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日々の雑学 ●●●
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追悼 吉村 昭(3)「陸奥爆沈」
2006年09月27日(水) 21:32
吉村昭の「陸奥爆沈」は、学生時代に呼んだ記憶があって、私の吉村昭体験のごく初期の作品だと思う。


今回は写真がある、セブン&ワイから

その後「陸奥爆沈」の本は実家からの引越し荷物に見当たらず、でも、持っているはずだ、という思いもあり、また、新潮文庫の初期作品は店頭で見かけることが大変難しくなっていたこともあって、買い直してまで再読することがなかった。

吉村昭の死によって、書店には、追悼!吉村昭の帯の付いた本が、並び、その中に「陸奥爆沈」を見つけたので、これも何かの縁、と今更ながら買い直して、読む。

再読とはいっても、学生時代の事だから、完全に忘れており、初読と言っても良いだろう。

読んで、驚いたのは「戦艦武蔵」や「零式戦闘機」などの<プロジェクトもの>、「大本営が震えた日」のような戦記モノなどを読んでいて、吉村昭の先の大戦時を舞台にした小説は、こういう風合いのものだろう、という先入観があって、「陸奥爆沈」も、当然、その流れに連なる作品だろう、という思い込みがあった。

しかし「陸奥爆沈」は、他の吉村昭小説とは、全くスタイルを異にするものであった。

吉村昭の戦記モノは、もちろん生存者、遺族らの綿密なインタビューを経て、実名で語られる場合もあり、仮名を使う場合もあるが、主人公はあくまで、対象事件の「当事者」である。

しかしこの「陸奥爆沈」は、これを果たして「小説」と言って良いのか、終始、吉村昭自身の一人称で語られて行く。

小説というよりも「ルポルタージュ」そのもの、と言った方が良い形になっている。

アプローチそのものは、もちろん、事件事故の生存者、関係者へのインタビューを柱にしていることは変わりないのだが、取材する著者自身の視線で、全編が綴られている。

これは吉村小説としては、かなり特異なものだと言って良いのではないだろうか。

もちろん、この形は、この「作品」の価値を云々する上で、マイナスに作用することはなく、読者は、ルポライター吉村昭にいざなわれ、「事件」の真相に迫っていく、という意味では、他の吉村作品同様、リアリティあふれる緊迫感のある作品となっている。

そして、やはり、痛感させられるのは、この「陸奥爆沈」が書かれた時代、と現代との隔世の感である。

吉村昭は、爆沈事故発生現場を訪問するところから、インスパイアを得て、事件の全容を調べ始めるのだが、戦艦陸奥乗員の数少ない生存者たちは、もちろん存命で、会うことができているし、紹介されて次々とコンタクトを試みる方たちも、不幸にして鬼籍に入られていて徒労になる、ということはむしろ稀で、将官クラスの世代の方からもインタビューが出来ている。

エッセイなどで、第二次大戦の時期を舞台にした作品を書くのをやめ、幕末を中心とした時代小説の分野に筆を進めていった理由を、生存者に取材できなくなったからである、と書いていたが、まさに、この「陸奥爆沈」を読むと、吉村昭の関係者へのルポルタージュの有り様というものが良くわかり、これでは、書けなくなるのも当然だなあ、という感を改めて強くした。

代表作と言っても良い重要作品を、長らく不読で過ごしてしまった不明を恥じつつ、吉村文学の力強さに、改めて深い敬意を表し、追悼したい。
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