ほうとくエネルギー(株)の出資募集活動が始まったけれども、その仕掛け人の一人でもある、この本の著者、鈴木悌介氏は、かまぼこの鈴廣グループの代表取締役副社長であるだけに留まらず、小田原箱根商工会議所副会頭、「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」の代表理事である。


エネルギーから経済を考えるエネルギーから経済を考える
(2013/11/06)
鈴木 悌介

商品詳細を見る


研究者や市民運動目線ではない、経済人としてのエネルギー論。

「経済界は原発を望んでいる」という論調に、
ちょっと待った! 経済界にとっても、後から大きなツケを払うことになる原子力発電はデメリットしかない、と声を上げた一人である。

この本の中で対談している城南信用金庫の吉原毅理事長とともに、経済界発信の脱原発のトップランナーと言っても良いかもしれない。

脱原発というより、再生可能エネルギー推進のトップランナーと言った方がいいか。
原発の是非を論じるより、そんなヒマとパワーがあったら、1ワットでも多く再生可能エネルギーを増やしたいと動き始めているのが鈴木悌介氏である。

そして、やはりこの本で対談している、加藤憲一小田原市長も、3.11以前から再生可能エネルギーへのアンテナが高かった人物。
この官民2人のタッグが、小田原市が長野県飯田市に続いて、エネルギー地域自給の先進地へとスタートを切る大きなきっかけになっている。

研究家や評論家、市民運動の立場ではない、実業の世界から見たエネルギー論は、机上で空転することが一切なく、今日明日の企業活動とそのまま地続きに語られる。

観念的な反原発運動に辟易している方々、原発がないと日本経済はダメになると思っている方に、ぜひ読んで欲しい一冊である。

2014-02-14_0001.jpg
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
この本、面白い!「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統」 (幻冬舎新書)
2014年02月06日(木) 23:59
この本、読み始めたけど、面白いなぁ。

というか、自分の知識の無さというか、神社、祭神について、あまりにも知らな過ぎたことにびっくりする。


なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統 (幻冬舎新書)なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統 (幻冬舎新書)
(2013/11/29)
島田 裕巳

商品詳細を見る


八幡というものをとってみても、八幡とは何なのか、ちゃんと説明できる人は少ないだろう。

「武神」である、とも、大分の宇佐神宮のことである、とも、応神天皇のことである、とも、新羅の神である、とも。

天神が菅原道真であることは、なんとなく知っているものの、稲荷とは何かさえも良くわからない。

雑学的な本能を久々に刺激される書である。

hachiman.jpg
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
古屋将太 著「コミュニティ発電所:原発なくてもいいかもよ?」読了
2013年10月09日(水) 22:23

(004)コミュニティ発電所: 原発なくてもいいかもよ? (ポプラ新書)(004)コミュニティ発電所: 原発なくてもいいかもよ? (ポプラ新書)
(2013/09/19)
古屋 将太

商品詳細を見る


古屋将太 著の「コミュニティ発電所:原発なくてもいいかもよ?」(ポプラ新書)を読了した。

古屋将太は飯田哲也氏の環境エネルギー政策研究所の現役スタッフで、1982年生まれとあるから、相当若手と言っていいと思う。

環境エネルギー政策研究所のスタッフにはもっとキャリアのある人や筆の立つ人もいるのだろうけれど、市民視線での現場体験に基づく、わかりやすい語り口が好感。

自然エネルギーに関しての科学技術的な予備知識がなくても、わかりやすいように書いてある。
おかあさんたちにまず読んで欲しい一冊だ。

夢の話ではなく、飯田市や小田原市での取り組みの実際の成功例がどのように取り組んで来たのかを、古屋氏は現場に仕事としてずっと立ち会って来ているので、執筆のための取材とかいうレベルを超えて、密着したレポートが出来ている。

comunity_hatsudensho.jpg



別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
真山 仁 著「地熱が日本を救う」
2013年08月29日(木) 23:52
真山 仁という人は、作家であって、エネルギーまして地熱の専門家ではないのだが、そういう人が自分で訴えざるを得ないところに、日本のエネルギー政策の腰の弱さが露呈している、と痛感する。


地熱が日本を救う (角川oneテーマ21)地熱が日本を救う (角川oneテーマ21)
(2013/03/09)
真山 仁

商品詳細を見る


火山国である日本で、CO2フリーで燃料代もかからない地熱発電が、なぜ普及しないのか、素朴な疑問から著者の調査はスタートしている。

その取材は主として、自分の作品である小説「マグマ」の執筆のための取材活動であり、3.11よりも以前のことなのだが。


マグマ (角川文庫)マグマ (角川文庫)
(2009/08/25)
真山 仁

商品詳細を見る


「マグマ」が出版されたのは2006年のことである。

外資系投資ファンド会社勤務の野上妙子が休暇明けに出社すると、所属部署がなくなっていた。
ただ1人クビを免れた妙子は、支店長から「日本地熱開発」の再生を指示される。
なぜ私だけが?
その上、原発の陰で見捨てられ続けてきた地熱発電所をなぜ今になって―?
政治家、研究者、様々な思惑が錯綜する中、妙子は奔走する。
世界のエネルギー情勢が急激に変化する今、地熱は救世主となれるか!?
次代を占う、大型経済情報小説。


という内容の経済小説なのだが、著者曰く、主人公はもちろんフィクションだが、ヒロインが直面する様々な障壁は、実際に取材して得た、地熱発電をめぐる環境をそのまま描写したもので、そこに誇張はない、と語る。

地熱関係者にたくさん取材して感じた、矛盾、納得の行かない不合理が、創作のエネルギーの根源になっている、という。

「日本には資源がない」から、仕方がない、と、政治家も経済界も「有識者」も市民も、みんなそう考え、そこから発想している。

本当に日本には資源がないのか?

世界第3位の地熱エネルギーポテンシャルを持ちながら、現在地熱からでは発電量の0.3%しか得られていない。

何かそこには、促進できない、合理的・科学的根拠があるはずだ、と思って、著者は取材に入るのだが、知れば知るほど、「地熱ができない理由などない」ということがハッキリしてくる。

再生可能エネルギーとされる分野の中では、唯一365日24時間平準化された稼動が期待でき、外国からなにも輸入をする必要がなく、二酸化炭素を出さず、廃棄物も温泉水と同程度の成分の排水を地下に戻してやるだけだ。

しかも、現在、地熱発電を盛んにやっている、フィリピンやニュージーランドなどで稼動している地熱タービンは、富士電機や東芝や三菱重工製の日本の技術なのである。

原発を止めると日本重電産業が困る、というような経済界の発言がまかり通っているのだが、重電業界の中での部門が変わるだけのことだ。
同じ会社が作るのである。

太陽光や風力は、変動するので、原子力に代替できない、という議論は、もちろん火力と揚水発電を調整すれば、ベース電源として、代替することは、可能ではあるのだが、それ以前に変動しないベース電源向きのエネルギーとして地熱がある。

太陽光や風力は、どの国でもできるが、地熱ができるのは、プレートの境界にあって、火山が噴出している国でなければできない。

日本の政治と経済界とメディアと市民が、いかに不勉強で、うかうかと過ごしてきたかが、良くわかる。

小説「マグマ」は、著者は日本のエネルギー業界に一石を投じ、大きな反響があるに違いない、と上梓したわけだが、反応はごく薄く、地熱関係者の周囲からの限定的なものだった、という。
2006年当時、電力に対する市民意識というのは、京都議定書のことはあったものの、地熱というキーワードに敏感に反応するものではなかったろう。

そして、こと地熱に関しては、太陽光や風力、バイオマスなどに比べても、3.11以降でさえも、まだまだ注目の度合いは低いと言わざるを得ない。

エネルギーの問題に従来から相当アンテナを高くしているつもりだった私でさえも、地熱は「何か技術的な障壁が高くて普及しないのだろう」と、根拠もなく漠然と思っていた。

繰り返すが、地熱が進まない科学的・合理的根拠などない。
地熱関係者以外の周囲が、ボーっとサボっていただけだ。

地熱をやれない理由などない。
国立公園法などの規制は、過去の話であり、温泉業界の反対などは被害妄想でしかない。

何万年も地盤が動いていないような、大陸の多くの国では、放射性廃棄物の処分はできるかもしれないが、マグマ溜りはとてつもなく遠く、地熱はマネをしようとしてもできないのである。

日本の国土には何が向いているのか、考えた方がいい。

それと沸点の低い液体を使って発電する「バイナリ発電」という言葉も、覚えた方が良い。
バイナリ発電だと、地熱発電適地が一気に拡大する。

阿蘇くじゅう国立公園内にある、国内最大の八丁原(はっちょうばる)地熱発電所
hacchoubaru.jpg

万一壊れたって、これが壊れるだけで、何年も人が住めなくなるわけではない。

地震国だからこそ持てる資源、地熱。

日本は資源大国かもしれない、という可能性を感じる。
別窓 | 読書日記 | コメント:1 | トラックバック:0 | ↑top
「日本が好きすぎる中国人女子」
2013年08月05日(月) 23:19
櫻井孝昌 著「日本が好きすぎる中国人女子」PHP新書、を読了。


日本が好きすぎる中国人女子 (PHP新書)日本が好きすぎる中国人女子 (PHP新書)
(2013/07/13)
櫻井 孝昌

商品詳細を見る


櫻井孝昌氏の著作は以前にここでも書いたのだが、「アニメ文化外交」(ちくま新書)で、自由な情報入手が制限されていると思われる、サウジアラビアとミャンマーにおける日本アニメへの熱狂ぶりを描いて新鮮な驚きがあった。


アニメ文化外交 (ちくま新書)アニメ文化外交 (ちくま新書)
(2009/05)
櫻井 孝昌

商品詳細を見る


先月発売になった、「日本が好きすぎる中国人女子」はやはり日本アニメ・マンガの中国の若者への浸透・熱狂ぶりを柱にしているが、もっと幅広く、原宿ファッションなどを中心とした「カワイイ」文化、K-POPや韓国製品の中国での展開と対照させて日本の政財界の無関心、無策ぶりを嘆いている。

ちょうど、反日デモが吹き荒れていた時期の中国で取材し、中国の地方都市で行われるアニメフェスや、ショッピングセンターの日式ファッションのショップの様子などに触れていく。

日本語を学習しようという意欲がアニメを日本語でオリジナルの声優で聞きたいという動機にあることは、中国に限ったことではなく、欧米各国や、アジアの他の国でも同様なのだが、中国はその度合いがちょっと他国に比べて激しいように著者は感じている。

中国はまずテレビ放送が官製の番組なので基本つまらないという部分があるのだが、中国の大学は入学するのが非常に難関で、しかも入学すると4人部屋、8人部屋での寮生活になる。
実家から通える大学に行けるということは、非常に稀なことである。

その大学の寮という環境で、お互いの濃密な情報交換が行われ、ネットでの情報が即座に広まる。

アニメやマンガ、カワイイファッションなどに興味のない、マジメな製品を売ろうとしている人たちにこそ、読んで欲しい本なのだが、なかなかこの実態が伝わらないもどかしさがある。

たまたま中国を取りあげているのは、その熱狂ぶりもあるが、反日運動が激しい国で、どれだけの日本が好きすぎる若者(特に女子)がいるか、という視点で象徴的であるからで、マーケットを中国以外に移してみても、ここに書かれていることは必読と言える。

フジマヤや歌舞伎、寿司も大事なのだが、インパクトとしては日本を好きになって、日本を訪ねたいと思うきっかけには、同じくらいの影響力を持っていることをマスメディアも、政府も企業も、もっと目を向けるべきなのだ。

彼女たちの情報キャッチアップ能力は日本の若者とほぼリアルタイムだと言ってよい。
ファッション雑誌「Vi-Vi」の中国語版もすぐに出るし、アニメも日本の本放送の数日後には、誰かがボランティアで中文字幕を付けてネットにアップする。これは違法だけれども、「オフィシャル」のメディア、グッズへの渇望もすごくあるのだが、オフィシャルが中国では手に入らないのだから仕方ない。

提供者は中国では海賊版が出回っているので、売れない、と参入しない理由を列挙するけれども、彼女たちは本当は高額でも正規版が欲しいのである。
ところがいつまで経っても放送もされないし、パッケージも出てこないから、仕方なく違法アップロードのネットを見る。

日本で成功したものを、どれどれ試してみるか、と中国に展開したのでは遅いのだ。

K-Popアイドルは、韓国、日本でのプロモーションと同時に中国にも足しげく通い、つたない中国語で挨拶をwしながら同時進行でプロモーションをしていく。

これは韓国のファッション、電気製品、自動車なども全く同じ構造だ。

韓式ファッション、日式ファッション、どちらも人気があるが、韓式のお店に並んでいるのは、本物の韓国ブランドの商品。日式ファッションのお店に並んでいるのは、スタイルだけを真似た、中国製のバッタもの。
中国の子もバッタものが欲しいわけではないのだが、本物が入って来ないのだから仕方ない。

こうやって、エンターテインメント業界や、ファッション業界だけでなく、電気製品も自動車などの工業製品も日本メーカーは韓国メーカーにほぼ不戦敗に近い形で負けて行っているのである。

2013_0805_chugokujoshi_0004_R.jpg

2013_0805_chugokujoshi_0006_R.jpg

2013_0805_chugokujoshi_0003_R.jpg
2013_0805_chugokujoshi_0002_R.jpg

アニメ、マンガ、KAWAIIファッション、ポップカルチャーに興味がない人にもぜひ読んでもらいたい一冊。
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
「地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?」ちくま新書
2013年07月29日(月) 23:09

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)
(2010/07/07)
久繁 哲之介

商品詳細を見る


久繁哲之介 著 「地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?」ちくま新書、読了。

なぜ宇都宮市の109が出店後数年で撤退することになったのか?

岐阜市に建設された、岐阜シティタワー43と、廃止された路面電車、柳ケ瀬商店街の滅亡。

箱物建設は地域に利することは一切無く、むしろ衰退を促す、という事例を、全国各地の類例を提示。

郊外への大型店誘致、出店も、地域を利することはない。

街中(まちなか)を活性化させるには、どういう視点が必要なのか?
従来型の行政の手法、「土建工学者」たちのアプローチの罪を明らかにしていく。

陳腐な言い方をしてしまえば、ハードよりソフトに、という言葉になるのかもしれないが、ここに書かれていることは、直接的には地方都市の問題を主題に扱っているのだが、従来型の「鉄とコンクリート」の投資が、なんら市民に資することがない、という意味では、大都市、大都市郊外、農山村でも、同じ問題を抱えているのかもしれないと、思わされた。

市民の日々の暮らしに魅力のない街中に観光客を惹きつけることはできないし、商売っ気が見えてしまう施策は長続きせず失敗する、という点も共感。

建設前に主要テナントの三越が出店を辞退、オープン後数年で主要テナントの服部家具店が撤退した岐阜シティタワー43
gifucitytower43.jpg

旧札幌市電の車両も走っていた名鉄岐阜市内線
gifusiden.jpg

岐阜市は名鉄岐阜市内線の赤字55年分の建設費を投じて、岐阜シティタワー43を建設して、岐阜駅中心の活性化をを図ろうとしたが、相前後して市内線の廃止も決定された。

上手く行っている地域もあるのだが、著者は成功事例の「視察文化」の弊害も指摘。
成功事例の「視察」、模倣はほとんど失敗する。
若者・女性視点で行われることのないオヤジ視点での「視察」行動では、何が成功の秘訣なのかを見極めることはできない、という。

地元の本当の意味での魅力が何なのか、都市計画家や有識者、霞ヶ関ではなく、地元自身が気づくことが大事だが、それがなかなか難しい。
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
夫・作家吉村昭の闘病と死を書いた、津村節子 著「紅梅」を読む
2013年07月18日(木) 22:52

紅梅 (文春文庫)紅梅 (文春文庫)
(2013/07/10)
津村 節子

商品詳細を見る


吉村昭の小説は文庫で普通の手段で手に入るものはほとんど全て読んできた私だが、吉村昭夫人である津村節子氏の小説は全く読んでおらず、これが初めてだ。

夫の死を扱った私小説なので、吉村昭の死の様子をうかがい知るには、必読だったのだが文庫になったら読もうと思っていて、今に至った。

吉村昭には、実弟の癌闘病とその死を扱った「冷たい夏、熱い夏」という私小説もあって、ここには実に詳細に弟の闘病とそれを見守る自分と周辺の人々が描かれている。


冷い夏、熱い夏 (新潮文庫)冷い夏、熱い夏 (新潮文庫)
(1990/06/27)
吉村 昭

商品詳細を見る


このほかにも、吉村の私小説には、自身の肺結核の闘病と手術のことや、実母の子宮癌死のことなど、身近な人の闘病とその死を、精緻な吉村筆致で描いてきている。

吉村昭の愛読者としての勝手な要望を言えば、吉村昭の死も、吉村昭自身に描いて欲しかったのだが、こればかりはどう¥しようもない。

吉村昭はエッセイもたくさん書いていて、その中にはたびたび津村節子氏も登場するけれども、この「紅梅」を読むと、吉村もエッセイと言えども、照れくさいことは避けて書いているのだな、ということがわかったりする。

私小説でさえも、エッセイでさえも、それは著作であり、生の日記を読むのとは違う。
他人に読ませる前提で書いたら、触れたくないところは触れないのは当たり前の話だ。

吉村家の家庭のことは、吉村のエッセイや私小説で全部わかっているようなつもりになっていたのだが、今回、津村節子の「紅梅」を読むと、吉村の書いていない面もたくさんあることがわかる。

一家に作家が二人もいる、というのは異常なことだ、と吉村も津村もたびたび書いているし、無名時代の結婚に、文学界の諸先輩はやめた方が良いという助言が多かったことは、吉村の著作にもたびたび言及されている。

二人が作家で食えるようになって以降、吉村は夫人が台所仕事をすることを禁じ、お手伝いさんに任せて、著作に専念するように言っていたことなど、吉村のエッセイでは触れられていないエピソードだ。

一人の癌患者の闘病と、その死という意味では、吉村昭の闘病は、世の多くの癌患者に比べて、特別な何かが起きるわけではない。
看取る家族の側も、いさかいがあるわけでもないし、治療方法を巡って争いがあるわけでもなく、淡々と進行していく。

これを小説にする意味があるのか、という原点に立ち返ると、私のような吉村昭愛好者、吉村の配偶者である津村節子にとっては、もちろん意味があることなのだが、そうでない一般の人にとって、意味があるのか、という問いには明確な意見を持てないでいる。

津村節子の他の作品を読んでいないので、津村文学の中でのこの作品の位置づけを相対化できない、というのも私の限界ではある。

両親兄弟のほとんどを癌で亡くし、それらを題材に小説も書き、またそれ以外の医療小説も多く書いていた吉村昭には、末期癌患者の闘病ということに関しての特別な思いはあったであろうことは、吉村の死の前から思っていたことだ。
終戦前後、肺結核で、ほぼ助からないと言われていた彼でもあるし、昭和2年生まれという世代は、ぎりぎりで徴兵に間に合わなかった世代で、一度は戦地で死ぬ覚悟を決めていた世代でもある。

死ぬはずだったのに、生かされているという思いは、同じ昭和2年生まれの藤沢周平、城山三郎にも共通して流れている思いであって、死に対する未練執着が、完全な戦後世代とは違うのは感じるのである。

相当知っているつもりだったけれど、実は知らなかった吉村昭の一面を他の作家の視点で見させてもらったという意味では、貴重な著作だった。


別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
「カメラが撮らえた千葉県の昭和」
2013年07月14日(日) 23:59
こういう類のものが好きで仕方ないのだが、歴史読本編集部編のよる「カメラが撮らえた千葉県の昭和」


カメラが撮らえた 千葉県の昭和カメラが撮らえた 千葉県の昭和
(2013/05/24)
『歴史読本』編集部 編

商品詳細を見る


見入ってしまい、飽きることがない。

昭和30年代から40年代前半くらいまでが一番面白いのだが、それ以前、それ以後も見所がたくさんある。

昭和32年の手賀沼、この頃までは江戸時代からずっと変わらない風景だったのではなかろうか
2013_0714_chibashouwa_0003_R.jpg

谷津遊園の海上に張り出したジェットコースターは、地形図では見たことがあるのだが
2013_0714_chibashouwa_0002_R.jpg

まだ東西線が通る前の浦安、当代島。江戸川区側も田園である。
2013_0714_chibashouwa_0009_R.jpg

東西線の開通というのは大きな出来事、これは開通前年の西船橋駅
東西線のホームは建設中だが、駅の南側は水田が広がっている
2013_0714_chibashouwa_0005_R.jpg

東西線が開通した頃のことは、結構覚えているのだが、南砂町を出て、荒川を渡ると葛西も含めそこから先は水田の中を走っていた。
2013_0714_chibashouwa_0006_R.jpg

京葉道路もこんなところに通したのか、と驚く。向こう側の江戸川区も一面の水田である。
2013_0714_chibashouwa_0008_R.jpg

古くは戦前の写真も収録されているが、これは戦後の買出しの風景、手前の貨車はもとより、向こうの客車の屋根もびっしりと人が乗っている。
2013_0714_chibashouwa_0014_R.jpg

昭和50年代になるとカラーの写真もある
2013_0714_chibashouwa_0012_R.jpg

かつての風景と、現在の風景を重ね合わせると、変化に驚く部分もあるし、変化していないことに驚く部分もあるのだ。

東京の西郊や、埼玉、神奈川方面ももちろん変わっているのだが、千葉と東京の間は、低湿地で水田が一面に広がっていた地域で、変貌ぶりが顕著に出ているかもしれない。

今になって思えば、東京とその通勤圏というのは、もっとコンパクトに出来たはずで、こんなところまで宅地化しなくても良かったということになるのだが、右肩上がりが永遠に続くと思っていた時代の空気を感じとることが出来るのである。

別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
「水辺の生きもの―トンボ・カエル・メダカの世界」
2013年05月24日(金) 23:33

水辺の生きもの―トンボ・カエル・メダカの世界 (野外観察ハンドブック)水辺の生きもの―トンボ・カエル・メダカの世界 (野外観察ハンドブック)
(2013/05)
浅間 茂、柄澤 保彦 他

商品詳細を見る


千葉の谷津田で一緒に活動させてもらっている方の共著が出た。

北総の谷津田周辺で見られる、トンボ、カエル、メダカの類を網羅した、とのこと。

写真も美しく、生物個々の種類の説明だけでなく、生息環境や、里山・谷津田自然の全体像をわかりやすく理解できる構成となっている。

トンボ、カエル、メダカが主だが、谷津田に見られる水辺の植物なども紹介されている。

水生昆虫やえび類や貝類などには切りが無くなるので、あえて手を広げていない形になっている。

調べる図鑑でもあるけれど、読んでも楽しい内容。

2013_0524_mizubeikimono_0002_R.jpg
2013_0524_mizubeikimono_0001_R.jpg
2013_0524_mizubeikimono_0003_R.jpg



別窓 | 読書日記 | コメント:2 | トラックバック:0 | ↑top
吉村昭 著「高熱隋道」
2013年05月07日(火) 23:16

高熱隧道 (新潮文庫)高熱隧道 (新潮文庫)
(1975/07/29)
吉村 昭

商品詳細を見る


吉村昭の小説の読み返しも、歴史小説部門は一巡し、いわゆる工事モノ、プロジェクトものに入ってきた。

「高熱隋道」も印象深く、何度も読んだ作品で、5読目くらいかもしれない。

吉村昭の小説は戦史小説という括りで括ることのできる一郡の小説が存在するが、その中でも出世作の「戦艦武蔵」、「零式戦闘機」などは、内容、趣旨から言うと、「戦史」というよりも、「工事モノ」「プロジェクトもの」という面で理解した方がわかり安い。

ライト兄弟に先立って飛行機の研究をしていた二宮忠八を描いた「虹の翼」もそうかもしれないし、胃カメラの開発を描いた「光る壁」なども、そのジャンルに分類できるかもしれない。

「高熱隋道」と同じトンネル工事を扱った「闇を裂く道」も同様だろう。

「高熱隋道」も何度も読み直した作品だが、黒部渓谷の大自然との戦いは壮絶である。

これも、戦時下でなければ、実行されていない工事なので、戦争の影響下にはあるのだが、人間と自然の相克の下で、人命というものが、あらかじめ損耗する予算として計上されている異常な世界が描かれていく。

読んでいるだけで熱くなってくる小説である。

次は「闇を裂く道」を読むかなぁ。


闇を裂く道 (文春文庫)闇を裂く道 (文春文庫)
(1990/07/10)
吉村 昭

商品詳細を見る


別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
吉村昭 著「ふぉん・しいほるとの娘」(上)(下)
2013年04月13日(土) 23:21

ふぉん・しいほるとの娘〈上〉 (新潮文庫)ふぉん・しいほるとの娘〈上〉 (新潮文庫)
(1993/03/30)
吉村 昭

商品詳細を見る



ふぉん・しいほるとの娘〈下〉 (新潮文庫)ふぉん・しいほるとの娘〈下〉 (新潮文庫)
(1993/03/30)
吉村 昭

商品詳細を見る


吉村昭の幕末を舞台とした長編小説の読み返しはその後もずっと続いていて、ここに書かなかったものもある。

「ふぉん・しいほるとの娘」は単純に吉村小説の中で、一番長い、ということもあって、手に取る回数は一番少なかったかもしれない。
今回が3読目だろうか?

お滝さんや、おイネさんの境遇も非常に劇的なのだが、特に強く惹きつけられるのは、明治維新後のおイネさんとイネの娘・タダ(タカ)とその夫・三瀬周三をめぐる状況である。
そして、イネの異母弟であるアレクサンドル・シーボルト、ハイリッヒ・シーボルトとの交流、そしてタダの異母弟である石井信義との交流である。
なさぬ仲の腹違いの兄弟たちにおいねとタダの母娘は見守られて生きていく。

アレクサンドルは来日当初、三瀬周三に日本語を教わるように父に命じられるのだが、当初まったくやる気がなくて、三瀬はアレクサンドルへの教育を放擲してしまう。

しかし、結局、アレキサンドルは日本語通訳として、イギリス公使館に雇われ、幕末・明治期の日本の外交になくてはならない人物になっていく。

このアレキサンドルも数奇な運命の人物であり、姉であるイネとの交流も姉弟らしい心の通った暖かいものである。

長崎にも宇和島にも縁故を失ったイネが、東京に出たい、と思って相談するのもアレキサンドルであるし、アレキサンドルもこの姉に、通り一遍でない支援をし続けている。

おいねさんは、宇和島の殿様伊達宗城候に失本(しいもと)イネから改名するように名をもらい、楠本伊篤(いとく)と名乗った。
楠本とは、お滝さんの実家の家系が、もともと南朝の楠木正成配下の武将であったという言い伝えを持っていることを聞いた伊達宗城候が、それでは、楠公にあやかって、「楠」の文字をもらい、失本を楠本に変え、伊達の「伊」の字を与えるので、「伊篤」とせよ、と発案したことによる。

幕末から明治初期にあって、日本唯一の女医として活躍した、楠本伊篤の存在は、壮絶な存在感を持っており、彼女の鉄のような意志の強さにも感服させられる。

別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
吉村昭 著「生麦事件」(上)(下)
2013年03月06日(水) 23:36
吉村昭が幕末を中心として歴史小説の分野に執筆の分野を移して来たのは、第二次大戦の戦史ものの証言者の生存率が圧倒的に低下したことによるというのは、自身のエッセイで度々言及されているところである。

直接の証言者が不在の歴史小説でも、第二次大戦時を素材とした小説で証言を元に書いていたのと同様、信頼に足る史料、主人公やそれに相当する人の日記などが残っている場合にのにみ、執筆の意欲が沸く、ということも言っている。
できれば、事件が起きた日の天気も知ろうとしている。

資料集めの途中で断念した題材も多く、ストイック過ぎるのではないか、とさえ思えるアプローチをしている。

井上靖が書いた「おろしや国酔夢譚」が存在するにも関わらず、あえて「大黒屋光太夫」の執筆をする気になったのも、光太夫と一緒に帰国したもう一人の生き残り、久蔵の帰国後の聞き書きが存在していることに触発されてのことである。

「生麦事件」は「尊王攘夷論」がどのように「倒幕運動」にすり替わっていくか、その契機となる、長州の赤間関での4カ国艦隊との戦争、生麦事件を契機とする「薩英戦争」の顛末を描くことで、この数年間の維新の動きの本質を描けると考えてのことだった。

この「生麦事件」も3読目だと思われるが、「八重の桜」の進行とダブる部分もあって、その時々で読む味わいが違う。

一般に坂本竜馬の役割が過大評価され過ぎているのではないか、という論が最近話題になっているのだが、そういう視点で読むとこの「生麦事件」における薩長同盟成立への竜馬の関わり方も非常に限定的な書き方をしている。


生麦事件〈上〉 (新潮文庫)生麦事件〈上〉 (新潮文庫)
(2002/05)
吉村 昭

商品詳細を見る


生麦事件〈下〉 (新潮文庫)生麦事件〈下〉 (新潮文庫)
(2002/05)
吉村 昭

商品詳細を見る


吉村昭は、幕末史に関しては「桜田門外の変」や「天狗騒乱」、「彰義隊」など時代の重なるものも多く書いているのだが、それぞれに光を当てる角度が違うので、例えば将軍継嗣の家茂派と慶喜派の対立という事象をとっても、複数の小説出てきても、その描き方はそれぞれに踏み込み方も角度も違ってくる。

幕末史は、ドラマや教科書で知るよりも、思った以上に複雑な思惑が絡み合った偶然の上に成り立っていて、違う角度から光を当てなおしてみることは、そのたびごとに面白いのである。
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
吉村昭 著「海の史劇」
2013年02月14日(木) 22:59

海の史劇 (新潮文庫)海の史劇 (新潮文庫)
(1981/05/27)
吉村 昭

商品詳細を見る


吉村昭の小説も、入手可能なものは全部読破していると思うので、再読、三読目に入ってるものが多い。

「海の史劇」も3回目だと思う。

日露戦争の日本海海戦を描いたものだが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」と合わせて読むのも面白いだろう。

ロシア海軍の大回航の壮挙もすごいのだが、日本海海戦の完勝は劇的だ。

戦艦8隻を擁するロシア第二太平洋艦隊と、4隻しかない日本海軍(ロシア側は6隻あると思っているが、初瀬と八島の触雷沈没を知らない)は、巡洋艦はやや日本側が優勢だったが、ほぼ倍の兵力差があったのである。

この奇跡的勝利が、その後の日本軍の体質としての、精神主義に繋がっていってしまった部分は否定できないのだが、少なくとも当時の軍部は、前線指導部も大本営も日本軍の「弱さ」を正確に知っていた。

終盤の講和に差し掛かる部分は、後に吉村は「ポーツマスの旗」を書いて、小村寿太郎全権大使の講和談判の仔細を詳しく書いているので、ダブる部分が多い。

司馬遼太郎の場合は、彼の特質として、「司馬史観」と呼ばれる彼なりの歴史判断が入るわけだが、吉村の特質は極力事実のちからだけで劇性を語らせようするところだ。

説教くさくはならず、淡々と語られる語り口が、却って事実の重みをひしひしとクローズアップしていくのが吉村小説の醍醐味だろう。

旗艦・戦艦クニャージ・スヴォーロフ
Knyaz_Suvorov1904.jpg

2番艦・戦艦アレクサンドル三世
ImperatorAleksandrIII1904.jpg

最初の対馬沖会戦で、ほぼ命運を決した敵前大回頭運動
Battle_of_Tsushima.png
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
大島堅一著「原発のコスト」
2013年01月04日(金) 23:20
大島堅一著「原発のコスト」を読了


原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)原発のコスト――エネルギー転換への視点 (岩波新書)
(2011/12/21)
大島 堅一

商品詳細を見る


年末に大佛次郎論壇賞を受賞したので少し話題になった同書、未読だったので、慌ててキャッチアップした。

期待値としては、原子力発電が事故なく平常運転していたとしても、コスト的に見合わない代物だということを淡々と書いていてくれていることを期待した部分もあるのだが、事故影響の補償コストに私の期待よりも論点が寄っていた感があった。

2011年の著作だから、そういう視点は当然のことと思うが。

核燃料サイクルが事実上難しいということがわかった現在、放射性廃棄物は再処理ということは考えられず、「全量直接処分」という前提で話をした方が現実的だと思う。

本書は「全量直接廃棄・地中埋設処理」は前提としておらず、再処理を行う前提を取っている。
再処理の工程に伴って、さらに取り扱いが難しい廃棄物が出ることは触れているが。

原子力発電を再考した方が良いと思う最大の問題は、放射性廃棄物をどうするのか?という問題だ。

放射性廃棄物の中には半減期が100万年を越えるものもあり、少なくとも10万年以上絶対に人と接触しない状態に保つべき、とされている。

すでに地中埋設処分が始まっているフィンランドでは、各地候補地を調査し、10万年以上動いていないと思われる地層を選び出して、
地元への説明、了解を取って
深いトンネルを掘って地中埋設が処理が既に始まっている。

本書でも指摘しているが、10万年以上漏れ出ないことが見込まれる埋設の候補地が、出来てからまだ3万年しか経っていない日本列島にあるのかどうか、という問題だ。

地中埋設の受け入れ場所を決めないまま、了解も取っていない状態だ。
どうするのか決まっていないのに、人間が即死するものを産み出し続けている無責任さ、が原子力というものの最大の問題だ。

日本には放射性廃棄物を10万年以上、安定して埋設できる地層などない。

モンゴルとかに大金を払って埋めてもらうのか?
事故補償とかの比ではない莫大な「迷惑料」を付けても、国際的な批判を買って実現不可能だろう。

アメリカやヨーロッパで原子力が安全に運転出来るからと言って、それが日本では無理なのだ、ということにどうして気付かないのか、気付かないふりをするのか。
別窓 | 読書日記 | コメント:0 | トラックバック:0 | ↑top
| 日々の雑学 | NEXT≫\r
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。