2010年08月30日(月) 22:38
ゼラニウムの仲間は宿根の多年草なので、毎年花を咲かせる。
葉ににおいがあるので、虫にも食われにくく、熱いところの原産なので、乾燥にも強い。 園芸用の普通の花ゼラニウムとは別に、いわゆる「センテッド・ゼラニウム」(においゼラニウム)の仲間は、園芸花というよりも、ハーブの一種として考えられることが多いと思われる。 葉の芳香が魅力で、葉に触るとバラの香りがするローズ・ゼラニウムの他にも、レモン・ゼラニウムや、ライム・ゼラニウム、アップル・ゼラニウムなど、果物のにおいがするものもある。 チョコレートミント・ゼラニウムなんていうものもあったりする。 我が家では、普通の園芸用の花ゼラニウムも各色育てているが、特に愛着を持って栽培していたのが、ローズ・ゼラニウムである。 中1の娘が生まれる前からだから、14~5年は経つのではないだろうか。 その間何度かの転居もあり、環境は多少変わっているが、毎年初夏にはベランダでピンクの可愛い花をつけてくれていた。 夫婦ともにそんなにマメではなく、きちんと面倒を見ていた訳ではないのだが、それでも気丈に毎年花を咲かせてくれていた。 今年の夏は猛暑だったので、気をつけていたつもりだったのだが、ダメだ。 ついに枯れた。 ![]() 多年草とは言っても、木ではないから寿命はある。 猛暑のせいだけではないかもしれない。 寒さには弱いと色々なところに書いてあるが、うちではベランダ放置で14~5年ご無事だった。 根の手入れも本当は毎年してやらなければいけないのだが、ほとんど放置だった。 海外旅行で1週間くらい外出したときも放置だった。 それでも毎年、元気に咲いていたのだが。 うーむ無念。 しかし、差し芽をして発根した子供たちは元気で、ここは第一世代の親はスッパリとあきらめて、子供たち孫たちを育てていくことに気持ちを切り替えるしかない。 同じDNAを持っているわけで。 ![]() 枯れたのが猛暑のせいではないか、と疑うのは、時期を同じくして、ローズマリーも枯れてきたからである。 ローズマリーはシソ科の常緑低木である。 ![]() このローズマリーも5~6年は経つと思う。 ローズマリーも丈夫な植物で地中海沿岸の乾燥地帯が原産だから強い・・・はずだった。 これはもう下から枯れてきているので、まだ緑の残る先端部分を生かし、挿し木で復活させるしかないだろう。 いずれにしても、長年の付き合いだった株が枯れたのは残念だったが、「センテッド・ゼラニウム(においゼラニウム)」の仲間は、葉の香りで楽しめ花も楽しめ、しかも毎年咲くので、ベランダ園芸にはお薦めである。 苗はネットでも買える。 <参考画像:ローズ・ゼラニウムの花> ![]() |
2010年08月29日(日) 21:20
今日は娘がおばあちゃん(義母)のところへ昨晩から泊まりに行っていて、昼間リビングで勉強をしていなかったので、久々にじっくりDVDを見る時間が取れた。
(午後は野球を見ていたけれども、悔しい試合を落とした。) 「坂本真綾15周年記念ライブ at 日本武道館」は坂本真綾15周年記念LIVE「Gift」として、今年の3月31日彼女の30歳の誕生日に、日本武道館で行われたライブを収録したもので、DVD自体は先日8月11日に発売されていて、予約をしていたから、発売日には届いていた。
いつも娘がリビングで勉強しているので、なかなか長いDVDを見る時間が取れなくて、今日まで未見だったわけだ。 私にとって、坂本真綾という存在は、第一義的に彼女自身というよりも、菅野よう子楽曲の「演者」の一人として存在している。 あくまで菅野よう子という存在ありきで菅野よう子を通して坂本真綾という存在を見てきた、と言っても良い。 菅野プロデュースを離れた後のアルバムも買ってきてはいるけれども、お前は「坂本真綾のファン」なのか?、と問われると、いや、ちょっと、そこまで彼女のことを知っているわけではない、と躊躇する気持ちが働く。 15歳でCDデビューし、そのキャリアの初期から年齢不相応な活躍をしてきた彼女も、それから人生を倍生きて、今年30歳、デビュー15年となったわけだが、映画の吹き替えの仕事まで遡ると、もっとずっと前から仕事はしているのである。 坂本真綾のアルバムに対する私のスタンスは「菅野楽曲を聞く」というスタンスで、極端な言い方をすれば他の歌手が歌っていればそっちを聞いていたわけで、坂本真綾である必然性はなかった。 とは言っても良い楽曲が多いこともあって、聞く機会が必然的に増える。 坂本真綾の歌い方もルックスも別に嫌いではない。 歌は上手いなあ、と思っていたし、声も好きだった。 しかし、今回ライブのDVDを見て、実は彼女本人の生身の肉声に接したことはほとんど無かったなあ、と改めて思った。 MCでしゃべるところとか、初めて見たのである。 生身の「坂本真綾」という人物に初めて接した気がした。 改めて、歌上手いなあ、と思った。 菅野よう子楽曲はポップではあるが、決して簡単な曲ではない。音の跳躍も多いし、フレージングも難しい。 しかし、ライブでも音程を外さない。安定している。 Gravityでちょっと怪しくなるところはあったけれども、総じてライブゆえの不安定さが全く感じられないのは大したものだと思った。 全てのアルバムを持っていながら、何を今更、と思われるかもしれないが、今日初めて「坂本真綾のファン」になったかもしれない。 |
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2010年08月27日(金) 22:03
今日はマリーンズが負けてしまったので、時事ネタでも。
毎日のように報道される高齢者の所在不明問題だが、長崎県生き死 ・・・(いや、)壱岐市で、200歳になる男性が戸籍上生存していることが明らかになった。 テレ朝のニュースこちら 文化7年、1810年生まれ。 ショパン、シューマンとおない年だ。 これはまた、桁違いにすごい。 もはやジョークのような話だ。 戸籍は住民基本台帳などと違って、遺族などから死亡届けが出ていないと、役所の判断だけでは抹消することができず、抹消には法務省の許可が必要なため、手続きが煩雑だから放置されて来たのだろう。 続々と100歳超の「書類上生存者」が見つかっているが、これからもまだまだ上手が出てくるかも知れない。 |
2010年08月23日(月) 23:23
今日は娘の部活の女子バスケットボール部は試合の日で、近くの中学校が娘の学校に来て試合があった。
1年生は全員、今日の試合に交代出場させらてそうで、試合デビューとなったようだ。 娘に「ゴールは決めたのか?」と聞いたら「そんなのあり得ない」。 「でも、シュートは打ったんだろ?」、「全然レベルが違うんだよ。2年生が出てたときはシュートも時々打ったけど、1年生に交代してからは、シュートどころか、敵陣に入る前に全部取られちゃって・・・」 娘の中学の女子バスケットボール部は近隣でも激弱だとは聞いていたが、予想よりも随分と激弱なようだ。 1本のシュートも打てないとは、コートの中でウロウロしていただけ、という感じだろうか。 |
2010年08月19日(木) 23:48
ファイターズは毎年東京ドームでの主催試合をやるのが恒例で、今日までの3試合がそうだったわけだが、マリーンズファンも近いので沢山来る。
さすがにマリーンズファンの方が多いというところまでは行かないが、外野は両方ともほぼ満席で互角、内野を入れて、ファイターズ55%、マリーンズ45%くらいというところだろうか。 今年はイーグルスも東京ドームで主催試合があって、それも見に行ったが、ヴィジターで相手を圧する応援を繰り広げるというのは、マリンスタジアムでの応援とは一味違った面白さがあるものだ。 東京ドームはマリンに比べると、チケットも高く、飲み物も食べ物も高いのだが、年に数回のことで、たまには良いのではないか、と思う。 一昨日はあまりの暑さにめげて参戦断念し、昨日は別件で用事があって行かれず、ヴィジターのユニフォームも着ないともったいないので、今日参戦した。 そういえば、交流戦で神宮に行ったのを忘れていた。ヴィジターは3戦目である。 ファイターズ先発は先週やられた高卒ルーキー中村、マリーンズは復帰2戦目の唐川。 両投手とも序盤は出来が良かった。 ![]() 唐川は初回先頭打者の田中賢介にいきなりヒットを打たれるが、そのヒット1本のまま、6回まで投げてしまう。 一方の中村は1・2・3回とヒットは許すが、4回・5回を3者凡退に抑え、終盤まで投手戦かと思われた。 しかし、その中村が、6回今江にセンター前ヒットを許すと、井口、福浦にフォアボールを出し満塁。 6番サブロー、グランドスラム。 投手戦の均衡が一気に崩れた。 7回からファイターズ投手は中村から加藤に代わるが、先頭の的場がヒットで出塁、清田が送って、西岡フォアボール、今江倒れるが、井口の左中間2点タイムリー2ベースヒットが出て2点追加。 続く金泰均にも嬉しいヒットが出たが、2塁走者井口本塁突入するも、森本の好返球でホームタッチアウト。 ファイターズの外野は鉄壁である。 8回には代わったカーライルからサブローフォアボール代走岡田、大松ヒットで1・2塁。 清田のライト前ヒットで2ランナー岡田はホームインするが、1塁ランナーの大松は3塁を狙うものの稲葉からの送球がサードに返って来たときには、まだ2・3塁間の中間くらいを走っていた。 全然ダメである。ファイターズの外野手を甘く見てはいけない。 唐川は7・8・9回、1安打ずつ打たれて4安打だったが、連打はなく余裕の完封勝利。 東京ドームは敵チームのヒーロー・インタビューの音声を場内に流してくれない。 マリンスタジアムでは敵のヒーロー・インタビューもちゃんと場内に放送するのだが。 これでファイターズ戦勝ち越しで、今季年間のファイターズ戦勝ち越しも決定した。 <6回満塁ホームランを打つサブロー> ![]() それと今日、寂しいニュースがあった。 マリーンズの大塚明外野手が、今季限りでの引退と来季のコーチ就任を発表した。 試合後の勝利のレフトスタンドでは、「Go!Go!大塚明!」のコールが繰り返されたが、感極まるものがあった。 今日の大塚明のブログにコメントが出ている。 P、S 今日の試合後の『GOGO大塚明!』本当にありがとう! <大塚明、マリーンズ一筋17年、お疲れ様でした> ![]() ![]() |
2010年08月18日(水) 21:29
釣られた方、ようこそのお運びで。
いや本当に当たったんですよ。 3,000円 3組買ったので、9,000円の投資で、3,900円のバックですが、このところ300円しか出たことがなかったので、ちょっとは嬉しい。 皆さんも同じでしょうけれど、もし3億円当たったら・・・、という妄想代ですね。 会社辞めて、不動産でも買って家賃収入で寝て暮らす、とか、起業した時の会社名は何にしようか妄想するとか、その会社名のドメインが空いているか確認してみる、とかwww、 本当に高額当選が出たら、ブログなどに絶対書きません。 |
2010年08月16日(月) 22:52
私が文庫で手に入る著作は全部読んでいるだろうと思われる作家は、まず、藤沢周平、そして吉村昭、城山三郎の3人なのだが、偶然ながら3人とも昭和2年生まれで、3人ともこの数年で相次いで他界した。
吉村昭の「彰義隊」は吉村最後の長編小説となった。 吉村の作品は、死や骨に執着した初期作品、特異だが動物小説と言っても良い独自の世界を築き上げた、動物を媒介として織り成す人間模様を描いた一連の小説群、そして戦史小説、工事物というか建設物というかトンネルを掘ったりする物、プロジェクト物という意味では胃カメラの開発を扱った「光る壁」とかもくくって、プロジェクト物と言っても良いかもしれない。 そして、重要な漂流小説。実に沢山の漂流者を小説にしてきており、単に歴史小説の中に大くくりに出来ない重要なジャンルである吉村独自の分野である漂流物。 脱獄や逃亡を扱った逃亡物。 そして、これも結構重要な私小説。 それから、円熟期に精力的に取り組んだ幕末期を中心とした歴史小説がある。 「天狗騒乱」、「生麦事件」、今年大沢たかお主演で映画になる「桜田門外の変」、「北天の星」、「長英逃亡」、「間宮林蔵」、「落日の宴-勘定奉行川路聖謨」などなど、枚挙に暇がない。 その中で彰義隊の話というのは、上野の戦いで敗残した兵が三河島村、上尾久村、下尾久村方面へ逃げており、「あとがき」で吉村自身が述べているように、吉村の生まれ育った日暮里に隣接した地域で展開された史劇であり、編集者からも「彰義隊」はどうか、と何度も勧められ、吉村自身も幼少期から近くの古老から彰義隊の敗残兵が逃げてきた話などを聞いており、常に身近な題材ではあった。 しかし「あとがき」に書いてあることのなぞりになるが、吉村が「彰義隊」は長編にはなり得ない題材だと考えていたのは、実質的に「彰義隊」としての戦争が、上野の山を中心に展開され、敗残が決定的になった前後わずか数日間の出来事であるという点である。 東叡山寛永寺の貫主であり、寛永寺に立て篭もった彰義隊に擁立される形となってしまった、輪王寺宮公現法親王、後の北白川宮能久親王の視点で描いたらどうだろうか、と着想したのが、「彰義隊」長編執筆の動機となっている。 輪王寺宮公現法親王は皇族のしかも僧の身でありながら、彰義隊に担がれ、奥羽越列藩同盟の盟主にも担がれ朝敵となって追われ、しかも明治後も生きて、ドイツ留学もして、北白川宮能久親王、陸軍大将、第4師団長、近衛師団長、となり、北の丸公園に今も銅像が建っている人物である。 ![]() この人物ほど数奇な運命を持った人物も珍しいであろう。 新政府軍による江戸進駐は、勝海舟と西郷隆盛の談判が歴史的もクローズアップされており、無血開城されたと理解されているのだが、その裏面史として、彰義隊及び、その敗残兵たち、徳川慶喜、榎本武揚艦隊、奥羽越列藩同盟、会津戦争、箱館戦争がある。 これらをつなぐ重要なキーパーソンとして輪王寺宮公現法親王は重要なポジションにいるのだが、これまで歴史家も歴史小説家も輪王寺宮公現法親王にそれほど着目して来なかった。 その意味では、この吉村昭の「彰義隊」は画期的な幕末裏面史小説と言えるだろう。 今まで相当数の幕末史を扱った小説を読んできて、大抵のことは理解しているつもりだった私だが、この「彰義隊」に描かれている輪王寺宮公現法親王の事跡によって、初めて「ああ、そうだったのか!」と目を開かれる思いをする場面がいくつもあった。 例えば、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れて、船で大坂から江戸へ敗走する際同行した、備中松山藩主老中板倉勝静(かつきよ)、老中格肥前唐津藩世子小笠原長行(ながみち)、伊勢桑名藩主京都所司代松平定敬(さだたか)らのその後の消息である。 自領に帰って抗戦できた会津藩主松平容保(かたもり)などと違い、板倉勝静、小笠原長行、松平定敬ら、西国に領地を持つ大名は、徹底抗戦を主張しながらも、既に自領はに新政府軍に接収されてしまっており、実質兵力としては役に立たない少ない家臣らを伴って、会津、箱館へと転戦していくのだが、彼らの様子も輪王寺宮公現法親王の視点から活写されている。 「彰義隊」というタイトルから、あの短期間で圧倒された上野の戦いを描いてどうするのだろう、と思っていたのだが、輪王寺宮公現法親王=北白川宮能久親王の事跡は実に面白い。 特に明治後も生き残った人物の変転の数奇な歴史というのは非常に興味深い。 相当すれた歴史小説読みの私だが、久しぶりに実に面白い歴史小説を読んだ。 というわけで、「彰義隊」は実質的には輪王寺宮公現法親王の物語なのだが、なぜ題名を敢えて「彰義隊」としたか、については、吉村昭自身が「「あとがき」で語っているので、ここには書かない。
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2010年08月15日(日) 22:39
さて、今日は毎年この時期恒例なのだが、都立大泉高校吹奏楽部OBバンドサマーコンサートの本番であった。
今年は杉並公会堂大ホール。 客席はガラガラなのだが、OBバンドと高校生現役バンドとの合同演奏をやるので、100人以上が乗るステージがどうしても必要で、毎年大きなホールでやっている。 このイベントは基本的に「踊る阿呆に見る阿呆」で、聴く人のことはあまり考慮されておらず、ステージに乗ってナンボのイベントなのだが、今年は自分のオケの本番とか、菅野よう子演奏団体のイベントと重なったりで、練習に全く出られなかったので、聴くだけになった。 終演後、クラリネットの後輩の女の子の肩を叩いて挨拶をしたら「聴きにきたんですか?」と目を見張られて、今日来れるならどうしてステージに乗らないのか?、という驚き方をされた。 聴きに来るだけなんて信じられない!!、気が知れない!!、ということなのだ。 まあ、確かにそうなのだが、打楽器の後輩が頑張っている姿を見ておきたいと思って行ったのである。 第1部はOBバンドステージ 結構、細部も弱音部も合っていて、例年になく整然とした演奏だったように思う。 今年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲に、後輩のOBである長野雄行氏が書いた、吹奏楽のための民謡「うちなーのてぃだ」が選出されたので、作曲者本人の指揮で、この曲を演奏した。 フランツ・レハール 作曲/鈴木英史編曲 喜歌劇「メリー・ウィドウ」セレクション 長野雄行 作曲 吹奏楽のための民謡「うちなーのてぃだ」(作曲者指揮) ロバート・ジェイガー 作曲 ダイヤモンド・バリエーションズ 第2部は高校生現役バンドが、1曲+コンクールに掛けた2曲を披露する。 今年現役はコンクールでA組もB組も銀賞を取った。 万年銅賞の我が母校としては久々の快挙で、さすがにしっかり音が出ていて良く纏まっていた。 ジェイムズ・バーンズ 作曲 ファンファーレとアレルヤ 田島勉 作曲 汐風のマーチ アルフレッド・リード 作曲 春の猟犬 第3部は再びOBバンドによるポップス・ステージと最後にOBバンドと現役の合同演奏。 やはり後輩のOBである三浦秀秋氏が、YAMAHAのNew Sounds in Brassのために編曲した「ロコ・モーション」、「踊る大捜査線」を編曲者本人の指揮で演奏した。 ここ数年、ポップス・ステージは三浦君の編曲の作品のレパートリーがどんどん増えてきたこともあって、三浦編曲を三浦君本人の指揮でやるのが定番化している。 キャロル・キング 作曲/三浦秀秋 編曲 ロコ・モーション (編曲者指揮) アラン・シルヴェストリ 作曲/マイケル・スウィーニー 編曲 バック・トゥ・ザ・フューチャー 松本晃彦 作曲/三浦秀秋 編曲 踊る大捜査線 (編曲者指揮) 長野雄行氏と三浦秀秋氏はリンク先にあるように、もう名前が表に出てしまっている人物なので、後輩の個人名だが伏字にはしなかった。 合同演奏は、まあ毎年いつも大編成の大音量の曲を選ぶわけだが、今年はワーグナー、ローエングリンから「エルザの大聖堂への行列」。 リヒャルト・ワーグナー 作曲/ルシアン・カイエ 編曲 歌劇「ローエングリン」第2幕より エルザの大聖堂への行列 以下、アンコール。 さて、来年は吹奏楽部も創立50周年で、色々と企画が進行中のようだ。 ![]() ちなみに、サマーコンサート2011は、2011年8月7日(日)和光市民文化センター・サンアゼリア大ホール。 ところで、今日のコンサートで高校卒業以来、全く会っていなかった吹奏楽部同期のSWC氏に会った。 同じく同期のAB氏が「今日、SWCが来てるぞ!会ったか?」と言われたのだが、「でも30年会ってないからなぁ、見てもわかんないんじゃないかなぁ」と言っていたら、その瞬間、SWC氏が目の前に現れ、「わかるなー!」とお互い指を差し合って笑った。 18歳の時以来30年経っているわけだが、人間は雰囲気というのは変わらないものだなあ、と感心した。 ![]() ![]() ![]() <終演後ホール前でミーティングをする高校生現役ちゃんたち> ![]() |
2010年08月09日(月) 22:48
今日は娘が部活も塾もない数少ない日だったので、私も妻も休みを取り、午前中3人で「借りぐらしのアリエッティ」を観に行った。
映画を見る前に、メアリー・ノートンの原作「床下の小人たち」を事前に読んでいったことは言うまでもない。
基本的には「小人シリーズ」の第1作「床下の小人たち」だけで良いと思うが、スピラーが登場するので第2作「野に出た小人たち」も読んでおいた方が良い。
「小人シリーズ」はこの後、「川をくだる小人たち」、「空をとぶ小人たち」、「小人たちの新しい家」と続く。 映画「借りぐらしのアリエッティ」の脚本の土台となっているのは、第1作「床下の小人たち」だ。 舞台をイギリスの郊外から、日本「どこでも東京の小金井あたりでも良い」(宮崎駿談)に移している。 しかし、小人たちの部屋の内装や調度類は完全に西洋風で、借りぐらしをしている邸も洋館である。 庭に日本庭園っぽい橋がかかっていたり、引き戸の押入れがあったりするところは、日本建築なのだが、ベースは洋館であり、青森にある「盛美園」をモデルにしているそうだが、美しく出来ている。 物語は基本的にこの邸で完結しており、外部との接触もないので、場所を日本に持ってきたことの違和感はそれほどない。 全体を通じて絵は美しかった。 適度に荒れた庭の風景や、アリエッティの家の屋内、人間の住む邸など。 「佳作」だったと思う。 初めの企画段階から「ジブリ作品代表作ベスト10」とかに入ろうとするような野心作ではないのだろう。 宮崎駿がメアリー・ノートンのこの話はどうか、と提案した時点で、原作が大仕掛けな物語ではないから、ちょっと地味な作品になることはわかっていたはずだ。 そういう原作味わいを生かしつつ、原作があくまでもアリエッティ一家の家族の物語として語られるのに対して、この映画の脚本は少し人間の男の子の視点の方に重心を寄せていて、見る方に感情移入をさせやすくしていることに成功している。 そのことによって、ある意味、原作よりも面白くなっている部分もある。 とはいえ、ちょっと物理的にも1時間40分と短いし、もう少しエピソードを増やして、膨らましても良いのではないか、と感じた。 もう終わっちゃうのか、と、物足りない感じがしたのは事実である。 意外だが、ジブリ作品としては初めての海外アーティストの起用だという、セシル・コルベルの音楽も作品の雰囲気にマッチしていて非常に良かった。 日本を舞台にしていながら無国籍な雰囲気になってアリエッティたちの存在が浮いてしまわないのも、音楽が非常に大きな役割を果たしていたように思う。 監督は、今作が初監督となる、米林宏昌。 ジブリ作品では今までずっとアニメーターとして絵を書いていた人物の抜擢である。 米林宏昌起用の背景などは、公式サイトの鈴木敏夫プロデューサーのコメントなどに詳しいので、そちらをご参照いただきたい。 ジブリ作品はあえて声優を使わないで、生身の俳優さんや、下手を承知でトトロのお父さんに糸井重里を使ったりするわけだが、今作も脇役に至るまで生身の俳優さんで固め、声優を生業としている人は起用していない。 それが吉と出る作品も多かったわけだが、キャラクターの絵までをその俳優さん自身に似せた顔にしてしまうのはどうなのか? アニメにする意味、というものを考えた時には、本末転倒のような感じも受けた。 ほんの二言三言しか台詞のない、スピラーにまで藤原竜也くんを起用して、藤原竜也くんソックリの顔にしてしまっている。 ハルさんに関しては言うまでもない。 あそこまで似せなくても、という感じはした。 ホミリーの大竹しのぶは正直ミスキャストだったのではないだろうか。 おっちょこちょいで慌て者である設定は原作もそうなのだが、非常に慎重なところもある50歳を過ぎた母の役として、実年齢は年齢相当なのだが、大竹しのぶの声は子供っぽすぎる感じに響くところがある。 ジブリ作品は「紅の豚」の森山周一郎とか、「魔女の宅急便」でキキとウルスラ2役を演じた高山みなみなど、声優を主業とする人も、もちろん沢山起用してきているのだが、話題性や作品の重み付けのために無理やり、生身の俳優さんを起用しようとする傾向が無きにしもあらずで、今作は特にそういう印象があった。 まあでも繰り返しになるが「佳作」だった。 感動したし、楽しんだ。もう一度見ても良い。 未見の方は是非ご覧いただきたい。 ![]() |
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2010年08月08日(日) 21:24
今日は朝まで富士五湖の西湖に、大学オケ打楽器パートのパート合宿に行っていたわけだが、11時頃失礼して日比谷公会堂に向かった。
オーケストラ・ニッポニカの第18回演奏会を聴くために途中で帰ってきたのである。 お目当ては、伊福部昭の管絃樂の爲の音詩「寒帯林」である。 この作品は存在自体は有名だったのだが、1945年に満州国の新京(現・吉林省長春)で山田和男(一雄)指揮、新京交響楽団によって初演された後、楽譜の行方がわからなくなっていた作品である。 北京に存在している、という情報もあったりして、S響でもだいぶ以前から、色々なツテを頼って、楽譜の行方を捜索していた作品であった。 伊福部先生自身は「寒帯林」については、モチーフを他の作品に転用してしまったこともあり、捜索復活蘇演にはそれほど積極的ではなかった。 しかし、元々寡作な伊福部作品である上に、先生が亡くなってしまって、新作の誕生の余地がなくなり、「寒帯林」が見つかれば、という思いは強くなっていた。 そんな中、伊福部家で、長男の伊福部極氏が遺品を整理していたところ、Last Proofと書かれた「寒帯林」スコアの写しが見つかったのである。 「寒帯林」発見の経緯は、こちらの伊福部昭公式ホームページ暫定版をご覧いただきたい。 今日のプログラムは、今年3月でいったん公開停止を余儀なくされた「日本近代音楽館」へのオマージュとして、 深井史郎 組曲「大陸の歌」1941/1943 伊福部昭 管絃樂の爲の音詩「寒帯林」1945 深井史郎 「平和への祈り」四人の独唱者及び合唱と大管弦楽のための交声曲 1949である。 深井史郎の組曲「大陸の歌」も満州国にちなみ、満州国で初演された曲である。 「大陸の歌」は既にオーケストラ・ニッポニカで2008年8月3日(日)の演奏会で演奏され、「平和への祈り」も2007年3月25日の第11回演奏会「深井史郎作品展」 生誕100年記念、で演奏された曲だが、どちらも私は都合が付かず、聴けていない曲であった。 「大陸の歌」は満州で初演後、日本内地でも演奏されているのだが、「寒帯林」は満州国で初演されたきりだから、今日の演奏が日本初演である。 深井史郎の作品は私自身も、交響的映像「ジャワの唄声」や「パロディ的な四楽章」を演奏していて、その独創性は知っているつもりだったが、今日聞いた2曲も深井の天才と独創性を改めて確認するものだった。 そして、中プロの「寒帯林」、長年探していた伝説の曲がついに音になった、ということで、感激もひとしおであった。 演奏上は全体的には素晴らしく、大成功だったと言えると思うのだが、「大陸の歌」の第4楽章の最後の一発の音がずれて残念。 「寒帯林」の第3楽章の冒頭部分がちょっとバラバラッとなって残念。 「平和への祈り」は第5部の終結部、なぜか大太鼓がずっとタイミングずれていて、今ひとつしまらず残念だった。 「平和への祈り」の独唱と合唱は素晴らしかった。 マエストロ本名徹二も素晴らしかった。 「寒帯林」はもちろん蘇演に感激したのだが、冷静に楽曲として見てみると、耳に付く印象的なフレーズがちょっと乏しく、タプカーラ交響曲や交響譚詩、ラウダ・コンチェルタータや、リトミカ・オスティナータといった第一級の伊福部作品と肩を並べる作品、と評価するには力不足な感じではあったが、日本組曲や日本狂詩曲程度にはレパートリーとして定着していく曲になるのではないだろうか。 ニッポニカの今日の演奏会の全般的な印象として敢えて気になった点を指摘するとすれば、創設以来苦労されてきたメンバーだから、非常に難しい問題なのだが、管楽器奏者のソロの技量の限界というものが、今後このオーケストラが次のステージに進めるかどうかの課題になってきているような気がする。 ![]() <久しぶりの日比谷公会堂> ![]() <大成功だった演奏会> ![]() ※昨日の日記にも写真を追加します。 |
2010年08月05日(木) 22:17
7連敗。4位転落。
今日は西村監督退場のオマケ付き。 先週のホークス戦の時点では、3タテすれば首位に立てる、というところにいたのですが、あれよあれよと、嗚呼7連敗。 一気にバファローズにも抜かれ、今季初のBクラス転落です。 戦力的に考えれば、よくこの戦力で3位にいられたものだ、と不思議に思う部分もあるんですけどね。 もう、今日はスコアボードは貼りません。 でも今季は良い夢見させてもらいました。 唐川、小野、荻野貴司が復活して、新外国人ヘイデン・ペンが使えれば、まだまだ巻き返しはあると信じてますが、先発だけでなく、リリーフ陣含め、投手陣の総崩壊にクリーンナップの絶大な不振が重なって、現状は勝てる感じがしないのが正直なところです。 空元気も出ませんが、残り試合全部負けるということもないでしょう・・・ハハハ・・・。 ファイティン・・・。 |
2010年08月04日(水) 21:41
中野の実家に来ている。
母親のパソコンから書いている。 実家での雑感、もろもろ・・・。 今日は娘が部活も塾も休みだったので、従姉妹のいる実家に来ていて、それをピックアップしに寄り、母と弟一家と夕食を取る。 マリーンズは恐ろしいことになってしまったので、見なかったことにする。 この中野の実家は祖父が戦前に買った家で、死んだ父も私もこの家で生まれ育った。 今は弟一家と母が住んでいるが、長男の私が千葉に住んだのは私の家族の事情なので、すすんで相続権を放棄したわけだが、30年近く暮らした家はやはり懐かしい。 今は私の部屋だったところに姪のお姉ちゃんが、弟の部屋だったところを姪の妹の方が使っている。 父母の寝室だった部屋は弟夫婦の寝室になり、母は祖父母の部屋だった部屋に、と一世代づつきれいにずれているわけだ。 母は民生委員をやっているので、生死不明高齢者の話を母とひとしきりする。 民生委員はもちろん、区役所の要請を受けて、担当区域の住民の家を戸別訪問するのだが、事前に区役所から「民生委員の訪問を希望するか?」聞かれるたうえで、Yesと答えた世帯だけを訪問するのだそうで、民生委員の訪問を希望しない、と区役所に返答した家には行かないのだそうだ。 従って何らかの事情があって、他人の来訪を歓迎しない事情を抱えている世帯があるとすれば、区役所からの事前ヒアリングでNoと答えれば、民生委員の立場としては立ち入れない。 今年は10月に国勢調査があって、これも民生委員にとっては大仕事なのだが、これも3回訪問して不在であれば、返信用封筒と調査用紙を投函してくれば良いのだそうで、後は返信してくれるかどうかは、その世帯にゆだねられる。 不法滞在の外国人とかは、当然返信しないし、把握しきれない。 また、生死不明高齢者のことに関しても、国勢調査では、家族の一人ひとりを玄関まで呼び出して、チェックするわけではないので、住んでいる、と回答されたら、実際にはいなくても、住んでいることになってしまう。 今後、結婚しないままで中高齢を迎える人がどんどん増えてくるので、子供の学校を通じた家族同士のコミュニケーションも減ってくるし、「家族」の把握の問題は益々難しくなってくるだろうとのこと。 実家は姪と母がジャイアンツ・ファンで、弟がタイガース・ファンなので、夕食を食べながら、G-T戦がテレビに映っていたのだが、久しぶりにセリーグの試合を見て、やはり、ピッチャーに打順が回るというのは、代打策、継投策にベンチの采配の妙が出るのと、控え選手の活躍チャンスが多く、やっぱりこの方が面白いんじゃないか、と思ったりした。 娘は同い年の従妹と我が家にはないWiiをやっている。 |
2010年08月03日(火) 20:34
今日もこれから菅野よう子演奏団体のミーティング。
多岐に渡るジャンルの菅野曲をどのように効率良く、しかも楽しく練習していくかの打ち合わせ。 バンド、ボーカル、ビッグバンドに比べ、やはりフルオケはいろいろな意味でハードル高い。 踏ん張りどころか。 帰宅は日付が変わるかもしれないので、とりあえず。 |
2010年08月02日(月) 23:10
野球観戦ばかりにかまけているわけではなく、映画とかも見に行ったりしてるわけだが、私の永遠のアイドル藤沢周平原作の作品は、ここでも何度か書いているように全部劇場で見るようにしている。
豊川悦司主演の映画「必死剣鳥刺し」も先日見てきた。 藤沢周平の「隠し剣孤影抄」、「隠し剣秋風抄」は、孤影抄に8つ、秋風抄に9つの「秘剣」が収められている、連作短編である。 各編の登場人物に関連性はなく、北国の小藩、海坂(うなさか)藩七万石の家中が舞台で、藩主の名乗りが右京太夫ということくらいが共通している点だろうか。
既にこの短編集からは「隠し剣鬼の爪」が、山田洋次監督、永瀬正敏主演で映画化され、同じく山田洋次監督で、「盲目剣谺返し」が「武士の一分」というタイトルになって、木村拓哉主演で映画になっている。 山田洋次監督は、藤沢作品映画第1作を「たそがれ清兵衛」で初め、第3作となった「武士の一分」で藤沢作品の映画化は一つの区切りとしたい、と言っていたので、今後はないのだろう。 今回の「必死剣鳥刺し」は平山秀幸監督作品だが、脚本・プロデュースの伊藤秀裕の役割も大きいかもしれない。 映画は概ね台詞などもほとんど原作に忠実に再現されており、その点では好感が持てた。 豊川悦司演じる主人公兼見三左エ門に対して、敵役とも言うべき、津田民部は、原作では主人公兼見三左エ門より年下の三十台半ばで藩の執政入りを果たしているやり手、という設定で、これはこれで、何を考えているかわからない不気味さが際立つ設定で文字では面白いのだが、映像にするとなると、やはり主人公より若い設定では無理がある。 津田民部は岸辺一徳が演じ、好演だったように思う。 ヒロインである三左エ門の義理の姪、里尾(りお)は池脇千鶴が演じていて、過不足ないのだが、どうも私は、三井リハウスガールの8代目池脇千鶴と10代目蒼井優の区別がいま一つはっきりつかないところがあり、どこが池脇千鶴の特徴で、どこが蒼井優の特徴なのか、見極めようとしながら見てしまい、余計なことに気を使った。 重要な帯屋隼人正は吉川晃司がやっていて、よく演じていたと思うが、どうも吉川晃司が時代劇言葉をしゃべると「天地人」の織田信長がしゃべっているような印象から離れられず、他のキャスティングでも良かったのではないか、と思った。 ラストの殺陣は文句なく素晴らしかった。 宣伝文句通り、「映画史に残る」シーンになっていたと思う。 しかし、全体を通じてちょっと物語の展開のテンポが遅く、しんどくなる瞬間が多々あった。 もう少しエピソードを突っ込んで、テンポをアップさせても良かったように思う。 今まで「隠し剣」シリーズの山田洋次作品の2作以外にも、藤沢短編からの映画化は数作あって、原作では24ページというような作品を2時間の映画にした作品もあって、それはそれで、きちんと作品になっていた。 「必死剣鳥刺し」は確かに、余計な話は付け加えていない、という意味では原作忠実なのだが、2時間映画としてのエンターテインメント性としての「間」の問題としては、ちょっともう一工夫欲しかった、という感じもした。 ![]() ![]() ![]() |
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