2011年07月31日(日) 22:31
節電9連休の最終日くらい、明日からの通常勤務に備えて、家でゴロゴロしたいところなのだが、節電休業が決まる前というか、震災より遥か前から、今日は自分の本番であることが決まっていた。
このブログでは、あまり自分の演奏した演奏会については今まで書いてきていないし、書きにくいので避けたい部分もあるだが、今回いろいろな人にお世話になって、演奏会が成立したので、何も触れないというわけにも行かないと思う。 自分の演奏についてブログに書きにくいと言うのは、自慢話になっても反省文になってもつまらんな、と思うので、上手く行っても失敗しても、どうしても避けてしまうのである。 ご来場いただいた関係各位には深く御礼申し上げる。 そして今回はプロコフィエフで打楽器10人必要だったので、エキストラとして参加していただいた、MGMHRKWさん、ひでまろさんにも改めて御礼申し上げたい。 自分で演奏していると、よくわからないので、プロコフィエフ「スキタイ組曲」については演奏の出来不出来に関しての論評を避けたい。 MNTKさんとシンバルでペアを組まさせていただけたのは、いろいろな意味で勉強になって有意義だった。 第1シンバルと第2シンバルは第1楽章の前半で完全な掛け合いになるところがあるわけだが、彼女と同じ表現力を出さねばならない、というのは非常にわかりやすい目標になった。 とにかく大好きな曲なので、スキタイ組曲出来て楽しかった。 ハイドンは新響は25年ぶりの演奏らしい。 少なくとも私が入団してからはハイドンを一度もやっていない。 弦楽器の人数を減らすことになかなか合意形成が得られず、長年必要性が言われながらも、手をつけかねていたハイドンであった。 大曲指向のオケだから、最も不得手とする演目だろうけれど、何人かの音楽を職業とされている方の感想をうかがうと、合格点だったようで何よりである。 チャイコフスキー交響曲第5番は客席で聞かせていただいたので、ある程度客観的な感想が述べられると思うが、いわゆる名曲なのだが、ありきたりの通りいっぺんの演奏にならず、マエストロの要求に答えられた演奏になっていたのではないだろうか。 前回のドヴォルザークの時のような事故もなく、音楽作りが上手く行っていたのではないだろうか。 マエストロ井崎正浩とは4年ぶりの共演だったわけだが、マエストロのリハーサルの組み立て方もだいぶ以前と印象が変わって来ていて、語彙も豊富になって、練習の運びも練れて来ている部分、音楽の目指す位置がより深くなっているのは確かなのだが、一方で若気の至りが失われて少し物足りなくなってしまった部分も感じたところもあって、角が取れ過ぎないと良いのにな、とも思った。 もっと熱気溢れる、という印象だったのだが、非常に「上手く」なっていて、これはどう評価したら良いか、自分の中でも整理つかない面もある。 いずれにしても、新響が今お付き合いいただいている、各マエストロにはない部分というか、練習へのアプローチをさせてもらったのは確かで、井崎先生とはもう少し頻繁に共演したい感じがした。 特に合宿を含む、長いシーズンを付き合っていただくと得られるものが多いのではないかと感じた。 ご来場いただいた皆様まことにありがとうございます。 次回は、高関先生で、シェーンベルクとマーラー5番。 その次は、山下先生で、リムスキー・コルサコフ「スペイン奇想曲」、ボロディン「交響曲第2番」、ムソルグスキー~ラヴェル「展覧会の絵」 です。 その後は飯守先生が2回続きますが、まだオープンにできる情報はありません。 スポンサーサイト
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2011年07月28日(木) 23:51
さて、西武ドーム観戦3連敗にもめげる暇もなく、今日は実家の母と弟一家が八ヶ岳に出かけるというので、実家に滞在することもままならず、9時に追い出される。
その勢いで、10時開館の国立近代美術館へ向かい、念願の「パウル・クレー展 終わらないアトリエ」を見る。 この時間だと北の丸公園の駐車場に待ち無しで停められる。 3時間400円と素晴らしいお値段だ。 パウル・クレー展の所感は、日を改めてしっかりと書きたいと思う。 開催最終週ということで、混雑が心配だったが、平日の午前中なら比較的落ち着いて見られた。 昼飯を食って、午後は何をして時間を潰すか全然考えていなかったのだが、夕方には川崎方面に行っていないといけないので、大手町から霞ヶ関方向へ何となく走らせる。 品川駅前を通ることになることに気がついて、品川プリンスの映画館を覗いてみようと、立ち寄った。 「コクリコ坂から」は2部屋で時間をずらしてやっていたので、丁度これから始まる回に間に合った。 夏休みの平日だから、小さな子供連れが多かったのだけれど、不思議な生き物も、魔法も出てこないこの作品は、小さな子供にとっては、えらく苦痛だったのではないだろうか。 「コクリコ坂」は多分、もう一度見るような気がしているが、これも所感はしっかり書きたいので、日を改める。 といわけで、「パウル・クレー展」「コクリコ坂から」「読売日本交響楽団」という本日は豪華3本立ての日となった。 ミューズ川崎が震災でひどく壊れて、この夏も使えない(というか来年1月に予約を入れていた私のオケも使えなくなってオペラシティに変えたのだが)。 しかしミューザの事務所の企画担当としては、やはり何かやらねばならないだろうということで、この夏の期間、在京の9つのプロオケを川崎市内の既存の別ホールに招いて、「フェスタサマーミューザKAWASAKI2011」という企画を実施している。 その一環で今日は読売日本交響楽団を川崎市立労働会館というところに招いて演奏会が企画されていて、それを聞きに行ってきた。 当初は西武ドーム4連戦全部行ってやるかとも思っていたのだが、先日の読響定期の後、読響打楽器陣の方々から今日の演奏会にはティンパニのエキストラとして、元ミラノ・スカラ座首席ティンパニストのジョナサン・スカリー氏が出る、という話を聞いたので、ジョナサンの実演を一度聞いてみたくて、川崎のホールまで出向いたのだ。 2500円という、恐ろしい話だが自分のオケのチケットより安い値段で、読響が聞けるお得な演奏会でもあった。 読響打楽器陣と一緒にジョナサンと食事をした話をここに書いたのは今年の4月25日のことだが、その数日後4月28日に書いたように、ジョナサン・スカリーの奥さんは、私のマイミクであり、高校ブラスの2個上のトランペット奏者ちゃんだい先輩の妹さんだったわけである。 川崎私立労働会館のホールは、どう見てもフルオケがやるには無理のあるホールで、メインの火の鳥の1919版は、ピアノやチェレスタもあることもあって、下手側は反響板が降ろせず、はみ出ていて、仮の板囲いみたいなもので仕切っていた。 ほぼ無残響で、コンサート専用ホールでプロオケを聞くのがあたり前になっていしまっている耳にはある種新鮮な体験であった。 リスト:ハンガリー狂詩曲第2番 サンサーンス:チェロ協奏曲第1番 ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1919年版) お座敷だけれども、コンマスはデヴィッド・ノーラン、トップサイドに小森谷巧先生、チェロトップにも毛利伯郎先生がいらして、ホルンソロも山岸先生という、読響としては豪華メンバーによる演奏だった。 さて、ジョナサンのティンパニは、何と言ったら良いのか、ちょっと私が今までに聞いたことがないタイプのティンパニであった。 とにかくサウンド重視。 ヘッドをバチンと鳴らすようなアタックは一切出さない。 いかにお釜全体を響かせるかというポリシーが一環している。 カッチェイでさえも、フェルトの大きな玉のマレットを使っていて、アクセント、アタックで、物をしゃべろうということをストイックにまで禁じている演奏だった。 「脱力」ということが重要だと、色々な奏者の方がおっしゃるし、確かにそうなのだろうと思ってはいたけれど、脱力して、最少の動きで最大の音量を出す、という方向性だ。 バチンとは叩かないけれども、音量が小さいわけではない。 しっかり響いている。 ロールのクレッシェンドとか、よくあれしか動かさず少しのストロークで、あんなに大きな音まで持ってこれるなあ、という感じ。 火の鳥のフィナーレとかロールの頭は、自然にアクセント付けたくなる音符だけれども、あくまでやわらかくそして強い。 皮をたたく音ではなく、お釜を響かせるのが大事なんだというのは、もちろん誰もが言うし、わかってはいるけれど、あそこまで徹底して実演する奏者はジョナサン・スカリーが初めてのように思う。 例えば・・・、と言って、他のティンパニストを例にあげることは(頭には名前が浮かぶが)できないけれど、とにかく、ああ、こういうアプローチもありなんだ、という視野を広げさせていただく演奏だったように思う。 終演後、読響社員打楽器陣にはご挨拶ができたのだが、ジョナサンはすぐに帰ってしまったのか、読響社員打楽器陣も「あれ?ジョナサンは?」という感じで見あたらず、残念ながらジョナサンと話をすることは出来なかった。 また秋にも読響のステージに立つ予定があるそうだ。 ISUC先生によれば、ジョナサンはこの後、夏はちょっとイタリアに帰るのだそうで、スカラ座の先輩奏者だった方が病気でそのお見舞いに帰るそうで、あまり嬉しくないイタリア帰りだと言ってた、とのこと。 |
2011年07月24日(日) 23:59
さて、望まざる9連休の2日目は、菅野よう子演奏団体Thanks!Kのフルオケ部門(通称Kオケ)の第10回練習でございました。
今回の練習はいくつか、記念すべきトピックがありますが、第一に管弦ともに過去最多の出席者を記録しました。 ヴァイオリンは9名も集まり、チェロもプルトが出来、木管も充実、そして今日はトランペットパートがいました。 ホルンがハモってました。 素晴らしい。 ヴィオラとコントラバスがいないのが、非常残念でしたが。 それから、ラサ女史、早朝まで頑張ってくれて、天空のエスカフローネ「Story of Escaflowne ~ End Title」の譜面の最初の方が出来ておりました。 感動。 急遽グロッケンシュピールが出動。(急遽出動というか、車には常に積みっぱなしなので、ただ降ろしたというだけですが) 現在練習している、フルオケ曲3曲は、Shiro, Long Tail's がティンパニ、Fly up in the airがシンバル、トライアングル、スネアドラム、タンバリン、シロフォン、大太鼓。 そして、今日出来てきた、エスカフローネのEnd Titleがグロッケンシュピールなので、重なっている楽器が全然なくて、持参するのと準備・撤収は大変なのですが、それはまたそれで面白かったりもします。 今日もノレパンさんが岩手からTubaを担いで日帰りで参戦してくれました。 でも、過去最高人数集まり、新曲もあって、なんか最高でした。 やっとフルオケ感が出てきて、「これは世界で2番目に上手い菅野よう子オケになってきたのでは?」と思われる瞬間もありました。 終了後はKオケの今後の運営方針について打ち合わせ。 諸々課題はあるけれど、みなで知恵を出して、頑張って行きましょう。 とにかくヴィオラとコントラバス、ぜひぜひ集まってください。 ヴィオラ弾いても良いヴァイオリンな方も大歓迎です! それとバンド組のアップライトベース経験者は直ちにアルコの練習に入って下さい。 コントラバスの楽器だけなら、なんとか借りてくることができるかもしれません。 ![]() ![]() ![]() ![]() 8,000円のグロッケンシュピールも大活躍。 こんな曲をやっていますヨ(参考)。 まあ、聴いてみてくださいよ。 興味のある人いませんか? 弦楽器を中心に絶賛大募集中です。 |
2011年07月23日(土) 23:22
節電9連休の初日であるが、久々の読書日記である。 佐藤栄佐久・前福島県知事が書いた「知事抹殺」は政治ゲームそのものにはあまり興味をそそられない私は未読である。 「福島原発の真実」佐藤栄佐久 著 原発問題について考えるときに、この著作は議論の出発点としての知識を得る上で、非常に重要だと思われる。 この本はもちろん3.11震災を受けて、執筆依頼があって書かれたものであるから、プロローグとあとがきだけは、3.11当日、及びその後の福島原発に触れられているけれど、最初に断っておくが、この著作は3.11以後の福島原発の問題について書かれた著書ではない。 福島の原発の「問題」は1988年に佐藤栄佐久氏が福島県知事に就任したときから感じ始め、彼が辞めさせられるまで、ずっと起こり続けていた「問題」であり、そのことを扱っている。 フルネームで書かないと、現職の福島県知事も佐藤知事なので、わかりにくいのだが、佐藤栄佐久氏は、特別「反原発」を旗印に知事選を戦って県知事になった人ではない。 ごく普通の自民党の参議議員としての態度で、原発の問題は捉えていて、県知事には、自民、民主、公明その他、共産党以外の政党のオール与党推薦候補として、知事になった人である。 福島県知事になって、原発を巡る問題に直面するまで、特段原発に強い関心や問題意識があったわけではないことは、この著書にも自身の言葉で書かれている。 まず驚くのは、佐藤栄佐久氏の文章の上手さだ。 ノンフィクションライターとしてよほどの修練を積んでいるのか、よほどの読書家であるか、よほど地頭が良い人なのか。 原発問題に真面目に対峙してしまったために、捏造冤罪としか言いようがない理不尽な訴追を受け、国家権力からパージされたこの人物は、福島県知事としても、個人としても、途方もなく無体な扱いを受けるわけだが、筆致は激情を帯びることは決してなく、淡々と事実を語っていく。 次の章への橋渡しの最後のワンフレーズとか、プロでもなかなかこういう上手い引っ張り方はなかなか出来ないというくらい上手く書けている。 しかし、この著書の真骨頂は、佐藤栄佐久氏の文章の上手さではなく、そこに書かれている事実にある。 内閣府・原子力委員会=経済産業省・資源エネルギー庁=電力会社、という原子力推進の「鉄のトライアングル」(と佐藤栄佐久氏は表現しているが)と、県知事佐藤栄佐久、福島県庁職員、との戦いの日々の記録である。 3.11以後、今起きている問題は、きっかけこそ天災だけれども、起きるべくして起きていることがよくわかる。 原子力発電というものがどういうものなのか、私自身もこの著書を読んで初めてわかった部分がある。 科学的にどういうものか、ではなく、政治的にどういうものか、をである。 帯の「すべての議論はここから始まる」は決して誇張でも宣伝文句でもなく、まさにそうなのだ。 原子力発電の問題について、推進反対に関わらず、何か意見を述べたい人は、まずこの著書は出発点として、必読書と言えるだろう。 繰り返しになるが佐藤栄佐久氏は、「反原発知事」たろうという志があった人ではない。 県知事になってみて、福島の原発を巡る諸問題に向き合ったときに「違和感を覚えた」、と言っている。 そこから全てが始まっている。 普通の感覚の普通の人間が「何かおかしい」と感じる「仕組み」がそこにはあった、ということなのだと思う。 3.11前に、原子力発電の危険性にここまで声高に警鐘を鳴らし続けて行動していた人がいたという事実に、私も特に注意を払わなかった不明を恥じなければならないけれども、メディアも彼を変人扱いしてきたのだし、他ならぬその「メディア」そのものである「アエラ」誌によって、佐藤栄佐久氏は、放逐されるきっかけを作られるのである。 反体制派、市民派のように思われている朝日新聞社でさえも、結局のところ権力の手先にしか過ぎず、権力の邪魔者を排除する時には、喜んで先棒を担ぐのだという事実に暗然たる気持ちになる。 佐藤栄佐久氏の裁判は最高裁ではこれから争われるので、この流れから行くと、おそらく最高裁では一転無罪になるものと思われるが、現在は高裁では有罪判決になっている状態である。 原子力発電というものが、どういう構造(科学的にではなく政治的に)を持っているものなのか、興味のある方は是非読むべき書だ。 佐藤栄佐久氏の文章は、素人とは思えないほど上手いので、苦が無く読めると思うし(内容は苦渋に満ちているが)、わかりやすい。 我々は貴重な有意の人材を放擲するのに、危うく一枚乗せられるところだったのである。 実に恐ろしい。 本書はもちろん原発の恐ろしさも知ることができるが、官僚支配の恐ろしさや、マスコミ・メディアの身勝手さも戦慄させられる恐怖を教えてくれる。 そして私自身も含めた国民意識の身勝手さも教えてくれる。 |
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2011年07月22日(金) 23:57
基本そんなに忙しい職場ではないので、残業もそれほどないのだが。
経済産業省の要請で15%節電を命じられ、今週は埼玉県にある事業所が休み、来週は本社が休んで、今工事中の非常用発電機が8月から動き出す。 で、来週が休みなので、今日が月末最終日になり、予想通りなのだが、色々と立て込んで、久しぶりの深夜残業になった。 非発が動くとおそらく東電から買う電気は30%くらい減らせるはずで、余裕で15%削減はできる予定だ。 発電機は操業をやめていた鹿児島の事業所に置いてあったのを持って来るのだが、周波数を変えなければいけなかったり、なんだかんだで、震災直後から準備を始めたけれども、8月からしか動かない。 それで7月は代わりばんこに休んで、節電するわけだ。 明日から9連休で休日出勤も禁止なのだが、この分の休みは、秋分の日、体育の日、文化の日、勤労感謝の日、天皇誕生日が召し上げられて充当されることになったので、これはこれで結構ツラい。 既に予定が入っている日もあるし、有休を取ることが奨励されているけれど、有休は有休で使えば減るので、むやみやたらとは休めない。 そういうわけで明日から9連休だが、カミさんは休みが取れず、娘も学校の補講に午前中は行く。 適当に好き勝手に遊ぶつもりだが、この機会にやらねばならないことも多い。 ダラダラとすごさないようにしないといけない。 実家には顔を出す予定。 休みの最終日は本番である。 そういう意味でもダラダラ過ごすわけにはいかない。 昼間遊んでくれる人は絶賛募集中である。 |
2011年07月19日(火) 23:59
今日は読響の定期演奏会を聞きにサントリーホールに行って来た。
下野竜也指揮 ヒンデミット:「さまよえるオランダ人」への序曲、 ヒンデミット:管弦楽のための協奏曲を前半に、 メインにブルックナー交響曲第4番というプログラム。 下野さんとは、彼がブザンソンで優勝するさらにずっと前、朝比奈先生のアシスタントになる前の一時期、とあるオケでご一緒させていただき、古くから知遇を得ている。 彼が読響の正指揮者になったことは私にとっても大きな出来事だったわけだが、今まで掛け違って、下野さんが振る読響を聞かせていただくのは今日が初めてだった。 日本初演だというヒンデミットの管弦楽のための協奏曲は実に面白い曲だった。 なぜあまり知られていないのだろう? まだまだ知られていない名曲はあるのだろう。 ヒンデミットはなかなか真価が評価されにくい作曲家だけれども、下野さんは下野竜也プロデュースとして、ヒンデミットの曲を読響でずっと継続的に取り上げてきている。 ブルックナーに関しては、読響はゲルト・アルブレヒト、スクロヴァチェフスキとブルックナーを得意とする指揮者と共演を重ねて来ているわけだが、私はそれらの演奏と聴き比べるほど、読響のブルックナーの演奏をたくさん聴いてきているわけではない。 しかし、単純に今晩のブルックナー4番は実に楽しかった。 ブルックナーの演奏を「楽しい」という一言で片付けてしまうと、必ずしも褒め言葉にならないかもしれないのだが、非常にエンターテイメント性に富んだブルックナーであった。 もっとストイックなアプローチもあり得るとは思うけれども、4番ならではのわかりやすさを、屈託なく楽しませていただいたように思う。 歌謡性に富む部分とかは、美しいメロディをたっぷり楽しませていただいた。 金管のTuttiとかチョー格好良かった。 OKD先生のTimpaniも叩くところは気持ちいいくらい、思い切り叩き込んでいて、キマっていた。 ブルックナーは7番、8番、9番も確かにスゴいけれども、違った意味で4番はやっぱり素敵だなぁ、と改めて思わせていただいた。 終演後はTimpaniの熱演を聞かせていただいたOKD先生にご挨拶、他の打楽器陣はヒンデミットが終わって帰られていたのだが、NMTさんだけはご自分の出番終わった後、ブルックナーを客席で聴いていらしたそうで、終演後も残っていらした。 例によってちょっと行きましょう、と誘われ、クネヒト氏とOKD先生とNMTさんで軽く食事。 またまた興味深いお話をいろいろと伺う。 実演を聞いて、さらにその上で、どういう風にリハーサルが進行してきたか、どこの部分が苦労したか、ステージ上からはここがヤバいと思ったのだけれど、客席ではどう聞こえたか? など、演奏会を聞いて帰るだけでは得られない貴重なお話を毎回聞かせていただいている。 ヒンデミットの管弦楽のための協奏曲の第2楽章の終結部は、Timpani、大太鼓、Tomの掛け合いでメロディのモチーフを作る大Soliで終わるのだが、OKD先生のTimpaniを挟んで、左にISUC先生の大太鼓、右にNMTさんのTomで、これ以上あり得ないという素晴らしいタイミングとバランスで決めていただき、胸がすく思いであった。 |
2011年07月13日(水) 23:18
今日、菅首相は国民向けメッセージで、「脱原発」を明確に宣言した。
日本にとって歴史的な日となった。 そのメッセージ発表の前に、朝日新聞が今朝、社説特集を組んでいて、その冒頭部分は、非常に明解に原発問題の現状と、私たちが今後目指すべき道を、極めて現実的な視点で指し示していると思うので、冒頭部分だが全文を引用する。 原子力発電の持つ根幹的な問題は1980年代から指摘されて来た問題だったわけだが、反原発の運動というものは、「極左」の言う極論扱いで、メディアも全然まじめに取りあげて来なかった責任はあるし、我々国民も原子力発電の問題は、でんこちゃんに言われるままに、特に疑問を持たずに受け入れてきた責任はある。 原子力はやめた方が良いんじゃないか、という話を少なくとも2006年には書いている、当ブログではあるけれども、「原発廃止」という切り口で正面から言及しているわけではなく、里山自然の問題から、木質バイオマスエネルギーや、小水力発電の話をちょこちょことしてきたのであって、「反原発」という旗幟を鮮明にして声高に継続して言ってきたわけではない。 そういう意味では、前世紀から再生可能エネルギーに関する著作は、相当興味を持って渉猟してきた私自身も、再生可能エネルギーにはずっと興味があったけれど、「反原発論者」であったわけではなく、無自覚な国民の一人として責任を等しく感じている。 <朝日新聞社説特集> 大軒由敬(論説主幹) 日本のエネルギー政策を大転換し、原子力発電に頼らない社会を早く実現しなければならない。 いまだに収束が見えない福島第一原発の事故を前に、多くの国民もそう思っている。朝日新聞の世論調査では、段階的廃止への賛成が77%にのぼった。 なにしろ「止めたくても止められない」という原子力の恐ろしさを思い知った。しかも地震の巣・日本列島の上にあり、地震が活動期に入ったといわれるのだ。再び事故を起こしたら、日本社会は立ち行かなくなってしまう。 そこで、「原発ゼロ社会」を将来目標に定めるよう提言したい。その方策については、社説特集をオピニオン面に掲載したので、お読みいただきたい。 脱原発を進めるポイントは、時間軸をもつことである。 これまで電力の3割近くを原発に頼ってきた。ここで一気にゼロとすれば電力不足となり、生活や経済活動が大きな打撃を受けるだろう。過度に無理せず着実に減らしていく方が現実的であり、結局は近道にもなるはずだ。 原発の寿命は40年がひとつの目安とされている。もう新たな原子炉は建設せずに40年で順に止めていくと、2050年にはゼロになる。これでは遅すぎるが、代替電源の開発・導入に力を入れ、節電にも努めれば、ゼロの日をそれだけ早めることができる。 代替電源の希望の星は、風力や太陽光を始めとする自然エネルギーだ。これを増やす方向へエネルギー政策を転換し、電力会社による地域独占体制を抜本的に改めて自由化を進める。それが社説で描いたシナリオである。 これまでは、原発増強を最優先させ、自然エネルギーを陰に陽に抑制してきた。自然エネルギー源は各地に分散していて地域密着の発電になるので、自由化による新規参入が欠かせない。需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ。 ただし、まだまだコストが高い。急激に導入すれば電気料金を押し上げ、暮らしや経済活動の重荷になる。どのていどの値上げなら受け入れ可能か。危険な原発を減らすことと天秤(てんびん)にかけ、国民的な合意をつくりつつ廃炉のテンポを決めていくことが大切だ。 また、それまでには時間がかかるので、当面は天然ガスなどの火力発電を強化せざるをえない。二酸化炭素を出し、地球温暖化の防止にはマイナスに働くが、自然エネルギーの開発と省エネを進めていき、長期的には脱原発と両立させねばならない。それが日本の国際的な責任でもある。 以上の努力を重ねていって、ゼロにできるのはいつか。 技術の発展や世界の経済情勢に左右され見通すのは難しいが、20~30年後がめどになろう。 そこで、たとえば「20年後にゼロ」という目標を思い切って掲げ、全力で取り組んでいって、数年ごとに計画を見直すことにしたらどうだろうか。 現在は、54基ある原発のうち35基がすでに休止しており、8月までにさらに5基が検査で止まる。この状態であっても、私たち一人ひとりの節電努力でこの夏の需要最盛期を乗り切れたなら、かなりの原発はなくても大丈夫であることを証明したことになる。 今後は安全第一で原発を選び、需給から見て必要なものしか稼働させなければ、原発はすぐ大幅に減る。ゼロへの道を歩み出すなら、再稼働へ国民の理解も得やすくなるに違いない。 戦後の原子力研究は「平和利用」を合言葉に出発した。しかし、原発が国策になり、地域独占の電力会社と一体になって動き始めると、反対論を敵視してブレーキが利かなくなった。 多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた。 原発から脱し分散型の電源を選ぶことは、エネルギー政策をお任せ型から参加型へ転換し、分権的な社会をめざすことにつながる。それは、21世紀型の持続可能な社会を築くことにも通じる。 きょうの社説特集は「原発ゼロ社会」へ向けたデッサンにすぎない。必要なのは国民的に議論を深めながら、やれることから早く実行へ移していくことである。 福島の問題がなかったとしても、原子力発電はどうやって処理したら良いか、世界中の誰も本当の意味では良くわかっていない、使用済み核燃料というものを出し続けるシステムだ。 出来ることならやめた方が良いのである。 それとエネルギー源の問題と同じくらい重要な問題として、エネルギー効率の問題というものは、今後真剣に取り組んで行く必要がある。 電気で熱を作るのは、絶対にやめた方が良い。 IHクッキングヒーターとかは、もう禁止した方が良いのである。 夏の冷房は代替の方法がないから仕方ないけれども、冬の暖房に電気を使う生活は避けようと思えば避けられる部分がある。 IHクッキングはものすごい非効率なエネルギーの使い方をしているわけだが、得られる利便性と、エネルギー効率の非効率さ、というものは真剣に考えないといけない。 どうしてもガスコンロではダメなのか? これは冷房か、扇風機かという選択とは次元の違う話だ。 とにかく、電気で熱を作るのは、全く無駄で馬鹿馬鹿しい。 一方で回転エネルギーは電気から得た方が良い。 電気自動車とかはもっともっと研究していかないといけない。 燃焼を回転に変えるのは、これも効率悪いのである。 そういうライフスタイルの見直しをしながら、生活の利便性を損なわずに、総消費電力を下げていく社会というのは実現可能だと思う。 我慢しない節電、というか、節エネルギー、に向けてもっともっと努力の余地があるのだ。 興味のある方は、例えば、「地中熱」というキーワードで検索をかけてみて欲しい。 我々のまだ知らない画期的なライフスタイルが、結構身近な「お値段」で存在しているのだ。 |
2011年07月11日(月) 23:06
昨日の朝のNHK「日曜討論」を見ていたのだが、結局、与党野党全ての政党が、タイミングの問題はあるものの将来的には原子力発電はやめるべき、という論調になっていた。
これはもう、政策転換がなされたと同じことだと思う。 ストレステスト後の再稼動を言う民主党や、与党の一翼を担う責任からか、国民新党の発言の方が慎重で、公明党の斎藤さんなどは、そうとうラジカルに明言していた。 再生可能エネルギーの法案は、斎藤さんは自分が環境大臣の時に手をつけたものだ、と言っている。 自民党の西村さんも「新設はできないでしょう」と言っていた。 新設しないということは、今ある原発が徐々に寿命を迎えたら廃炉にしていくということであるから、自民党も脱原発を宣言したとしか受け取れない。 どうも、明確に日本は、フランス、アメリカ側ではなく、ドイツ、イタリア側についたように見受けられる。 法案の前に、時期を明示しなくても良いから、将来的には原子力から完全に脱却するという国会決議を全会一致でまずしてみたら良いと思う。 |
2011年07月10日(日) 23:44
二期会のオペラを聴きに行くのは初めてかもしれない。
もともと、私はオペラ好きという人間ではない。 外来のオペラハウスの日本公演は、ゲルギエフ/マリーンスキー劇場のショスタコーヴィッチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」しか聞いたことがないかも知れない。 これはショスタコ好きだから行ったのであって、オペラを見に行ったというのとだいぶ風合いが違う。 あとは実際に海外に旅行に行って、パリのバスティーユのオペラ座で「カルメン」を聞いたのと、ウィーン国立歌劇場で「ボエーム」を、ブダペスト国立歌劇場でバルトークの「青ひげ公の城」を聞いたくらいか。 DVDで家で見たりはするけれど、やはり3万円超のチケット代を払ってまで、というところに逡巡してしまう。 ならば日本のプロジェクトならどうかというと、もらったチケットとかを別にすると、自分で能動的にチケット買って行ったのは、新国立劇場で「蝶々夫人」を聞いたことがあるくらいだろうか? オーケストラコンサートに行く頻度に比べて、オペラ観劇の機会は少ないし、興味も少し薄い部分がある。 しかし、プッチーニは別格なのである。 大好きである。 しびれる。 中でも「トゥーランドット」という作品は、図抜けて大好きな作品である。 メロディが素晴らしいし、打楽器が大活躍する。 長さも物語りも丁度良いのである。 豪華で盛り上がる。 オペラ好きではないが、プッチーニ好きであることは否定のしようがない。 ヴェルディも素晴らしい部分がたくさんあるのだが、プッチーニのように、全部が全部好きというわけではない。 その「トゥーランドット」を二期会がやり、しかもピットに入るのがY響だと言う。 これは行きたいなあ、10日のチケットはまだあるなあ、と二期会のサイトを確認しながらいたのだが、最近マイミクにならせていただいた、とりおりんさんが観劇日記を書かれたのに背中を押される形で、一昨日、今日の分のチケットを購入。 A席も残っていたけれど、2階のサイドの後列の方しかなく、1階全部と2階センターはS席だった。 A席は14,000円、S席は18,000円である。 この時期の東京文化会館は上の階は非常に暑いのである。 S席だと1階のど真ん中あたりがまだ空いているので、そこを申し込んでみる。 久々のオペラだし、大好きなトゥーランドットだし、Y響だし、ちょっと張り込んでもいいかなと思った。 上野の東京文化会館は空席が結構目立ち、もったいないなと思った。 4回公演でAキャストBキャストが入れ替わる形での公演だ。 連日は歌えないので、普通どんなオペラ・プロジェクトでもそうする。 カラフ役は昨日は福井敬さんだったのだが、今日は予定されていた方の急遽代役となったルディ・パーク。 韓国出身で、ミラノスカラ座でトゥーランドットのカラフでデビューしたという人物だ。 Y響は最近でこそ、ピットに入る機会は増えてきたけれども、Tフィルさん、T響さんなどと比べると圧倒的にピットに入ることは珍しく、貴重な機会である。 ジェルメッティのテンポ設定は全体的に早めで、グイグイ進む感じ。 ルディ・パークさんのカラフも、新垣有希子さんのリュウも素晴らしかったけれど、合唱が素晴らしく、結構激しく鳴らすオケに全く負けることなく大きな存在感で、オペラ全体の高揚感を作っていたように思う。 さすが二期会、層の厚さを感じた。 ジェルメッティのテンポ設定は早すぎてついていけないと感じた方も多かったようだし、オケ内部でも早すぎるという印象だったようだ。 Y響の打楽器にエキストラで出ている、元ミラノ・スカラ座首席打楽器奏者のジョナサン・スカリーも数日前の公演を聞きに来て、「早すぎる」と言ってたそうだ。 しかし、ボクは確かに早いなとは思ったけれど、勢いがあって盛り上がって良いな、という印象を持って聞いていて、それほどネガティブなイメージは持たなかった。 ピン・パン・ポンの三大臣も非常に難しい役だけれども、ボクは2幕の冒頭の、ピン・パン・ポン三大臣の故郷を懐かしむあたりの音楽がとても好きで、荒川静香さんで一気にブレイクした「誰も寝てはならぬ」とか、リュウのアリアとか聞き所はたくさんあるのだけれど、2幕の頭のピン・パン・ポンの場面は結構好きなのである。 Aキャストの方の3人がどういう感じだったのか聞いていないけれども、今日のBキャストの方の御3人は素晴らしかった。 Y響も大健闘。 素晴らしい演奏を聞かせていただきました。 OKD先生のTimpも、ISUC先生の大太鼓もプッチーニのこの作品では重要過ぎる使われ方をしていて、特に謎を出す場面とか、一音一音の表現力は、これはオーケストラコンサートだけのレパートリーを聞いていただけでは、出会えない音を聞かせていただいた感じだ。 その他打楽器もバンダ含めて素晴らしかった。 鍵盤打楽器群は結構難度の高いこの曲だけれども、この曲のエキゾチシズムのためには欠く事のできないエッセンスで、良い雰囲気だった。 昨日カラフを歌った、福井敬さんは、マイミクおのじの旧友であり、本当は福井さんのカラフの日に聞きに行きたかったのだけれど、スケジュール合わず。 しかし今日出番のない、福井敬さんは終演後、震災の義援金の募金箱を持って、ロビーで大きな声で募金を呼びかけていらした。 お声をかけさせたいただき、おのじの話、岩手の話など、二言ばかり話をさせていただいた。 終演後、OKD先生、ISUC先生にご挨拶し、その流れでY響打楽器パート社員全員と打楽器エキストラの方々の打ち上げに誘われ、ノコノコと顔を出させていただいた。 いつも音楽の話をすることが多いのだけれど、今日は珍しくギャンブルのお話など、意外な一面のお話もたくさんうかがえて、大変面白い会食だった。 美味しかったし、空いてたし、安いお店で堪能させていただきました。 もう一度自力でたどり着こうと思っても、ちょっと見つけられないお店かも知れない。 昼間の観劇も大変堪能し、その後の夕食もそれ以上に堪能し、贅沢な一日を過ごさせていただいた。 |
2011年07月09日(土) 23:18
NHKスペシャル「徹底討論 どうする原発」を見た。
3.11から、4ヶ月近くが経って、やっとこういう番組が編成されたこと自体、原発問題に対する、日本国民やメディアの感度の低さを象徴している気がする。 菅政権の原発問題への態度の迷走ぶりが、危機感をあおり、逆に国民・メディアの危機意識を高めて、このタイミングでの「徹底討論」となった面もあるだろう。 今日は練習があったので、最初からは見られなかったわけだが、大体議論は事前の想像のレベルを大きく逸脱するものではなく、まあそうだろうな、という範囲の議論だったように思う。 「国が指針をしっかり打ち出してくれ」というのを、もう地方自治体も国民も言わない方が良いと思う。 自分が原発を欲するか欲しないか、その点だけ態度を決めれば良い。 地方の首長も、国が国がと言ってないで自分で態度を決めた方が良い。 代替エネルギーのコストをどうやったら下げられるのかというフェーズに早く移りたい気がしているわけだが、政府と電力業界による、「日本は原発がないと成り立ちません」という洗脳は思いの他根深く、3.11を経てもなお、原発はないといけないという呪縛から逃れられない人が多い。 経済産業省、自民党、民主党、電力会社だけでなく、国民の間にも原発不可欠信仰は根強い。 ドイツが脱原発を決めた最大のポイントは番組中でも指摘されていたように、事故による安全神話の崩壊の問題というよりも、むしろ使用済み核燃料の最終処分の問題だ。 どんなに頑丈で安全?な原発を作ってみたところで、安全な使用済み核燃料が出てくるようになるわけではなく、これをどうするのか、という問いに、今日の生放送の番組の時点でもなお、「高速増殖炉が稼動すれば」という話を持ち出す、原発維持派の錯誤感には絶望する。 原子力というエネルギーはリスクとメリットを秤にかけた場合、地震や津波が来なくても、割が合わないシステムだ。 こういう議論はもっともっと必要だし、経済産業省や、電力会社の中にも、自然エネルギー推進派は、冷や飯を食わされているけれども、確実にいるのであって、彼らの背中を後押ししていく必要がある。 ドイツでの議論の積み重ねを見ると、日本の議論は始まったばかりである。 しかし、これが決着し、ゴールイメージが出来る前に、自然エネルギーのプラントはどんどん準備していくべきだ。 電力各社は、自然エネルギー発電事業者からの買い取り枠を、大胆に増やすべきだ。 バイアスのかかっていない、判断の根拠となる数字が欲しい。 原子力はない方が良い、という点では大枠のコンセンサスは取れている気がする。 なくすわけには行かない、と思わされていたけれども、もしかしたらそうでもないかも知れない、というところに差し掛かっている。 他に手段がない、と言われていたから原子力を容認してきただけで、原子力が好きで好きで仕方がなくてどうしてもやりたいという人はいないのではないか。 他に手段があるかも知れない、と、今、言われているわけだ。 考え、議論しよう。 「まずは政府が国策を決めてくれないと」という場所で思考停止している人は、この会の賛同人になろう。 デモとかに参加しなくても、出きることはたくさんある。 |
2011年07月02日(土) 22:29
今日は、S響の練習は本番指揮者のマエストロI崎によるTutti。
実に有意義な練習だった。I崎先生久しぶりだけど、すごく良い。 もっと頻繁にやりたい。 プロコフィエフが終わって練習場飛び出し、大宮から新幹線で仙台まで。 明日、ちょっとした用事を足すために、今日のうちに仙台まで入っておきたかったのだが、今日の仙台のホテルが全く空いていない。 窮して、従妹の家に厄介になることにした。 従妹は実家は宇都宮だったけれど、仙台の大学に進学して、仙台で就職し、仙台で伴侶を見つけた。 従妹と会うのは東京での不祝儀の時ばかりという感じで、仙台の家を訪ねるのは初めてだ。 子供時代は家族同然に遊んでいたが、大人になった従兄弟従姉妹同士などと言うものは大抵そんなものだろう。 本当にこんな深夜に訪ねるのではなく、ゆっくり会いたいわけだが、ホテルが全く空いていないというエクスキューズでもないと、また訪ねる機会はないかもしれず、これはまたこれで良かったかもしれないと思っている。 従妹の実母である宇都宮の叔母の具合があまり良くないのに、見舞いに行っていないことがちょっと気にかかる。 仙台の街も久しぶりだ。 白石蔵王を過ぎたが、長いトンネルが多いので、なかなかアップできない。 |