2011年08月31日(水) 23:37
藤谷 治 氏の「船に乗れ!Ⅰ 合奏と協奏」、「船に乗れ!Ⅱ 独奏」、「船に乗れ!Ⅲ 合奏協奏曲」を読了した。
下のリンクはローマ数字が化けているが、1、2、3巻である。
帯には「青春音楽小説の大傑作」と大きな文字で書いてあり、 解説には「家族がいて、妹がいて、祖父母がいる、フルート専攻の伊藤慧という親友がいて、ヴァイオリン専攻の南枝里子という初恋の相手がいる。その音楽プラス青春のドラマを丸ごと書いていく。これはそういう音楽青春小説である。」 と書いてあるが、ボクは、これはそういう音楽青春小説だとは 全く思わない。 「船に乗れ!」と言ったのは誰か? 音楽青春小説なら、金窪先生の出番は必要ない。 音楽が友人が恋が描かれているけれども、金窪先生の存在は、サトルのチェロの上達の問題や、南枝里子との恋の問題や、伊藤との友情の問題と、同等かそれ以上に重い。 主人公は高校生の津島サトルなのか? そうではあるまい。 著者の藤谷治氏は1963年生まれだから、私の一年下だが、私と同年代の中年になった津島サトルが主人公である。 実際そういう体で語られている。 音楽やスポーツを軸に物語を汲み上げて行くことは、ある意味容易い。 練習、苦難、精進によって「上達」をし、「演奏会」や「試合」で成功するカタルシス、という流れに既に必然的にドラマ性があるからである。 チームでやるものであれば尚更である。 それは「巨人の星」でも「のだめカンタービレ」でも同じことだ。 この「船に乗れ!」では、確かに練習をして、出来ないことが徐々に出来るようになっていくし、オーケストラ合奏の練習、室内楽の練習、チェロのソロ曲、個人レッスン、が書かれているけれども、それらの音楽上の精進と成功を主題として書かれているわけではない。 そういう問題とは一段違うレベルの問題が、この小説では扱われている。 そして、この小説は、まさに私の年代、著者と同じ「1963年生まれと想定される津島サトルと同年代」の人間が読むべき本である。 高校生が書かれているけれども、高校生のために書かれたものではないことは自明で、30代の人間も読むには早すぎるように思う。 40代後半から50代前半の方が是非とも読むべき本だ。 音楽の経験、中でも合奏の経験がある人間の方が、面白く読めるかもしれないし、チェロのポジションや指番号もしばしば出てくるから、チェロの演奏経験のある人は、さらに面白く読めるかもしれないが、それはこの物語の大きなテーマの上では瑣末なことである。 なぜ「船に乗れ!」という題なのかを良く考えた時、この小説は単なる「音楽青春小説」などではない。 もっと深遠な主題を扱っている。 ネタバレにならない形で読書日記を書くのはいつも苦労するけれども、昨年末のiPhone購入以降、通勤電車内での読書量が激減した私が、久しぶりに中断することが出来ずに一気に三巻読み終えた本である。 面白いのか? うーむ。 単に「面白い」とは、そう簡単に答えられないのだが、一気に読まざるを得ないのは確かだ。 繰り返しになるが、人生の折り返し点を迎えた40代後半から50代前半の方が是非とも読むべき小説だと思う。 なかんずく楽器演奏の経験のある人は。 2009年の本屋大賞に入った同書で、話題になったのは単行本刊行時だが、文庫になったのは今年3月であり、私は文庫にならなければ絶対読まないから、ちょっと話題に遅れて読んだような気がしたが、文庫化からは数ヶ月しか経っておらず、それほど遅れてはいなかったと思う。 書けば非常に大きなドラマ性を持つことがわかっていながら、著者がなかなか書く気になれなかった自伝的小説であり、渾身の作品であるのと同時に、今後これ以上の作品が送り出せるかが問われる作品だとも思う。 怒涛の第二巻はまさに「怒涛」だ ![]() スポンサーサイト
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2011年08月28日(日) 23:59
菅野よう子演奏団体Thanks!K3連戦3日目は、オケのTutti練習。
その前に、Thanks!Kの団員募集のチラシの挟み込みをさせてもらうために、みなとみらい21ホールの大ホールで行われる、リトルジャックオーケストラさんにお邪魔。 リトルジャックオーケストラさんは、去年の演奏会にも挟み込みをさせていただいたが、去年はパルテノン多摩。 チケットは抽選制で、当たらないと買えない。 今年も2000人のみなとみらい大ホールで、チケットは早々に完売し札止め状態。 アマチュアオケで、2000人のホールをかるーく満杯に出来るポテンシャルのあるオケ、というか「演目」もあるのだということに、普通のクラシック曲を演奏しているアマチュアオケは気づいても良い。 別に真似はできないのだけれど、アマオケの2000枚のチケットが完売して聞きたくても聞きにいけないお客さんが出る世界もあるのだ、ということを。 集客など苦労しなくても、争ってお客はチケットを買い、ほっといても大ホールは満杯。 団員のチケットノルマなどはないわけだ。 その作業が11:00頃終わって、横浜から世田谷に移動。 第三京浜という道路がこんなに便利な道路だということに今まで気づかなかった。 世田谷で菅野よう子演奏団体Thanks!KのオケのTutti。 指揮者が来る前に当面の運営について、ちょっとマジ話。 だいぶ整理されてきた。 新曲が出来てきたので、挑戦。 「∀ガンダム」より「moon frower」 ブレンパワードより「Departure」 「Departure」は元々、シンセサイザーがメロディをやっているところをオケ楽器に振った意欲作。 ブレンパワードのこのメロディは「Ark」が元で 「Departure」はそのバリエーションなのかもしれないが、「Departure」の方が盛り上がる。 「Departure」のトムトムをどうするか、は思案中。 ![]() 後は、まだ未完の曲が1つ残っているが、当面の目標曲としては揃って来た。 |
2011年08月23日(火) 23:47
藤谷 治 著の「船に乗れ!」Ⅱ独奏、に没頭していて、他の話が書けない。 「船に乗れ!」は2010年の本屋大賞の7位になった作品なので、今頃読んでいるのは遅いのかもしれないが、まさに「怒涛の第二巻」。 ちょっと途中で止められない。 これはこれは、何と言ったら良いか、色々と考えさせられる。 |
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2011年08月20日(土) 22:50
今日、帰って来ました。
デジカメの写真は未整理なので、追々ご紹介するとして、とにかく近年の国内旅行では出色の場所でした。 小雨は降ってましたが、傘をささなければならないような雨でもなく。 ペンションをチェックアウト、ご主人と奥様が道路まで出てきて見送ってくれますが、夏休みの休前日に10部屋あるペンションに我が家1部屋だけで、去るのも名残惜しい感じでした。 ![]() 一昨日訪ね、昨日も訪問して休業だった木曽馬トレッキングセンターに直行。 一昨日外乗を体験したわけですが、今日はレッスンを受けることにしたわけです。 良く話を聞いたら、昨日も午後から天気が回復したので営業したそうです。 そのころ、ロープウェーに乗ってましたが。 馬は面白いですなあ。 木曽馬は背が低いので、乗りやすいですし、腰が安定しているので、上下左右動が少なく、そもそもゆっくり前進することを目的に開発された馬種ですから、初心者に優しいです。 西洋馬の乗馬経験者からすると、おもちゃみたいなものでしょうけれど。 鈍感にできていますから、乗り手の不用意な動きにもほとんど動ぜず。 西洋馬は非常に早く走ったり、高く飛び跳ねたりすることを目的に作られていった品種なので、乗り手の少しの動きを敏感に察知して、過剰に反応してくれる馬でないといけないのだと思いますが。 木曽馬はカカトで、お腹をバッカンバッカン思いっ切り蹴らないと歩き出さないのですが、多少操作を間違えても馬は驚いたりしないので、指導の係りのお姉さんたちも、安心して馬の周りを歩き回っています。 40分のレッスンで、早脚とその場での方向転換、スラロームくらいまでできるようになった形なのですが、レッスンのルーティンが決まっているので、果たして自分の指示で馬が動いているのか、馬が毎回のルーティンを覚えてて、「ハイ、次はこれですね、こっちですね」と勝手に動いている背中に、ただ茫然と乗っかっているだけなのか、恐らく両者の中間くらいなんだと思いますが、筋肉的に40分が限界です。 降りた後も、しばらく乗せてもらった馬たちと戯れました。 「ご自由に馬に近づいて結構ですよ」 と言われましたが、おとなしくしています。 ![]() 今日ボクがお世話になった春月ちゃん。おばあさんです。 ![]() 西洋馬だと面識のない人間が不用意に近づくと危ないと思うのですが、じっとしています。 センターの方によると、もちろん西洋馬に比べると、鈍いし、おっとりしているけれども、調教の最初が肝心で、そこで人間との関係をきちんと確立させないと、ダメなんだそうで。 人間は基本的には優しく、人間とともに生活していれば安全に生きて行かれることを知らせつつも、人間が上位で馬が下位であることは徹底的に叩きこまないといけない。 本気出したら、力では勝てないですから、とのこと。 「人間の命令をきいて、その通りに動くと、安住できるようだ、ということ基本を最初に理解させると、色々新しいことや難度の高いことを教えてもすぐに覚えますが、最初の関係構築に失敗すると、どんな簡単なことでも絶対に言うことは聞きません。木曽馬も性格がおとなしいとは言っても、自然のままに人間が関与せずに大人になってしまった馬は、人間が馴らすことは不可能です。」 「一応、ああやって繋がれてますけど、あんな鎖なんかは彼らは簡単に引きちぎれますし、あの周りの柵だって、簡単に飛び越えられるし、木曽馬なら飛び越えなくても、そのまま走って行けばバリバリと折り倒して破壊して出て行くことは実に容易いことです。逃げたいと思えばいつでも逃げられる状態なのです。 でも、あそこにじっとしている。 それは、自分たちの意思で、ここにじっとしるのであって、言われたことをやり、おとなしくしてた方が、安全に楽に暮らして行けるということを、知っているからなのです。」 馬と人間の関係は実に面白いと思いました。 木曽馬は乗馬初心者にはお薦めです。 鞍が西洋馬と違って、しっかり座れる安定した鞍ですし、駆け足になってもそんなに揺さぶられません。 驚いて過剰な反応をすることがないのも安心です。 教えてくれるのは、若いお姉さん方ばっかりです。 オーナーの方針なのか、たまたまなのか、きれいな女性ばかりですね。 その意味でもお薦めです。 その後ブルーベリー農園、開田ファームでブルーベリー摘み。 ![]() 狙ってた蕎麦屋2件が夏休みの土曜日なのに臨時休業で、ちょっと狙いと違う蕎麦屋でしたが、ここも美味かったです。 ![]() いよいよ、旧開田村、現木曽町開田高原地区ともお別れし、塩尻に向かいました。 木曾福島まで戻ると、やはり木曽の谷は深く暗く、開田高原の明るく拓けた平坦な土地が標高の高い所にあったのだ嘘のようです。 途中、どこかでお茶休憩をしようと走ってましたが、なかなか良いところがなく、結局往路と同じく奈良井宿に寄り、宿場の中の築200年の松尾茶房でお茶。 ![]() ![]() レンタカーで借りたプリウスの燃費は偉大です。 運転もしやすかった。 問題点は、ティンパニが後部座席に乗らないのではないか、という点と、市販カーナビが付かないのではないか、という2点ですが、この2点は私にとって車選びでは致命的な2点です。 帰りのあずさはさすがに指定券が取ってあります。 茅野~八王子まで記憶が全くありませんでした。 「日本の最も美しい村連合」認定の開田高原(旧開田村)をよろしくお願いします。 観光地らしいものが何もなくていいところですよ。 観光バスとかで団体旅行に来たら、本当にやることも行くとこもなくて困る素晴らしい観光地だと思います。 ![]() 開田高原地区にはコンビニがないように思います。 広告の看板は禁止されているように思います。 道路わきに直接見える場所に自動販売機はないように思います。 お店の案内看板とかも、知らない人にはわかりにくいくらい少ないですし、小さいです。 カミさんは電柱がなかったのではないか?と言っていますが、ボクは意識してみてませんでした。 この時期は蕎麦畑の花が実に美しかったです。 ![]() |
2011年08月15日(月) 22:56
この本、とても大事な本です。 日本国民全員が知った方が良いとても重要なことが書いてあります。 必読書です。 しかし、楽しく読めたかというと、実は非常にツラい読み物でもあります。 それは文章が難しいとか、わかりにくいとか、つまらないとか、そういうことでは全くありません。 ここに書かれている現実があまりに絶望的で、暗澹たる気分になるので、ツラい本でした。 飯田哲也氏は、今やご紹介するまでも無い人ですが、再生可能エネルギー問題の第一人者 佐藤栄佐久氏は、3.11以前から東電、国のエネルギー政策に疑義を呈してきた前福島県知事 河野太郎氏は、ご存知自民党衆議院議員 それぞれ、セクションごとの執筆されていて、河野太郎氏の著述部分は、今や著名となった河野太郎氏のブログ「ゴマメの歯ぎしり」に書かれた文章の中から、象徴的な部分を再構成して掲載した形になっていて、書下ろしではありませんので記述の重複や未整理な部分はありますが、日々更新してその日に書いていた文章だからこその逼迫感、現場感があり迫力があります。 ここでは、3.11の地震を受けてのフクシマの問題が主として語られているわけですけれども、役所と政治家の産業界(そしてメディアも)が作り上げている「構造」(「ムラ」と呼んでいますが)、日本の民主主義の未成熟さ、というのは、何もフクシマの問題に限ったことではなく、整備新幹線や八ツ場ダムや長良川河口堰や有明海の干拓事業やその他もう、数え切れないくらいある、 「本当はやめた方が良いのかもしれないけど、今更やめられない」事業に共通する業病です。 何というか、日本という国は、本当に民主主義国家なのだろうか、ということを真剣に考えされらてしまいました。 メディアの責任も重いなあ、と思います。 そして私を含む我々国民も無自覚過ぎますし、未成熟過ぎます。 ますは、事実をしっかり認識して、国民的議論が必要。 政治の場、行政の場が本当の意味で国民の幸福を考えられるようになるためには、今まで使われてきたような意味での「政治改革」「行政改革」では、まったくお話にならないのだなあ、ということを覚悟しないといけないと思います。 エネルギー政策に興味のある人も無い人も、この本は是非、読んでほしいです。 とりあえずは、フクシマの問題なんですけれども、日本の現在、将来の全てのことに敷衍できる事象が語られているように思いました。 |
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2011年08月13日(土) 22:40
やー、これは楽しかったし、スゴかった。
高田馬場栄通りを、鳥やすまで行って左に曲がったところにある、ライブハウス四谷天窓comfort。 ![]() 七葉弦楽四重奏団の2nd Liveである。 1st Liveはあまり意識がはっきりしてないうちに終わってしまっていて、行けなかったのだが、ずはさんやななこさんとは何かとお会いする機会もあったりしての、今日の2nd Liveだったので、わくわくと出かけた。 セットリストは不明ながらも予告映像やら、ずはさんのTweetの写真などで、少しネタバレしてた部分もあったが。 同じくお一人様で行く予定だというユエリさんと待ち合わせるも、私がだいぶ遅刻してしまった。 遅刻したのはランチに遅刻したので、ライブには間に合っている。 会場に行くと長蛇の列で、前から3番目くらいに並んでたえびさん(朝から並んでたのか?)に最後尾はずっと先ですよ、と言われる。 外に並んでいる間は暑かったけれど、ライブハウス内では何とか前から2列目くらいに着席。 後ろにスタンディングの人も多勢いたから、まあまあ良席確保。 えびさんはかぶりつきの席に陣取っていた。 ![]() ずはさんが1stVnでのオープニングで、おお!と思ったけれど。 セットリストは記憶違いがあるかもしれないので、ご指摘いただきたい。 大野雄二:「ルパン三世のテーマ」 カッコ良し 菅野よう子:「プラチナ」 葉加瀬太郎:「情熱大陸」 久石 譲:ハウルの動く城より「人生のメリーゴーランド」 菅野よう子:「剣聖のアクエリオン」 ジミー・ヘンドリックス:「Purple Haze」 ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」より第1楽章 <休憩> ふぅ。 すごい。 アクエリオンの編曲も素晴らしかったが、この作曲者の並び順が素敵過ぎる。 アレンジは原曲をなぞるというよりも、思い切って弦楽四重奏の良さが出るスタイルにアレンジされている。 あ、ドヴォルザークはオリジナルのままだが。 宮川 泰:「宇宙戦艦ヤマト」 久石 譲:もののけ姫より「タタリガミ」 菊池俊輔:「暴れん坊将軍」 これもアレンジが素晴らしかった。シビレた。 テーマ曲ばかりでなく劇中曲も織り交ぜたアレンジ。 菅野よう子:「マクロス・フロンティア・七葉スペシャル・メドレー」 当然、客は全員「キラッ☆」である。 佐藤英敏:「残酷な天使のテーゼ」 ゲスト・ヴォーカル、Keshikoさんを迎えて 菅野よう子:「i do」 ラスト 菅野よう子:「光あれ」 アンコール 菅野よう子:「約束はいらない」(Keshikoさん加わる) 坂本真綾の結婚発表は昨晩遅くのことであり、坂本真綾楽曲を急遽仕込むことは出来ないので、あらかじめ予想されたかのように入っていた、ということだろう。 アクエリオンとか、約束をいらないは、Kオケでもオケアレンジでやれたら良いよね、という話をしていたことがあったけれど、確かに菅野楽曲にはヴォーカル曲に鉄板曲は多く、インストにアレンジしても曲が良いから強い。 弦楽四重奏の醍醐味は、チェロがベースパート、ヴィオラが対旋律や刻み、Vnでメロディーはもり、というのが基本的には地の部分になってしまう中で、「ヴィオラにメロディが回って来た時」の「おお!」という感じが、普通のクラシックのSQでもやっぱりあるわけだけれども、こういう曲のアレンジでも、ヴィオラが美味しいメロディ持って行った箇所にはヤラれる。 技術的な面で上手なのは改めて言うまでもないのだが、例えばアンサンブル・ゲーム・クラシカさんも非常に上手だが、アンサンブル・ゲーム・クラシカさんは、本来人間が演奏することを想定していない電子音楽を弦楽四重奏で弾き切ってしまう快感が醍醐味であり、演奏は痛快なほど、マシーナリーである。 七葉さんの場合は、ヴォーカル曲を織り込んでいることもあるけれども、4人一体となったそれぞれの曲への愛情あふれるフレーズ感、歌心、で引き込まれる感じ。 いわゆるクラシック作曲家の弦カルでは、想定していないような役割分担もあって、弦楽四重奏という演奏形態の限界まで挑戦している、という意味ではやはり七葉さんもすごいのである。 i do と、約束はいらないを歌われたゲストのKeshikoさんの魅力も華を添えていた。 keshikoさんの普段の活動も気になる。 4人がどういうプロフィールの方なのかはオフィシャル・ウェブサイトが出来たので、そちらをご覧いただきたい。 ![]() ずはさんには、わが菅野よう子演奏団体Thanks!Kオケ部門もTuttiに混ざってもらったり、弦分奏を見てもらったりと大変お世話になっている。 お世話になりっぱなしだが、今後もよろしくお願いしたい。 先日のミニライブの映像があるが、今日の曲も一部紹介されているので、雰囲気はわかっていただけれるかと思う。 七葉弦楽四重奏団のライブが終わった後、おすぎさん、ほなみっちさんと高田馬場から野方へ向かい、裏番組で行われていた、菅野よう子演奏団体Thanks!Kの久々のセッションを少し覗く。 「光あれ」をここでもやっていて、1日に2回も全然違う形で「光あれ」を聞くことが出来て楽しかった。 セッションは最後時間が余ってリベンジタイムがあって、「プラチナ」もやったので、「プラチナ」もまた聞けた。 娘の夏休みの宿題の進捗をチェックしなければならないので、打ち上げには出ずに野方から帰るが、高田馬場駅の西武線の改札を出たら、ちょうど打ち上げを終わった七葉弦楽四重奏団のずはさんたちに遭遇。 不思議な日だ。 くれぐれもまたよろしく、とお願いして帰路についた。 |
2011年08月11日(木) 23:59
今日は娘に関係代名詞(Relative pronoun)を教える。
娘は1年の時には英語を得意にしていたのだが、今年2年になって1学期、かなり致命的に悪い成績を取ってきていて、要は完全に授業に着いて行けておらず、チンプンカンシヴなのである。 そのうち何とかなるだろう、と思って授業を過ごしてしまっているわけだ。 中でも関係代名詞が全然わかっておらず、徹底的に面倒を見る。 語学には王道はない。千本ノックである。 とにかく数当たるしかない。 関係代名詞でつっかえるのは急に複雑になるからわかる気がするけれど、関係代名詞はごまかしてやり過ごすことの出来ないものだ。 私はあの男の子が好きです。その男の子は青い服を着ています。 という2つの文章を繋げて一文で言うんだ、という、例文をたくさん英訳させ、動詞が2箇所に出てくるんだ、という文章の構造を叩き込む。 数年前にもここに書いた気がするが、英語教育では「関係代名詞」を教えるのではなく、「リレイティブ・プロナウン」を教える、というように変えた方が良いと思う。 リレーションという言葉はカタカナ英語としても普通に知ってるだろう言葉だし、名詞がnounであることも比較的早い時期に知ると思う。 そこから、Relative pronounまでは、ほんのちょっとである。 わざわざ「関係代名詞」という日本語の用語を覚えるのはナンセンスだ。 英米人に英語を教わっていて、結構知っていると便利なのは文法用語だ。 「そこは現在完了で言った方がしっくりくるよ。」とかアドヴァイスされるわけだが、「現在完了」を英語で何と言うか、我々は学校で習うだろうか? Present perfectである。 そのまんまである。 別に文法専門用語で難しい単語とかそういうことはない。 プレゼントもパーフェクトも普通に知っている言葉である。 最初から、そう教えてくれれば良いのである。 最初から、「えー、今日の授業ではプレゼント・パーフェクトを勉強いたします。」 と、もう「現在完了」などという用語は一生知らずに、Present perfectを習得すれば良いのだ。 現在完了のことをPresent perfect、過去完了はPast perfectと言えば良いのだ、というのを知ったのは大人になってから、英米人に英会話を習い始めて初めて知ったのだ。 文法を習うことと会話を習得することを、対立する二項のように語ることがあったりするのだが、会話を習っていたって、文法の問題は避けては通れないのである。 単語の羅列でも通じる、という次元は確かに最初の入り口としてはあるかもしれないが、より自然な言い回しを教わるとなると、文法の問題は必ず出てくるのだ。 関係代名詞、現在完了、というと、その内容がわかりやすくなるか、というと全くそんなことはないのだ。 全然チンプンカンシヴな言葉ではないか。 関係する代名詞? 現在が完了? 日本語に変えてみたところで、理解助けに全くなっていない言葉なのだからやめた方が良い。 「ここはPresent perfectで言った方が良いの?」って聞けるように教えてやった方が親切だ。 |
2011年08月07日(日) 23:01
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2011年08月06日(土) 23:49
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2011年08月05日(金) 23:59
清水真弓というトロンボーン奏者は現在リンツ・ブルックナー管弦楽団の首席トロンボーン奏者であり、オーストリアでは女性がトロンボーンの首席奏者になったのは彼女が初めてのことである。
日本人を代表するポザウネリンとなっているわけで、高校のブラスバンドのトロンボーンの後輩も聞きに来ていて、「先輩、何でトロンボーンなんか聞きに来てるんですか?」と言われた。 もっともな疑問である。 おこがましい言い方を敢えてしてしまえば、清水真弓はかつてS響の同僚だったのである。 個人ブログも開設されていて、プロフィールも開示されているが、彼女は慶応大学ワグネルオケ出て、ドイツに留学するわけなのだが、ワグネルを出てから留学するまでの間の一時期S響で吹いていた。 私がタイコを叩いているすぐ前の列で吹いていて、私が間違うとパッと振り返られ、遥か後輩だけれども、とても怖かった。 S響に入ってきた時から既に惚れ惚れするほど上手かった。 ドイツに留学して、留学中にカラヤン・アカデミーに入る栄誉を得た。 カラヤン・アカデミーというのは、生徒がベルリン・フィルの演奏会そのものに出演することが出来るという特典がある。 彼女もベルリン・フィルの中に入って何回かの演奏会に出て、現地での定期演奏会にも出ていたが、ベルリン・フィルの来日公演にも帯同して来て、勇姿を映像で見ることが出来た。 その後、ベルリンのいくつかのオケにエキストラとして客演しつつ、ドイツ語圏のオーケストラのオーディションを色々受けていたけれども、リンツ・ブルックナー管弦楽団の首席奏者というポジションを得た。 日本人に限らず、ドイツ語圏でも女性のトロンボーン奏者は結構多いわけだが、ほとんどの方は2番奏者であり、ゲルマンの大男たちの中で首席という地位を得たのは凄いことである。 そういう彼女の久しぶりの凱旋公演でもあったので聞きに行ったのである。 ドイツに渡る前から既にとてつもなく上手かったのだけれど、さらなる高みに到達していることを確認でき、とてもうれしいリサイタルだった。 体格もちょっと良くなっていることもあるけれど、響きに余裕があって、美しくなっている。 変なことを言うようだが、女性としても美しくなっている。 もっとボーイッシュだったのだけれど、妖艶な大人の女性の色気が出ていて、たぶんそれは見た目だけのことではなく、物理的な体格から来る音の変化や、異国で苦労した人間としての経験が、彼女の心身両面の成長となって魅力として出てきている部分はあると思う。 そして現職での実績と経験から来る自信も音の余裕に繋がっているかもしれない。 今回のリサイタルは佼成ウィンドの首席の玉木優さんとのデュオ・リサイタルだった。 お二人とも、リサイタル全体を通して、センプレ・ドルチェッシモな音楽作りであった。 如何に美しくマイルドに聞かせるか、と言うことをコンセプトにしている感じだったし、これ見よがしの激しいスライドワークや、ハイトーンを誇示するような部分は禁欲的に抑えている感じを受けた。 選曲そのものがそういうマイルドな音楽作りを生かす方向性の選曲だった。 それはとても成功していたし、美しい音楽を聞かせていただいたのだが、S響在団時の清水真弓には突き抜ける芯の強い音を出す魅力があって、その彼女がゲルマン男達と張り合って修行して来た成果として、あの音がどこまで進化しているのだろうという面を期待していた部分もあったのである。 トロンボーンという楽器の魅力はハーモニーや色々あるだろうけれど、ソロ楽器としてドルチェの方向の表現力を追求していった場合、楽器の特性としてフレンチホルンやフリューゲルホルンの表現力に太刀打ちするのは難しい面もあるように思う。 しかしトロンボーンという楽器があらゆるソロ楽器に文句なく圧勝出来るのは、その音量であり、大きな音がするということはトロンボーンの他の楽器には絶対真似できない魅力なのは確かだ。 音がデカければ良いということではないが、音の大きさもトロンボーンの魅力だと思う。 清水真弓の引き出しにはそれも絶対入っているはずで、少しはそういう面も見せて欲しかったのだが、その点はちょっと物足りない面もあった。 バリバリ割った音が欲しいとか、そういう単純な次元のことではない。 美しい、しみじみ系の曲ももちろん聞かせて欲しいけれど、何曲かは「どうだ!参ったか!」「ハハア、恐れ入りました」という見栄を切ってくれる演目も欲しかった気はするのである。 トロンボーンという楽器はそれが出来る楽器だ。 単純に音量というよりも、音色と音圧の性質の問題なのだが。 そういう方向の曲と表現を意識的に避けたコンセプトになっていたわけで、今日の演奏に求めても仕方がないことはわかっている。 ボクはトロンボーンは素人だから、個人的な所感に過ぎないのかもしれないのだが、紀尾井ホールから四ツ谷駅まで歩く間にS響首席トロンボーン奏者のSMRさんに上に書いたような感想を話したのだが、 SMRさんも「そうなんだよ。清水はね、渡独前、三輪先生にも『上手いんだけど、ここではもっとバリッと行って欲しいというところで、ちょっと弱いというか線が細いというか、そういうところがある』と言ってたんだけれど、その面はドイツに行けば変わるんじゃないですか、って言ってて、そういう変化も期待してたんだよね」 とSMRさんも言っていた。 ただしSMRさんも、いわゆる世界の一流オケのトロンボーンの音量自体が小さくなって来ているという点は指摘していて、奏者の能力の問題というよりも、オケ中のトロンボーンについても求められている音楽の方向性が変わってきているのは確かだ、という。 ボクはトロンボーンのソロ・リサイタルは聞いたことがないので、比較が出来ないだが、SMRさんによれば、清水の師匠のスローカーや、独奏者としてはトップ奏者と思われるリンドベルイなど、こんなデカイ音で吹いて良いのか!、というくらいデカイ音で吹くのだそうで、そのスローカーの元で修行してきた彼女がそういう方向の力量も身につけていないわけはないのである。 確かに1980年代のカラヤン時代のベルリン・フィルのトロンボーン・セクションとかは、他の楽器何にも聞こえないじゃんかよ!、というような音を出していたのである。 ベルリン・フィルだけではない。いわゆる世界の一流オケのトロンボーン・セクションは「欧」「米」問わず、モノスゴイ音を(出すべきところでは)出していた。 そういう時代ではなくなっている、という潮流もは確かにあるとは思う。 SMRさんは今日の会場には日本のプロのトロンボーン奏者もたくさん来ていたので、彼らの感想も聞いてみたいと言っていた。 アンコールの最後には清水真弓が「トロンボーン界的にはベタで申し訳ありませんが『A Song for Japan』を…」と言いつつ、デュオ+ピアノ伴奏バージョンを吹いた。 ボクは最初にこの映像が出回った時に、元の映像には、日本人女性トロンボーン奏者としては清水と双璧と言っても良い活躍をしている、ミルウォーキー交響楽団首席トロンボーン奏者の神田めぐみさんが登場するので、ああ、清水にもこの曲吹いて欲しかったなあ、と思いながら見ていたので、清水の吹くA Song for Japanを眼前で見られて聞けて、単純に感動してしまった。 まだまだ上手くなると思う。 娘を見守るステージパパ的な視点で応援している部分もあるのだが、今後がますます楽しみだ。 ![]() |
2011年08月04日(木) 23:09
これも先週の節電休み中の話だ。
今年のゴールデンウィークにスイスを旅行し、私自身はスイス訪問自体は3度目なのだが、首都ベルンを訪れるのは今回が初めてで、ベルン訪問の目的はもちろん、その街自身の魅力であったわけだが、何割かはパウル・クレー・センターを訪問することもあった。 私はクレーが好きだという話は、パウル・クレー・センターを訪れた当日に書いている。 ベルンのパウル・クレー・センターはそれなりに作品もあり、パウル・クレー研究の拠点に来られたという意味では満足したのである。 しかし、帰国して諸々の情報により、パウル・クレー・センターの企画でパウル・クレー展が、私がベルンを訪問したときには京都で開催されていたことがわかった。 クレーの展示については過去にも苦い思い出があって、私のただ一度のニューヨーク訪問時に、当然のように勇んでMoMA(ニューヨーク近代美術館)を訪れた。 色々見たい物はあったのだが、第一目的はクレーとカンディンスキーだったのである。 しかし、MoMAを訪れてみると、見事にクレーとカンディンスキーのコーナーだけが閉鎖されていたのである。 文字通り、orzとなった。 「パウル・クレー展 -終わらないアトリエ-」は京都の後、東京の国立近代美術館にも来るという。 どれほどの作品が日本に来ていて、どれほどの作品をベルンで見て来れたのか、確かめずにはおられない。 人気の展覧会なので、土日ではまともに見られないと思い、有休を取ってでも、という意気込みもあったのだが、節電休暇があることになって、会期の終わり間際で心配だったけれども、先週の木曜日28日に行くことにしたのである。 車で中野の実家に行っていたので、朝9時過ぎに中野実家を出て、平日の朝だったから道は込んでいたけれども、甲州街道から新宿通り、半蔵門から北の丸公園へ。 北の丸公園の駐車場は3時間400円という夢のような値段で、平日朝一だと満車にはなっておらず、すっと停められる。 会期の終わりの週だったから、平日といえども油断ならないな、と心配していたのだが、それほどの人手ではなく、やはり朝一に来たのが正解だったようだ。 会社の後輩の子によると、金曜日の夕方に行ったら死ぬかと思うような混雑だったと言ってたので。 おかげさまでパウル・クレーの作品、堪能させていただいた。 ベルンのパウル・クレー・センターから来ているものが9割方だったと思うけれど、個人蔵のものも多く、日本国内の美術館所蔵のものや、MoMA所蔵のものまで集められていて、来日展がなかっら、ベルンのパウル・クレー・センターで全部が見られたかというと、そんなことはなく、この日本での「パウル・クレー展」は非常に良く出来ていたと思う。 クレーの創作過程を、彼が拠点にしたアトリエごとに区切って辿る構成になっていたのだが、非常に良く出来ていたと思う。 ベルンのパウル・クレー・センターにも少なからぬ重要な作品が残っていたことも確認できたし、日本に来ていた作品も見られたし、個人蔵や怨念のMoMAから集められた作品も見ることが出来た。 ![]() ![]() 当然のようにミュージアムショップで散財をする。 クリア・ファイルやら、一筆箋 ![]() iPhoneケース ![]() またカミさんに叱られるTシャツ ![]() もちろん、作品図録も ![]() ![]() クレーが生まれたベルンを旅してわかったことの一つには例えばベルンの街のこんな風景 ![]() の煙突と屋根の様々な矩形が作り出すリズム感というものが、クレーの作品の根源になっているのではないだろうか。 というようなことである。 クレー展を見終わって、国立近代美術館の工芸館となっている、旧近衛師団司令部の外観 ![]() を見る。 映画に良く使われている建物だ。 江戸城本丸も久しぶりに散策した。 天守台 ![]() 天守台から本丸御殿跡を望む ![]() この日はこの後、午後「コクリコ坂から」を見て、夜は読響の演奏会に行くという多忙な一日を過ごすのである。 |