日々の雑学 ●●●
日々、ふと思ったことを書いていきます。   ・・・千葉ロッテ・マリーンズ、菅野よう子、再生可能エネルギー、自然環境、里山、棚田、谷津田、日本近世史、歴史小説、時代小説、クラシック音楽、・・・などなど。
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江戸時代の設計者 異能の武将 藤堂高虎 を読む
2006年03月31日(金) 15:47
講談社現代新書から出た、藤田達生著 「江戸時代の設計者 異能の武将・藤堂高虎」を読む。



藤堂高虎は徳川政権の成立にあたって、多方面で非常に活躍しているのだが、どうも他の戦国武将たちと違って、あんまり評判は良くない。

地元、三重県でも、郷土の殿様として、藩祖藤堂高虎を顕彰、尊崇するムードは、他の土地と比べてとても低いように感ずる。

大きく二つ要因があると思うが、一つは幕末の鳥羽伏見の戦いでの振る舞いが藤堂家というものに、恥ずべき烙印を押してしまったこと。

もう一つは、高虎自身の織豊政権から、徳川政権への異常なまでの鮮やかな変わり身と、えげつなさ、だろう。

関ヶ原前夜~大坂の陣へかけて(ある意味、秀吉生前から)の、あまりにもあからさまな、徳川方へ忠節ぶりが、「へつらう」者としての、藤堂高虎の印象を既定しているのだろう。

7回主人を変えている、というのも世渡り上手と揶揄される点だろう。
最初は浅井氏、ついで阿閉氏、磯野氏、そして織田信澄、羽柴秀長、秀吉直臣、そして徳川家康、ということになるのだが。

もちろん、秀吉政権から徳川政権に移行するにあたって、流れとして、主人が秀吉から家康に変わった大名は他にいくらでもいる。

現大河ドラマの山内一豊もそうだろうし、細川藤孝・忠興父子、黒田孝高・長政父子、池田恒興・輝政父子、浅野長政・幸長父子、など関与の度合いこそ差があるものの、多くの大名が家を保つために決断をしている。

世渡り上手ということでは、成り上がりでなく室町期からの大名としての家を守り抜いた、細川家の方が上わ手かも知れない。

しかし、徳川政権の成立に、自らの意思で、積極的に表に裏に活躍した人物としては、やはり藤堂高虎が抜きん出ているのだろう。

この著者が指摘するように、このようなネガティヴ・イメージの藤堂高虎観の定着が、司馬遼太郎の「関ヶ原」、「城塞」、「戦雲の夢」あたりにある、というのは、概ね確かなことだろう。

この著作で、著者は、築城を中心とした都市計画先駆者、藩領支配制度の確立者、地方自治制度の具現者としての、藤堂高虎の「異能」ぶりに着目し、高虎を徳川幕府の統治機構、近世「藩」体制の具現者として、具体的一次資料を引きながら、スポットを当てなおしている。

藤堂高虎の果たした役回りと、その重要性、さらに彼の施政家としての能力に比べて、確かに高虎に関する著述は、これまで小説でも、ノンフィクションでもあまりに少なかったと言えるだろう。

藤堂高虎が、家康・秀忠の指示のもと、多くの天下普請近世城郭の縄張りにあたったことは、知られているだろうし、また、同時に肥後加藤家、会津蒲生家、讃岐生駒家など、幼少の後継者が藩主になった藩の「後見人」として、藤堂家から重臣を派遣したり、時には高虎自身も出向いたりして、それらの各藩の運営を、家康・秀忠から委任されている。

これらの事実と、彼自身の領国である、伊賀上野・伊勢津の城郭計画と施工、城下町計画、藩領の地方自治制度、などの例をあげながら、高虎の「異能」ぶりを包括的に論じていく。
近世の成立を、藤堂高虎という視点からを見ることは、実に新鮮で、興味深い内容だ。

著者は、高虎の異能ぶりを様々な切り口から検証していくが、たとえば、藩経営に関して、他の大名家の経営指導をするというのは、高虎以外にない、と、強調しているが、石田三成の九州征伐後の島津家の経営再建への強力な関与などの前例は触れていない。
他家の経営指導の、高虎の独自性・先進性を検証する上では、ちょっと気になった点である。

いずれにしても、藤堂高虎は、ユニークで面白い人物であり、もっと着目されて良いと言えるだろう。

後書きで著者は、ようやく近年、地元でも、高虎顕彰ムードも盛り上がってきて、NHK大河ドラマの主人公を要望する動きも出てきたとしてる。
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マリーンズ 地元開幕2連勝
2006年03月30日(木) 10:54
マリーンズ、地元2連勝。
俊介も完封まであと一歩という内容で、打線も福浦3安打、里崎2安打、ベニー2安打、と何とか形になってきました。

marines20060329-1.jpg


前日のヒーロー西岡をハズしたのには驚きました。
サブローもハズして、今年もボビー・マジックで行くんですかね?
西岡は、今年は小坂もいなくなって、全試合出場かな、と思っていたら、早くも3試合目で、お休みとは。
多分、今年もボビーは、日替わりメニューで行くのでしょうね。

渡辺俊介については、ほんの1年前まで、「知る人ぞ知る」という感じで、珍しいピッチャーとして認識されていたに過ぎなかったのが、昨年のマリーンズの快進撃と、さらに、WBCでのエースとしての扱いに、すっかり日本を代表するピッチャーになってしまって。
何だか、空恐ろしかったのです。
このブームのような、急な持ち上げられ方が。

レギュラーシーズンに戻って、夢から覚めちゃって、バブルがハジケちゃうんじゃないかと、心配しましたけど、ちゃんと地に足が着いて、大丈夫な感じでしたね。

(渡辺俊介投手)そうですね、直さんがいい流れにしてくれたんで、なんとかそれを受け継いで、やっとこれで五割ですから、ここからまたマリーンズの快進撃が始まります。(大歓声)

ということで、まだ4試合ですが、5割。
俊介の言う通り、ここからスタート、と行きたいですね。
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「満州国」見聞記 -リットン調査団同行記- ハインリッヒ・シュネー著 を読む
2006年03月29日(水) 14:58
近くの書店で、講談社学術文庫の特設コーナーができていて、同文庫の多くが平積みになっていた。

宮本常一の著作も多く並べられており、気になったが、自分が既に所有しているものが、どれだったか、その場で判断が付かなかったので、ダブり購入を恐れて買い控えた。

その中で目にとまったのが、「満州国」見聞記 -リットン調査団同行記- ハインリッヒ・シュネー著 金森誠也 訳である。



「リットン調査団」がいかなるものであるかは周知のことと思うが、国際連盟が満州問題を調査するために派遣した調査団である。
イギリスの枢密顧問官リットン卿を団長に、フランスのクローデル陸軍中将、イタリアの外交官アルドロバンディ伯爵、アメリカのマッコイ陸軍少将、ドイツの国会議員ハインリッヒ・シュネーの5名と随員からなり、本書はその中の一員、ドイツのハインリッヒ・シュネーによって書かれたものである。

表題に「見聞記」、「同行記」とある通り、この著述は、リットン調査団の本来の使命である、調査、報告を本題としたものではなく、あくまで、この調査旅行で著者が見聞きした土地土地の「個人的印象」が綴られているのである。

当時の日本、満州、中国、朝鮮の人々、風景が一人のドイツ人にどう写ったかを知ることができる。

著者はドイツ人である以上、当然ながら、中国における膠州湾を初めとするドイツの権益が、第一次大戦の結果、日本の手に移ったことを残念に思っている。
そのことは、一人のドイツ人の正直な気持ちとして、著述の端々にうかがわれる。

また、著者はこの調査時は国会議員であるが、学者としてはアフリカ植民政策の権威であり、ドイツ領だったニューギニア、サモア、などでも勤務し、ドイツ領東アフリカの知事を務めた人物であり、ベースとしては「植民地政策」そのものに関しては、ある種の「理解」を自身の内側に持つ人物である。

著者は中国人のおかれた状況に同情はしているが、そうは言っても、この時代、パワーポリティクスによる「正義」=植民地主義は、現代のように無条件で、国際正義として非難されるべき事態、と認識されていたわけではない。

リットン調査団の報告結果と、その後の日本の行方を知っている私たちから見ると、このシュネーの著述は、日本による朝鮮、満州、支配への非難をあらわにしているわけではないので、ある意味、中立的に書かれていると思う。

ただこの「中立的」かどうか、という点については、読む人の立ち位置によって変わってくる問題だが。

この著書の面白いところは、本題である日本の執政者、満州の執政者、中国の執政者との会談、会議、調査よりも、むしろ、ホノルルの印象に始まり、富士山の印象、関東震災後の東京、横浜、芸者による接待やら、鎌倉見物、日光見物、京都見物、奈良見物、神戸、下関、南京、天津、北京、漢口、ソウル、釜山の印象、や、万里の長城見物、中国各地の名所旧跡の印象や、満州の各都市、旅順、大連、奉天、長春、ハルビン、チチハルなどの印象、などを旅行者として描写している部分だと思う。

接待側が良かれと思って趣向を凝らした、伝統芸能の披露にも、退屈であった、などの正直な感想を述べている。

現在、帝国主義の時代は終わったといえども、アメリカの「正義」による主権国家への武力占領や、イスラエルによるヨルダン川西岸地区での「壁」の建設など、は今も着々と進んでいる。

これらの事実とあわせて、この著述を読むとき、この当時の、日本、満州、朝鮮、中国が、訪問者から見てどういう「印象」だったのかを知ることは、とても興味深いことである。

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マリンスタジアム初戦勝利
2006年03月28日(火) 23:54
とりあえず、マリンスタジアムでの初戦、なんとか勝利。
これから巻き直したいところです。

清水直行、藪田、小林雅英は無難で、完封リレーでしたが、打線が今ひとつ乗らないですね。
ファイターズ8安打に対し、マリーンズ5安打では。。。

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里山再生 洋泉社新書
2006年03月27日(月) 17:03
洋泉社新書から出ている「里山再生」田中淳夫著を読む。


出版社がマイナーだからか、今まで気が付かなかった本である。
ノスタルジーや、都市住民の独善的願望ではない、里山を巡る本質的で、実際的な問題について、わかりやすく概説されている。

著者はもちろん「里山」の社会システムとしての機能の礼賛者ではあるが、ブーム的、感情的な「里山保全運動」に対しては冷ややかに見ている。
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バーンは使い物にならん
2006年03月26日(日) 16:22
バーンはダメだな。

3本もホームラン打たれて。
昨年の実績からして、大丈夫なのか?と心配してたが、やっぱりダメじゃん。
昨年の6人の10勝投手のうち、セラフィニの分の勝ち星をどうやって稼ぐか。
手嶌や内では荷が重いだろう。
ジョニーの本格復活か、久保のさらなる安定、と、残りのWBC組の先発陣が昨年以上の成績をあげることが大前提。
薮田か藤田、どっちか先発に回さないと、辻褄が合わなくなってくるのでは。

今からでも別の外人を探した方がいいかも。

しかし、WBCに先発投手3人を出したのは名誉ではあるけれど、困ったことだなあ。

王さんにしてやられたかなあ。

9回に3点取ったのが、せめてもの光明か。
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パシフィックリーグ開幕
2006年03月25日(土) 23:50
パシフィック・リーグ開幕しましたが、

テレビ朝日の3試合生中継というのは、何が何だか集中できず、わけのわからない放送でした。

やはり久保には荷が重かったか。
でも、頑張ってもらわないといけないのだが。
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藤沢周平「消えた女 -彫師伊之助捕物覚え-」
2006年03月24日(金) 23:05
藤沢周平の「消えた女 -彫師伊之助捕物覚え-」を読む。おそらく4読目か、5読目か。

イメージがないので、YahooBooksから


さすがに、4~5読目となると、ストーリーの展開というよりも、細かい登場人物の描き方、町の描き方、町の名前や、細かい台詞、など、細部に気を止めながら読むことになる。
伊之助が歩く道について、江戸の町絵図を見ながらたどるのも面白い。

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浅田次郎「五郎治殿御始末」を読む
2006年03月23日(木) 23:12
浅田次郎の「五郎治殿御始末」(中公文庫)を読む。

「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞した、浅田次郎氏については説明不要と思うが、現代小説で確固たる地位を築いたのち、「壬生義士伝」以来、独特の、明治初年から幕末・江戸時代を見る視座の語り口で、今までにない味わい深い時代小説を描いている。

この「五郎治殿御始末」は6編からなる短編集だが、各編の物語の登場人物や、場所には関連性はないが、いずれも、話者の立つ時代設定は明治初年におき、江戸時代を見る形になっていて、江戸の価値観と明治の価値観の齟齬が生む出す、ドラマを見事に掬い取っている。

明治初年の人間像と旧幕時代の奇縁というようなものの織り成す綾を書いた作家としては、もちろん山田風太郎のいくつかの作品があるわけだが、浅田次郎の筆致と味わいは、もちろん山田風太郎風味とはまったく違って、新鮮である。

贅沢にも、この文庫には地図エッセイスト今尾恵介氏による、幕末・明治初年のカラーの「御一新前後 江戸東京鳥瞰絵図」が差し込みで付属している。
絵図そのものも、とても美しく楽しめるし、もちろん作品を読む上での助けにもなる。
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ワールド・べースボール・クラシック 決勝
2006年03月21日(火) 23:38
もはや、何も書くことはないかもしれない。

1次リーグの台湾戦のチケットは試合の1週間ほどまえに買えたし、当日も東京ドームの三塁側はガラガラだった。

しかし、3年後のワールド・ベースボール・クラシックでは、もはや、試合前にチケットがある、などということはあり得ないだろう。

今回、代表メンバーに召集打診を受けながら、自らの意思で、出場を辞退した選手は、残りの野球人生が如何に栄光に満ちたものであろうとも、一生の悔いを残すことになるだろう。

当然、優勝は日本人として嬉しいが、野球ファンとして、今回のワールド・ベースボール・クラシックの想定外の成功は、さらに嬉しいことである。

ワールド・ベースボール・クラシックが、これほどの「ヴァリュー」を持つことを、MLB関係者も、日本のマスコミも、私を含む日本のファンも誰も予想していなかっただろう。

チーム・ジャパンの各選手、出場の機会が少なかった、わだべんちゃん、宮本、谷繁、馬原、他、全選手、コーチ、監督にお礼を言いたい。

また、チーム・メキシコの各選手にも謝意を述べなければならないだろう。

そして、ジャパンをここまでのポテンシャルに引き上げてくれた、韓国チームに心からの敬意と感謝を捧げたい。

最後に、今回の大会を衆目の注視する大会に仕立て上げた、最大の功労者である、ボブ・デビッドソン審判員に、言葉に言い尽くせないほどの最大の感謝の意を捧げる必要があるだろう。

ボブ・デビッドソンによって、チーム・ジャパンは団結し、精神的底力を発揮でき、優勝を勝ち得たと思う。

日本の野球殿堂入りをしていただいてもよいだろう。
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山本周五郎「ながい坂」四読
2006年03月20日(月) 22:20
おそらく、四読目になると思うが、久しぶりに山本周五郎の「ながい坂」(上)(下)を読む。
浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだ後で、軽いものを読みたいと思っていたのになぜか、また、重いものを選んでしまった。

おっと、Amazonには表紙写真がないですね。紀伊国屋から持ってきましょう。


現在、我々は、周五郎以外の時代小説にたくさん触れる機会を得ることができるので、立身出世成長物語もさまざまな作家の文体の中で出会うわけです。

そういう体験を経た上で、改めて山本周五郎に戻ると、特にこの「ながい坂」のような、武家青年の成長出世物語タイプの小説は、「樅ノ木は残った」や「虚空遍歴」などとは違って、類似タイプと言える類型が他の作家に多くあるので、客観的な比較の中で読む形となる。

特に四読目、ともなると、ストーリーのゆくたては、覚えているから、勢い、こちらの体勢も、いささか粗探し的な、読み方をしていると思う。

三浦主水正(もんどのしょう)は、たいへん魅力的で、この長編を引っ張って行くのに十分な人物造形を持っている。
滝沢兵部も良い、つる も良いし、ななえ も良い、大造も良い。そして、藩主飛騨守昌治も良い・・・。
・・・のだが、それ以外のバイ・プレイヤーについては、もう少し整理が出来たのではないか、という気がする。

登場人物をもう少し人数的に絞り込んで、それぞれに強烈なキャラクターを与えれば、もっと「生きて」来る人物が敵側、味方側双方に作れたのではないか、という点が勿体無い。
これは両派若手藩士たちにも、両派重臣たちについても、両派御用商人たち、また、師たちにも、米村家や伊平を始めとする農村の人物たちについても言える。

また、両親と弟はもう少し物語の流れに、ポジティブな方向にもネガティブな方向にも生かす方法はあったのではないか思うが、あまりにあっさりと語られていて、その「隔絶」したところこそが主水正のキャラだとしたら、逆に、弟が新畑に再登場するエピソードは不要だ。

また、前半であれだけ紙数を割かれた「捨て野」への井関川からの堰による引水、新田開拓について、結局、最後は、工事の順調な進捗を仄めかすだけで物語りは終わっており、堰の成果がどうなったのか、は、前半に割かれた圧倒的紙数からすれば、少し物足りない感じがある。

いずれにせよ、奥野健男氏の文庫解説にもある通り、「主水正の出来過ぎ」は少しあんまりだし、可愛気がない。

また、権力への執着ということと、撤去された橋への反骨というテーマは、どこかで整合性を取らないといけない主題で、主水正という人物の拠って立つところがわからなくなってしまうと思うのだが、スタートラインであった撤去された橋への反骨から、主水正が「選んだ」道は、「立身出世」ということではなかったのか?

前半の、藤明塾ではなく「私はどうしても尚功館へあがりたんです」と言う阿部小三郎のモティベーションは自己研鑽とか、人物成長というよりも直截に「立身出世」にあると思うだが、後半になると、「立身出世」は脇に追いやられ、結局、主水正は、「何をやりたかったのか」という部分が弱くなってくると思う。

主水正の独白の韜晦は同じところを逡巡しているようで煩わしく感じる部分もある。
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ワールド・べースボール・クラシック 準決勝
2006年03月19日(日) 23:15
まあ、ここまで、書いてきたので、今日、言及しないのも不自然なので、引き続き掲題の件、書きます。

6-0の圧勝。

溜飲を下げました。ね。

李承が前日に「日本に3連勝は、正直言ってキツイ」というコメントをしてましたが、やはり、3回もやれば、何とかなるものです。

ワンサイドゲームで、しかも、ホームランが出た、という形と、9回の大塚の締めが、また良かったですね。

決勝戦の結果如何に関わらず、今回、WBCに参加した日本の選手たちは、彼らの野球人生の上で、何がしかの「ちから」を得て、一歩、階段を上がったことは確かだと思います。

福留、今まで良いところなかったから、良かったです。

fukudome20060319.jpg

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奇跡は起きた。ワールド・ベースボール・クラシック二次リーグ
2006年03月17日(金) 14:44
うーむ。
まさか、アメリカがメキシコに負けるとは。
日本はアメリカが2点以上を失い、メキシコに負けた場合に、準決勝進出のチャンスがあったわけだが、まさにそのギリギリの2-1での辛勝。
メキシコの大金星。
しかも、またもや疑惑の判定で、ホームランを二塁打とジャッジされたのに、タフなゲームを勝利してくれた。

でも、何だか、4強進出って言っても、1勝2敗じゃあ、ちょっと恥ずかしいなあ。
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浅田次郎「蒼穹の昴」(1)(2)(3)(4)を読む。
2006年03月17日(金) 11:22
浅田次郎の「蒼穹の昴」(1)(2)(3)(4)を読了。



清朝末期のいわゆる「戊戌の変法」を軸に書かれた大作。

作者本人も「私はこの作品を書くために作家になった。」と言っているそうなので、渾身の大河作品といえるだろう。

満漢全席の極上の濃厚な味の料理を、3食10日間連続で食べたような感じで、確かにとてもおいしくて、満腹だけれども、ちょっとしばらくは、薄味のコンブ茶漬けだけにして下さい、という感じ。

登場人物は、実在の人物も、作者創作の人物も皆、魅力的である。
一応主人公と言えるのは、難関の科挙を1位の成績で突破する梁文秀と、梁文秀と同郷の極貧の少年、季春雲。
他、光緒帝載湉、西太后こと慈禧、季鴻章、康有為、譚嗣同、袁世凱、などは歴史上実在の人物である。
史実では「戊戌の変法」とその失敗である「戊戌の政変」で、「変法」派の首謀者とされている人物の中に、康有為、譚嗣同、と並んで、梁啓超の名がある。
変に敗れた後、日本に亡命しているし、おそらく、この小説の梁文秀は、梁啓超をモデルとしてかかれているのだろう。
実際の梁啓超は、科挙は広東郷試に合格したところまでで、作中の梁文秀のように、中央の進士まで進んではいない。
広東に追放されてきた康有為に出会い、大いに共鳴して、譚嗣同とも知己となり、変法の必要性を説くが、それは実際の梁啓超の場合、市井のジャーナリストとして、であり、作中の梁文秀のように中央官僚になるわけではない。

まあ、そんなことはどうでも良く、史実上の人物、創作の人物ともとてもよく描かれていて、魅力的に勇躍している。

中でも、季鴻章は実にカッコいい。
西太后についても、彼女の人間的な懊悩を共感をもって描くことに成功していて新鮮であった。

もちろん、中国語読みでのルビがふられ、通称、字名、職名、で、様々に呼ばれる多くの登場人物は煩瑣に感じられることは確かだし、もっと人物やエピソードを刈り込んで、スマートにすることもできただろう。
作者の強い思い入れが、「盛り込みすぎ」に繋がっている感じがすることも否めない。
また、いずれにせよ、清朝は滅亡に向かうわけなので、主人公たちの栄達も滅亡への階梯に過ぎず、その点での虚無感は如何ともしがたい。

そんな事も認めた上で、なお、この作品が、現在のところ、浅田次郎の最高傑作であることは確かだろうし、煩瑣に感じられるとは言っても、それらを乗り越えて、一気に読ませる牽引力はある。

中国語訳もされているようで、「慈禧秘史」の訳題名で、台湾のオンライン書店に見ることができる。


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ワールド・ベースボール・クラシック 二次リーグ韓国戦
2006年03月16日(木) 13:03
今、3/16 13:05、4回表が終わったところですが、渡辺俊介、粘ってますが、パク・チャンホも良いみたいですね。
いきづまる試合展開です。
岩村は今江と交代してしまったけれど、どこか痛めたのかな。
今江の日本シリーズ・ドリームの再来に期待。

継投と、ホームランで決まるかも?

14:55
うーむ、やはりダメだったか。
ダメだなあ。
ダメだ。
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ワールド・ベースボール・クラシック・二次予選(2)
2006年03月15日(水) 11:53
韓国、強し。
季承、5試合・5ホームランはスゴイ。
もう脱帽です。

韓国プロ野球(国内リーグ)は、ビジネス的には苦戦傾向ということだったのだが。。。

トリノ・オリンピックの成果もスゴかったのだが、韓国人のこの精神力は一体なんなんだろう?

人口4700万人で日本の半分以下だが、サッカー、野球、オリンピック、でも素晴らしいパフォーマンスを見せている。
しかも兵役もこなして。
2005数学オリンピックでも、1位-中国、2位-アメリカ、3位-ロシア、4位-イラン、5位-韓国と(日本:8位)健闘を見せている。

korea20060314.jpg


メキシコ戦の速報も入り、小笠原2点タイムリー、里ちゃん2ランホームランなど、気分一新。
satozaki20060315.jpg


9回大塚はランナー2人も出して、ひやひやしたが。
もう少し点差をつけたかったところだが、まずは一勝。
最悪のケースだけは避けられたことを良しとしなければならないだろう。

是が非でも韓国には勝ちたいものである。
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国立国語研究所の「外来語言い換え提案」
2006年03月14日(火) 12:24
国立国語研究所が外来語の言い換え提案をしていたが、このたび第4回目の提案の提案がまとまり、合計176語の言い換え提案が示された。

五十音順のリストはこちらに

ドイツ語では、元々の言語の性質として、基礎語を連接して新語を作ることが一般的で、また、ナチス時代に外来語のドイツ語置き換えを意図的に促進したこともあって、外来語を言い換えることが定着している。

日本語も、もともと、ヤマト言葉に、漢語を受け入れて来ている伝統もあり、新語を造語するのは得意な言語であった。
明治初期には、沢山の新造語が作られたのだが、戦後は、戦中の極端な「適性用語排斥」の極端な反動として、カタカナ外来語がありがたがられる風潮を生んだと思う。

しかし、「電卓」が最後の新造日本語かな…と思っていたが、「ケータイ」も定着した。

今回の国立国語研究所の取り組みも、基本的には歓迎するものの、結果として出された言い換え案の中には、「これ定着するのかな?」と不安なものも少なくない。

五十音順にざっと見ると、
アーカイブ → 保存記録
アクセス → 接続、交通手段、参入
アジェンダ → 検討課題
アメニティー → 快適環境、快適さ


と、いった感じで、なぜ、今までカタカナを使っていたのか、そのこと自体が不思議な言い換え可能語もたくさんある。

ただ、本当にこの言い換えで、我々が今使っているニュアンスを表現しきれるのか?というものもある。

ツール → 道具
インパクト → 衝撃
ブレークスルー → 突破
ボトルネック → 支障
コンセプト → 基本概念
アミューズメント → 娯楽

など、「確かにそうなんだけど、どうも、ちょっと足りない感じ」が残る。
言い換え案の方の日本語が、既に日本語として人口に膾炙しているものだと、逆に違和感があるのかもしれない。

ライフライン → 生活線
など、今までにない新造語の方が良いかもしれない。

また、言い換えで、果たしてわかりやすくなるのか?
というものも少なくない。

オンデマンド → 注文対応
シェア → 占有率、分かち合う、分け合う
ライフサイクル →生涯過程
ミスマッチ → 不釣合い
マクロ → 巨視的な

など、却ってわかりにくくないか?、というものもある。

・・・とはいえ、最初っからそう言ってくれ!
という言葉も多く、やはりカタカナ語崇拝の悪癖はあるなあ、と思う。

ソリューション → 問題解決
フレームワーク → 枠組み
デリバリー → 配達


ここ数日、書いた言葉もいくつかあり、
バイオマス → 生物由来資源
コージェネレーション → 熱電併級
・・・だそうである。
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ワールド・べースボール・クラシック 二次リーグ
2006年03月13日(月) 14:10
ワールド・べースボール・クラシックの二次リーグ、初戦アメリカ戦は、どうにも後味の悪い結果であった。

8回の西岡のタッチアップについては、いったん、アメリカ・ベンチからの西岡の離塁が早いというアピールを、最も一番近く目視できた二塁塁審が却下したでのある。

これで、結審である。
アメリカ・ファンも含め、誰もがそう思ったはずだ。

それを、監督からの再抗議で、判定が覆り、西岡の離塁が早いとしてアウトになって決勝点を逃した。

確認を求めるアピールに対して、審判がタッチアップ有効を確認したのである。
その判定が抗議で覆るとは。

060313ohKYD00129.jpg


岩村のフライは浅かったが、西岡はホームへ余裕でセーフだったので、もし本当に離塁が早かったのだとしたら、西岡の離塁そのものも悔やまれる。

この悔しさをなんとしても残る試合で晴らして欲しいものだ。
残り全部勝てば、もう一度アメリカと対戦できるのである。
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オーケストラ・ニッポニカ 大澤壽人 演奏会を聞く
2006年03月12日(日) 23:40
オーケストラ・ニッポニカ第9回演奏会、大澤壽人(おおざわひさと)交響作品展を聞く。
設立演奏会のピアノ協奏曲第3番も凄かったが、今回の交響曲第2番、ピアノ協奏曲第2番も、凄かった。

nipponica9.jpg


ピアノ協奏曲第3番はニッポニカでの蘇演を経て、ナクソスからCDが出たが、今回の曲目も、是非CD化してもらいたいものだ。


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バイオマス・エネルギー
2006年03月11日(土) 22:22
バイオマス・エネルギーに関して、いろいろ参考文献を探して読んでみると面白いですね。

今のところ読んでいるのは、

木質バイオマス発電への期待


バイオマス・ニッポン―日本再生に向けて


など読み始めていますが、バイオマス・エネルギーはもっと注目されて良いと思います。

バイオマスの場合、単純に発電だけではなくて、熱源供給を組み合わせた、コージェネレーション・システムの方が良いようですね。

それと、発電用途だけでなく、メタノールを得て、自動車等の燃焼燃料の代替も視野に入りますし、石油由来の素材(まあ、いわゆるプラスチック類)の代替でも、環境負荷効果は期待できるようです。
愛・地球博では、トウモロコシ由来のコップやお皿が活躍してましたが、ああいう類のものですね。

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安部龍太郎「生きて候」を読む-2
2006年03月09日(木) 14:53
さて、それで、肝心の「生きて候」だが、安部龍太郎氏は、既刊の「風の如く水の如く」でも「関ヶ原連判状」でも、今まで戦国史の「脇役」だった人たちを「主役」にして、新鮮な視点で「戦国史」を切り取ることに成功していると思う。

その意味では、主人公を本多政重に選んだ、というのは、またとない慧眼というほかないのである。

本多政重は、家康の参謀、本多正信の子であると同時に、関ヶ原では西軍主力の宇喜多秀家軍に加わり、幕藩体制確立にあたっては、最大の外様大名加賀百万石の筆頭家老に就任するわけで。

戦国史のレポーターとしては、フィクションで作ったような面白い人物なのである。

しかし、「生きて候」の中での本多政重の「生き様」は、なかなかストレートには読む側の共感を得る主人公として描かれていたとは思えない。

また、
前田利家の命を受けて、朝鮮の最前線を視察する。
上杉征伐への徳川家康の進軍中、水口城での暗殺計画を家康に知らせる。
関ヶ原前夜、大谷吉継の来訪を受け、翌日の必敗を示唆される。
関ヶ原戦後、流亡中の石田三成に近江山中で出会う。
おなじく、流亡中の宇喜多秀家にも再会できる。
宇喜多秀家の薩摩逃亡のために、薩摩を訪問している。
近衛信尹とも自由に会える。
などなど、ちょっと都合良すぎないか?という面もある。

要するに、前田利家、宇喜多秀家、徳川家康、近衛信尹、石田三成、らと、自由に会い、悉く彼らの信奉を得る、という、あまりにも進退自在なオールマイティーな人物設定になっている。
そして、愛馬も含め、戦働きもまた超人的である。
あまりにも、スーパーマンなのである。

この、あまりなスーパーマンが、結局、彼は「生きて候」えた結果として、何を目指そうとしていたのか、拠って立つところは何だったのか?

そういう部分が今ひとつ、明確に伝わって来ないのである。

この小説では、宇喜多秀家との主従関係に軸が置かれ、彼の他の主人たち、徳川家康、父本多正信、前田利長、大谷吉継、福島正則、上杉景勝、らとの人間関係はそれほど踏み込んでは(あるいはまったく)語られてはいない。

個人的には、本多政重に関して書くのであれば、前田家の筆頭家老としての活躍にも紙数を割いて欲しかったところであるが、この小説はエピローグの中で触れているだけである。

前田家は利長に代替わりした時に、家康に因縁つけられ、芳春院を人質に出すというところから、最大の外様大藩として生き残るべく、いわゆる「加賀八家(かがはっか)」と称する、重臣たちが執政していくわけだ。
この八家の選抜には、並々ならぬ苦心が現れている思う。

石高巡に、
本多家 50,000石:本多正信の二男本多政重を家祖とする。
長家 33,000石:前田家が能登加賀に入る前からの畠山氏に仕えていた地生えの一族である。
横山家 30,000石:幕府との折衝に活躍した。
前田対馬守家 18,000石:家祖の前田長種の妻は利家の長女である。
奥村河内守家 17,000石:家祖・奥村永福は、利家と辛苦をともにした前田家の柱石。奥村家は利家以前からの前田家譜代重臣。
村井家 16,500石余:家祖の村井又兵衛は、利家尾張時代からの家来。
奥村内膳家 12,000石:奥村家の分家。
前田土佐守家 11,000石:利家の二男利政は関ヶ原で西軍見方を疑われて改易されるが、その子を取り立てたもの。藩主家は利家三男の利常が継いでいるから、藩主家からみれば兄筋にあたる家。

と、一族親戚家、尾張時代からの譜代忠臣、能登地生えの家、そして徳川家の縁者、というふうにバランスを取った八家となっている。

その中で、本多重政は、前田家譜代の重臣、利家一代勃興の功臣、親族家を押さえて、いきなり、50,000石という破格のヘッドハンティングで、筆頭の取締役として前田家に迎えられたのである。
この政長と、譜代家臣たちとの関係や、利常、光高、綱紀と三代にわたる主君との関係、政長の執政家としての手腕など、興味が尽きないのだが、これらのことには「生きて候」では触れられていない。

関ヶ原合戦前後を中心とした戦国史をルポルタージュさせるには、進退自在の本多政長を戦場カメラマンとして位置付け、彼の視線を借りて、ルポルタージュを見せてもらうことは、すごく意味があるのだが、そこで描かれるのは、主体としての「人間:本多政長」ではなく、報告者・目撃者としての本多政長なのである。
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安部龍太郎「生きて候」を読む
2006年03月08日(水) 11:31
安部龍太郎の「生きて候」(上)(下)を読む。



主人公は徳川家康の懐刀本多佐渡守正信の次男で、かの本多上野介正純の弟であるところの、本多政重である。

本多政重は非常に興味深い人物だが、彼に関する著述は驚くほど少ない。
インターネット検索をしてみても、本多政重について、突っ込んだ記述をしたサイトは案外ヒットしない。

簡単に本多政重の略年譜を書き出してみると・・・

天正8年 1580年、本多佐渡守正信の次男として生まれる。兄、本多上野介正純とは15歳の年の差がある。
天正20年 1592年 12歳、倉橋長右衛門の養子となる。長五郎と称す
慶長2年 1597年 18歳、秀忠の乳母の子、岡部庄八を斬り、出奔。徳川家を離れる。
同年、大谷吉継に仕える。
慶長4年 1599年 備前国主・宇喜多秀家に2万石で召抱えられ、明石掃部全登とともに、宇喜多軍の柱石となる。
翌慶長5年 1600年は「関が原の合戦」。本多政重は宇喜多軍先鋒、西軍主力として奮戦。しかし敗戦し、前田利長、小早川秀秋に招かれるが、断っていったん高野山に入る。
しかし、同年 安芸広島の福島正則に3万石で仕える。
慶長7年 1602年 福島家を退身し、加賀前田利長に3万石で仕え、山城守を称する。
慶長9年 1604年 前田家を辞し、米沢上杉家の直江兼継に婿養子として迎えられ、上杉景勝の偏諱をもらい、直江大和守勝吉となる。
しかし翌慶長10年 1605年に妻の直江兼継の娘(於松)が死去。
慶長14年 1609年 直江兼継の姪である大国実頼の娘(阿虎)と結婚。
直江兼継の養女とした上で、再婚しているから、この段階では、直江兼継の継嗣と扱われていたものと思われる。

翌慶長15年 1610年に、阿虎との間に政次誕生。政重このとき31歳。当時の武将としては、大変遅い子の誕生である。
待望の直江家継嗣誕生にも関わらず、翌年慶長16年 1611年 上杉家を退身し、妻子を伴い米沢を去り、加賀前田利常に3万石で仕える。知行も立場も筆頭家老である
慶長18年 1613年 前田家は幕府から越中新川郡の領地返上を求められるが、政重の奔走で白紙に。
この功で、2万石の加増(5万石)と小松城の預り(城主待遇)を打診されるが遠慮辞退。
慶長19年 1614年 大坂冬の陣に前田利常の先陣として出陣。真田丸攻防戦に参加。
慶長20年 1615年 従五位下安房守に任ぜられる。(それまでの安房守は通称か?)
翌元和元年 1616年 家康死去、父本多正信死去。政重江戸に出る。
元和5年 1619年 二男政久を人質として江戸に差し出す。
寛永3年 1626年 長男政次に、初孫の朝政が生まれる。
寛永4年 1627年 長男政次が18歳で死去。同年、妻阿虎死去。西洞院時直の女と再婚。
寛永8年 1631年 五男政長誕生。52歳での子である。
寛永9年 1632年 次男政久、本多忠純(政重弟)の跡を継ぐ。 しかし、同年、政久が死去。本多正信の功により政久の遺児(3歳)に政久の跡を継がせ本多忠純家存続が認められるが、翌寛永10年に、その政久の子も死亡し、本多忠純家は断絶。
同年、三男政朝が別家5000石にて江戸に召し出され、旗本となる。
寛永16年 1639年 前田利常隠居、前田光高相続。
正保3年 1646年 五男政長が、前藩主前田利常の女・春姫と結婚。長男政次、次男政久ともに亡く、政長を嫡子と決めていたものと思われる。
正保4年 1647年 3月、68歳にして、政重、ようやく致仕し、政長に相続。その3ヵ月後、6月に死去。享年68歳。

実に謎多き、不可思議な人生と言わざるを得ない。

最終的には、加賀100万石前田家の筆頭家老として、5万石という陪臣としては全国最高の禄高を得て、その家はそのまま幕末まで続くわけである。
他に類例のない、ユニークな人物である。

本多政重が徳川家を出奔する1597年というのは、第二次朝鮮出兵・慶長の役の最中であり、翌年1598年に秀吉が死去している。

天下の覇権は徳川家康に大きく移行していくことが見えており、そういう時代背景の中である。

大谷吉継、宇喜多秀家といった反徳川の旗幟が鮮明な家に召抱えられているが、これも、召抱える側の意図も、それを黙認した徳川家康&本多正信父子側、また政重自身の真意も、よくわからないのである。

宇喜多家にあっては、関が原の合戦で、宇喜多軍主力として、徳川方井伊軍と真正面から戦っている。

これだけの利敵行為をしながら、徳川政権側から、何の懲罰も与えられていない点も不思議である。
よく、この時期、故あって大身の家臣が退転すると、いわゆる「奉公構」と称して、他家への仕官を禁ずる例が多い。
黒田家と後藤又兵衛基次のケースなどは「奉公構」であった。
そんな中で、本多政重の場合は、実に自由に遊泳することが、徳川方からも反徳川的立場の大名家からも許されているのである。

そして、関が原戦後は、福島正則家という、これもまた徳川家にとって非常に難しい家に仕官している。
宇喜多家を浪人したのは、主家が滅亡してしまっているから仕方ないことだが、いずれも2年ほどいて、他家に移っている。
前田家から、上杉家への転出も異様な話である。
いずれもケースでも、端武者としての捨扶持ではなく、実質的にその家の舵取りを任される筆頭家老のポジションで移動しているのである。
飾り物の名誉職ではなく、実際に藩政に深く関与しているのである。
直江家から前田家に戻る経緯も謎に満ちている。
なぜ? どういうつもりで?
これらの徳川政権にとって敵性の高い大名家を渡り歩きつつ、しかもその家で第一の家臣となっている。
一方で、本多正信家と縁が切れてしまっているのか、というと、正信三男の本多忠純家に養子を出したりしているので、縁が切れているわけでもない。

反徳川、というポリシーで、政重の行動を理解しようとしても、関が原までは説明がつくが、宇喜多家で行動をともにした明石全登が、大坂の陣では大阪城に入るのに対して、本多政重は、徳川軍の一翼としての前田利常軍に属して半端ではない働きをしている。

これらの本多政重の一連の動きを、徳川家側、あるいは本多正信が仕組んだ、諜報活動である、と考える向きもある。
確かに秀吉の死から関が原にかけて、大谷吉継、宇喜多秀家に仕え、戦後、福島正則に仕え、そして前田家、上杉家、と徳川家がマークしなければいけない家を数年間隔で渡り歩いているのである。
しかし、関が原では西軍側で遠慮なく大いに働いていて、これは狂言とも思えない。

本多政重を召抱える側の家も、家康の謀臣である本多正信の子にして本多正純の弟、を歴戦のプロパー重臣を飛び越えて厚遇することに、家中からの反発は無かったのだろうか?

しかも各家を数年で移っているのである。

安部龍太郎氏の「生きて候」は、この本多政重を主人公に書かれているが、力点は本多政重と宇喜多秀家との主従関係を軸に書かれていて、大谷吉継家仕官、福島正則家仕官には全く触れらず省かれており、上杉家に直江兼継の継嗣として迎えられることも、エピローグでさらりと触れているだけである。
前田家での家老としての事歴もほとんど触れられていない。

上下巻にわたる多くのページを割きながら、本多政重の視線を通じて戦国史を俯瞰する立場で書かれており、作中の政重は、前田利家、利長、豪姫、宇喜多秀家、石田三成、島津義弘、徳川家康、本多正信、本多正純、井伊直政、ら、を客体として見る立場の、戦国史の良きレポーター、として上手く活用されてはいるものの、主体としての「政重本人の思い」、「拠って立つ所」というものは奈辺にあったのか、という点については、どうも腑に落ちる形では伝わって来なくて、結局、「本多政重とは何物だったのか?」という素朴な疑念に、明解な解答を示してくれる内容ではなかった。

やはり不可解さが残るのである。

・・・本多政重とは・・・?
ということについて、長文を書き過ぎたので、肝心の安部龍太郎の「生きて候」小説そのものについての所感を述べるのは、機会を改めたい。
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日本の山林は無用の長物か
2006年03月07日(火) 14:54
「おじいさんは山へ柴刈に・・・」というのが、里山利用のごく当然の姿でした。
おとぎばなしや、童謡に登場する風景、動植物の多くが里山を舞台として登場するキャラクターたちです。
日本の原風景などと言われるのも、その辺に由縁があるのでしょう。

里山林は、柴刈に行く所・・・であったのは、それほど大昔の昔話ではなく、昭和20年代~昭和30年代のエネルギー革命までは、農山村でごく普通に行われてきた営みです。
比較的山深いところで行われていた炭焼きも「産業」として成立していました。

薪炭に利用されていた樹種は、コナラやクヌギが多く、荒地や原野に入植する際には薪炭利用目的で、人工的に植えられたケースも多いでしょう。

昨日、書いたように、コナラやクヌギなどの落葉広葉樹は林床に十分な日差しが届かないと、若木が成長することができません。

下草刈りはもちろん、一定の期間(20年~30年)ごとに、伐採してやり、更新させることが必要です。

しかし、現在、農山村であるか、都市住宅であるかに関わらず、薪炭をエネルギーに使う、というのは、はなはだ非現実的な話だと言わざるを得ません。

栓をひねれば、ガスに火がつき、スイッチを入れれば電気でお米が炊けるという生活から、七輪やかまどの生活に戻るわけには行かないでしょう。
そもそも、集合住宅では、個人がいくら望んでも、薪炭で煮炊きすることはモラル上も防火上も不可能です。

また、里山の落葉広葉樹林だけでなく、将来の宝の山を夢見て、戦後に植えられた、スギやヒノキも国際競争の中で価値を失ってしまい、放棄されつつあります。

日本は降雨雪に恵まれ、元々森林の多い国柄ですが、この森林の利用はもう未来永劫に不可能になってしまったのでしょうか?

木質バイオマス発電というテーマがあります。

風力発電のモデルをデンマークに求めるとすれば、木質バイオマス発電のモデルはスウェーデンに求めることができます。
スウェーデンは、国土の半分が森林である一方で、化石燃料には恵まれず、水力発電もこれ以上の開発は環境負荷上、限界に達しています。
また、一度は推進し、大きく依存していた原子力発電も、近年、廃棄物処理をめぐる問題から、一転、国策を方針転換し、新しい原子力発電所は建設しないこととし、現在稼動中のの原子力発電所も2010年までに全て閉鎖を決めたり(後に撤回)しました。

しかし、一方で寒冷な気候のスウェーデンは一人あたりのエネルギー消費量は多いのです。

このような環境下で、輸入資源に頼らず、しかも持続可能なエネルギーの確保の道が探られたわけなのですが、そのなかで、バイオマス発電は現在ではスウェーデンの総発電量の20%までを占めるようになっていて、今後そのウェイトは更に高まって行くでしょう。
原子力発電の代替を目指しているそうです。

これらのバイオマス発電所の原料となっているのは、森林から切り出される廃材と、さらに「エネルギー森林」からの供給があります。
「エネルギー森林」とは、バイオマス燃料用に成長の早い樹木(ヤナギの一種)を植えた森林です。

木を燃やせば二酸化炭素が出ますので、二酸化炭素排出という面では、一見、環境負荷が高い気がしてしまいますが、利用する森林が、木材の伐採量≦成長量に保たれていれば、成長する森林は空中の二酸化炭素を吸収しますので、二酸化炭素収支は吸引効果の方が上回るはずです。

再生可能型、持続可能型のエネルギーと言えます。

スウェーデンでは、高い税率の炭素税、硫黄税を課す一方で、バイオマスに関しては、これらの環境負荷税を免税とし、バイオマスの価格競争力を高め、バイオマス利用を推進させてきました。

もちろん、スウェーデンと日本は国土の森林面積はほとんど同じくらいですが、人口が桁違いに違います。

とはいえ、効率の良い木質バイオマス発電機器も逐次開発されており、日本の森林が経済的に全く価値を失ってしまった現在、少しでも利用を模索する価値はあると思われる。

EUの試算では、同じ電力を得るのにかかる設備投資額としては、太陽光発電、風力発電よりも、バイオマス発電が圧倒的に割が良いという指摘もされている。

もちろん農林水産省も「バイオマス・ニッポン総合戦略」を策定したり、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)や、新エネルギー財団もバイオマスに無関心なわけではありません。
電力各社もバイオマス発電に少なからず言及しています。

太陽光発電や、風力発電に比べて関心が薄い状況にあることは否めないと思います。
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里山の雑木林とは
2006年03月06日(月) 21:49
里山の雑木林というのは、コナラやクヌギ、ミズナラなどの落葉広葉樹を中心とする林だが、これを、スギやヒノキを植えた「人工林」に対して、里山の雑木林は「自然林」だと勘違いしている人も多いかもしれません。
しかし、里山の雑木林は、実際には、濃密に人の手が入って管理するシステムの中で初めて出現し得る「人工林」です。

保水性、水源涵養性から、針葉樹の人工林よりも、広葉樹の方が好ましいという話もよく聞きますがあるが、広葉樹と言っても、落葉広葉樹と常緑広葉樹は分けて考える必要があります。

現在の日本の気候では、本州の平野部の林は、放置すると、ナラやコナラ、クヌギ、ミズナラなどという、落葉性の広葉樹林であり続けることは出来ないのです。

照葉樹林帯という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、日本の本州の平野、及びその縁辺の中山間地では、森林は放置すれば、シラカシ、アラカシ、ウバメガシなどのカシの仲間や、クスノキ、タブノキなどの常緑広葉樹に覆われた、冬でも葉が茂った暗い森になります。
これらの木々は耐陰性が強く、暗い森でも若木が育ちますが、落葉広葉樹は耐陰性が弱く、芽を出しても育つことができません。
こういう放置された状態で究極的にどういう状態で落ち着くか、という状態を「極相林」と言います。

日本の極相林は高標高の場所や北日本を除いて、常緑広葉樹林となるのが「極相林」です。
自然の状態、といえば、まあ、これが自然の状態だ、ともいえます。

更地があったとすると、まず、ススキ類が生え、アカマツなどの低木に変わり、ナラ、クヌギなどの落葉広葉樹林に、そして、カシなどの常緑広葉樹林へと、「遷移」していきます。

この「遷移」を人為的に途中の段階で止めて、キープしているのが里山の樹林なのです。

ナラ、コナラ、クヌギ、ミズナラなどの落葉広葉樹は、樹冠を塞がれた暗い森では、発芽しても育つことができません。
落葉広葉樹と常緑広葉樹が混交した林では、放置すれば落葉広葉樹は淘汰され、常緑広葉樹が占拠することになります。

では、里山の落葉広葉樹林はどのように維持されてきたのか、というと、薪炭の原料として、伐採され、切り株から新芽がでる「萌芽更新」という方法で維持されてきたわけです。
20年~30年をサイクルに木を伐っていると、ちょうど、更新サイクルが上手くまわるのです。

木を伐った切り株は樹冠が開けるので、日が差し、萌芽が若木として育つことが出来ます。

昭和30年代にガスが普及するまで、薪炭は当たり前のエネルギーでした。
明治~昭和20年代まで、樹木は、建材用途としての倍の量、エネルギー用途に消費されていたと言います。
樹木に限らず、草地、葭原、ススキ野、竹林、も人に手入れされて管理・利用されていたし、落葉樹の落ち葉も肥料として重要なものでした。

これら、人の営みの手が入って、管理されてきた森林が里山の雑木林であり、「自然林」ではない。

カシの木など、ドングリも出来るし、当たり前の木で、知識のある人でなければ、普通の「雑木林」に見えるかもしれません。
しかし、カシ類の茂った極相林は、落葉広葉樹林との違いに、気をつけて林を歩けば、冬季に明るくなる落葉広葉樹林と違って、動植物の多様性は貧弱であり、どこか薄気味悪いものです。

人間の都合によって、動植物の「あるべき姿」を決めることは傲慢ではとも言えますが、里山としての管理された常緑広葉樹林は人間の生活には、とても居心地の良い林だったのです。

近隣の「里山だと思っていた所」でも、人の手が入らなくなってもう40年くらい経つところが多いのではないでしょうか。
昭和の末期までは、例えエネルギー革命以後、放置された林でも、まだ、落葉広葉樹が見られたと思います。

それが平成に入って早18年。昭和30年代の高度成長・エネルギー革命から、もはや60年以上となると、落葉広葉樹の若木はもはや育っていない場所も多くなっているのではないでしょうか。

そして、経済性を度外視して、責務感から森の仕事に携わってきた人たちも、そろそろ体が動かなくなって来ています。

今、「里山ブーム」なのだそうですが、その一方で、農家林家の高齢化の状況をみると、この数年で、急速に「里山」は姿を変えて行くような危惧を覚えます。

都市住民として何ができるのでしょうか?
行政もこれらの問題にまったく無策なわけではなく、色々と手を打ち始めているが、なかなか特効薬はなく難しいようです。

ノスタルジーや責任感だけではなく、経済性でそこに導いていく施策が必要とされているのだと思います。
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早春の谷津田 2
2006年03月05日(日) 23:27
ワールド・ベースボール・クラシックは、予想通り韓国には苦戦し、対韓戦の負け越しを、さらに広げることになったが、気分が悪いので、これも現実逃避し、今日午前中に谷津田の様子を見に行ったので、その話でも。

2月19日にニホンアカガエルの卵塊を見た時には
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こんな感じでしたが

今日3月5日には、もう
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こんな感じで、オタマジャクシになっていました。
ゴマ粒のようなのが全部オタマジャクシです。

北総里山の各地から漏れ伝わる報告によれば、ニホンアカガエルの卵塊数は、今年はどこも例年よりだいぶ多い感じですね。

ニホンアカガエルは環境省指定の絶滅危惧種ですが、この時期に水の張ってある田んぼがあることが重要です。
ある意味、メダカと一緒で、自然水路があって稲作さえ行われていれば(出来得れば冬季湛水)、生命力自体は旺盛で、容易に復元できるように思います。

しかし、わがフィールドの谷津田では、谷津の上流側隣で稲作をされていた農家の方が、ついには今年は、稲作をやめるとのことで、関係者、皆、頭を抱えていました。上の田んぼが放棄田になると、谷津の下の田んぼへの影響は甚大です。

なんとか、人を集めて、収穫は出来なくてもいいから、田起こしと、田植えだけやってしまって、後は放置でも良いから、4月~5月にかけて、都市住民の人手を確保したなあ、と話してました。

東京近郊の政令指定都市である千葉市内での稲作など、経済原理から言えば、作るより買った方が安いので、拘りで続けている方が営農しているに過ぎず、皆さん高齢化しています。

今、非効率な谷津田、中山間地の棚田などで、稲作を続けているのは、少なくとも幼少の頃に、「機械化、農薬化されていない農作業」を体で経験されている方たちだけでしょう。

トキやコウノトリ、メダカやニホンアカガエルは、マーカーとしては判り易いですが、これらのために、本来保護育成しなければならないのは、圃場整備されない機械化できない田んぼで、夏場の草取りを厭わない農に携わる人です。

「絶滅危惧種」に指定し、なんらかの手を打たねばならにのは、メダカやニホンアカガエルよりも、里山で田んぼをやっている、農家の方です。
今はまだ、高度成長の前の農業を知っている世代の方たちが田んぼに入っています。
ですが、この先、急速に減って行くのではないでしょうか?

平野の米作地帯の稲作農家は採算性もあるでしょうが、特に都市近郊の里山の田んぼは、谷津田も棚田も、狭隘なので、経済効率が悪く、割りに合わなくなってきています。

しかし、都市近郊という利点を生かして、何とか都市住民を巻き込んだ、里山保全に向かえないか、と思っていますが、賛同者がどれくらいいるのか。
まあ、屋外での作業は、きれい事ではなく、夏などは、クーラーに慣れた都市住民には、はっきり言ってシンドイのです。

達成感はありますけどね。
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WBC チャイニーズ・タイペイ戦
2006年03月04日(土) 23:41
やあ、見てきました。

ワールド・ベースボール・クラシック

イチローは他の選手と比べると、どうしたことか、今ひとつ精彩を欠いていますが、それでも生イチローは何かオーラが違いますねえ。

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私の席からの「生イチロー」

とりあえず、2次リーグ進出は決まりましたが、松坂の出来、小林宏之の出来、イチローの調子など、いささか不安は残ります。

「西岡! おまえ、野球、上手いなあ」という、側の観客の野次。
ほんとに、お前、野球上手いよなあ・・・と思いました。
21才、楽しみです。

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re:まずとりあえずは明日の中国戦だが。
2006年03月03日(金) 23:14
幸先の良い大勝。
慶賀の至りである。

西岡、ようやった。


アテネ・オリンピックで、台湾に惜敗した韓国も、今回は雪辱。

松中も2安打と、「短期決戦シンドローム」からは脱出できたようなので、松坂の状態は心配であるものの、明日の台湾戦もこの調子で行きたいものである。

西武・和田や、広島・新井などに出番がなかった、というのももったいない話だ。

明日の台湾戦は観戦の予定。
チケットがオペラかと思うほど高くて驚いた。
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ワールド・ベースボール・クラシック
2006年03月02日(木) 11:31
厳しかった冬季オリンピックも終わり、サッカーも日本がボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦で、危うく負けかけている一方で、クロアチアはアルゼンチンに勝つ、という素晴らしいプレゼンスを見せて、これはなかなか厳しい状況なって来た。

そんなこともあり、視点をそらして、明日からは、ワールド・ベースボール・クラシック
生イチローが日本でプレイするのだから、期待も大きい。
親善試合では、対12球団選抜戦で、松坂が打ち込まれた、という不安はあるものの、戦績だけから言えば、昨日の対ジャイアンツ戦も勝ち、順調とも言える。
ビッグ・イニングが作れるような打線の爆発が欲しいところだが。

しかし、韓国代表チームは、この日本代表vsジャイアンツの前に昼間行われた親善試合の対千葉ロッテマリーンズ戦に7-2と快勝。
マリーンズは日本代表に8人を送り出した上に、福浦、堀、サブロー、ベニー、パスクチらも先発から外れ、飛車角落ち状態と言うか、イースタンの試合か?、というメンバーだったのは確かなのだが。

日本代表はメジャーリーガーは、マリナーズのイチローとレンジャーズ大塚だけだが、韓国チームには投手陣だけでも、メジャー106勝のパドレス朴賛浩パク・チャンホ、ドジャースの徐在應ソ・ジェウン、ロッキーズの金善宇キム・ソヌ、同じくロッキーズの金炳賢キム・ビョンヒョン、レッズの奉重根ポン・ジュングン、メッツの具台晟ク・デソンとメジャーリーガー6枚看板が揃っている。
オリックスにいた具(ク)は今年はまだマイナー契約だが。



打線も昨日5番DHに入ったドジャースの崔熙渉チェ・ヒソプがいる。
3番を打った我らが李承イ・スンヨプも古巣マリンーズの手嶌からホームランを放った。

今回の韓国代表は「ドリーム・オブ・ドリーム・チーム」だそうで、「WBC韓国代表の素顔」はこちらのサイトに詳しく紹介されている。

イチローが言っている「この先30年くらい、アジアでは日本には敵わないと相手に思わせるようなゲーム」というのも、なかなか楽観はできないと思う。

まずとりあえずは明日の中国戦だが。
1次リーグは、首位通過でなくても、アメリカ・メキシコ・カナダ・南アフリカの上位2チームとの、2次リーグでは本当の勝負となるか。
アメリカは仕方ないとして、2次リーグでは、韓国にきちんと勝って、準決勝進出を確実にしたい。
下手に1次リーグ首位通過して、楽勝ムードで2次リーグに臨み、結果アメリカと韓国が準決勝に進む、という形になるのを怖れる。

韓国投手陣の陣容は単にメジャー・リーガーの数だけでなく、韓国国内組含め脅威なのだが、「メジャーリーガーのWBC出場」という意味では、松井秀、城島以外には、どうしても出て欲しかったなあ、という選手も特には・・・。
井口? 松井稼? 田口?
うーん どーなんでしょー?
投手陣に関しても、藪や多田野?、ましてや入来、斎藤隆を今の日本代表に欲しい、とも思わない。

WBC参加辞退、ということの重みでは、台湾チームにとってはヤンキース王建民の辞退の影響は甚大か。
オーストラリアも阪神のウィリアムスが出ないのはオリンピックで痛い目にあっているので、残念なところ。
カナダは、ガニエが出ないのは、2次リーグ突破の上では痛いかも。
ベネズエラは、マリナーズのフェリックス・ヘルナンデス、西武のカブレラ、元ジャイアンツのペタジーニが出ないとは言っても、それでもメジャーのオールスターゲームか、というようなオーダーである。
ベネズエラ、ドミニカ共和国に関しては、何人かの超有名メジャーリーガーが出ないとは言っても、大勢に影響がないスーパーチームだろう。
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日本代表 vs ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦
2006年03月01日(水) 12:31
昨日、ドルトムントで行われた、サッカー日本A代表のボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦、ロスタイムにドローに持ち込んだのは、せめてもの救いだが、試合内容としては中盤での球の支配など、圧倒的にボスニア・ヘルツェゴヴィナの方が格上だったように思う。



ボスニア・ヘルツェゴヴィナはワールドカップには出られないが、前回3位のトルコも出られず、前回日本が予選リーグで対戦したロシアもベルギーも出られないという欧州の状況をみれば、欧州のレベルの高さを感じずにはいられない。

クロアチア戦を想定してのテストマッチということだが、日本のFIFAランキングは、15位から18位に落ちたとはいえ、クロアチアは23位、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは65位だが、どうもこの日本のFIFAランキングは、実感よりも甘い感じがして仕方がない。

アメリカはFIFAランキングを6位に上げたから、アメリカ戦の敗戦は順当だが、41位のウクライナに負け、65位のボスニア・ヘルツェゴビナにようやっとドロー、という流れでは、23位のクロアチア、48位のオーストラリア相手に星勘定をするのは、なかなか難しい。

FIFAランキングは客観的なポイント制で算出されるものなので、恣意の入る余地はなく、そういう実績をあげている、ということなのだろうが、
ドイツよりもランキングが上、というのは、どうもシックリ来ない。

ワールドカップに関して、他の地域から出ている「アジア枠は多すぎる」という意見に対して、きちんと結果を出していく必要があるように思う。

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