日々の雑学 ●●●
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大船渡に車を届ける
2011年05月15日(日) 23:39
マイミクにしてWオケ2つ先輩のたまさんから、車をらっぱさとうに寄付しても良いという話をいただいて、13日の夜からその車を大船渡のらっぱさとうのもとに届けに行ってきた。

今回の同行者は、Wオケ同期のTp.Kawaken、Perc.なりあき、Vn.IKRの3名。

13日金曜日の夕刻、川崎市某所にて、車を受け取る。
赤いファンカーゴ。
運転席から、たまさんが出て来たのは当たり前として、助手席から出てきたのは、なんとPerc.2個上のハルさんではないか。
「オウ。驚いただろう」と言っている。

驚いた。
ハルさんに会うのは、ものすごい久しぶりである。
Kewakenとは学院ブラスの行事で会ったことがあったようだが、私は本当に久しぶりである。
たまさんとハルさんは、もちろんWオケの私の2つ上の同期だが、かつての厚木在住仲間同士であったので、私が来るというので、ハルさんは何か面白そうだから、ということでついてきたとのこと。

PercOBでもまた集まりましょう、ということで、車を受け取って、我が家までKawaken運転で走る。
某ひろこのシマを荒らし、二子橋を渡って都内へ。

首都高速は金曜夜とは思えない気味の悪いような空き方で、早々に我が家に着く。
車が家に着いた頃、カミさんから、今駅に着いたというメールが入ったので、IKRとKawakenには、ちょっと家にあがってもらっているうちに、カミさん帰宅。

Vn.グリちゃんからの支援物資も含め、3人で積み込み、なりあき宅に向かおうとするところで、私のボーンヘッドから、思わぬ惨事が発生し、被災地入りをする前に、私とKawakenは泥だらけとなる。
既に路傍に出て待機していた、なりあきに電話をして、ちょっといっぺん家に戻ってくれと言い、我が家にあがり直して、諸々始末。

13日の金曜日の良い厄落としになったのではないか、という解釈で、ここから私の運転でなりあき宅前まで。
なりあきを積み込み、幕張のとんでんで夕食。

なんか、ETCが付いているのは認識してたのだが、どうもエンジンをかけると、カードを認証しました、とか言う気がする。
まさか、とは思ったが良く見てみると、たまさんのETCカードが入りっぱなしである。

後日の清算を考えて、現金払いで行こうかと言っていたのだが、ETC割引があることを思い出し、私のETCカードに差し替えてみる。認証したので、湾岸習志野から東関東道へGo。

葛西JCTから首都高中央環状線、首都高川口線、東北道栃木上河内SAまで私の運転。

そこからなりあき運転に交替し、助手席もIKRに替わってもらって、私は後部座席でウトウトしながら行く。

福島県内はたしかに事前に聞いていた通り、結構ジャンプするが、それでも相当復旧してきたようで、驚くほどの悪路ではなかった。
東北道は深夜にも関わらず、非常に交通量が多い。

宮城県内でIKRに運転替わったが、毎日車通勤のIKRはやはり地方の道は走りなれており、早くIKRに任せれば良かったと思う。

トイレ休憩程度であまり休止は取らなかったが、もう少し未明の早い時間に着くかと算段していたのだが、平泉前沢ICを降り、おのじの前沢不動産の駐車場に車を止めたのは、6:30を回っていた。
走りっぱなしで来て良かったと思う。

すぐそばに住むHr.Junもやってきて、近くの定食屋さんで朝食。

早めに大船渡行ってきましょう、とおのじに声をかけられ、おのじの車で大船渡へ。
大船渡までファンカーゴを運転して行くつもりで、次はKawakenの番とか思っていたのだが、大船渡からおのじの車でらっぱさとうも連れて来て、「さとうさんには、ここで渡して運転して帰ってもらいます。」という。
Junも同乗して、6人で行く。

暑いのだか寒いのだかわからないような気候。
大船渡のらっぱさとうの新しい家に到着。
201105140022_R.jpg

元気なさとうの姿を見て安心する。

顔の映った写真は、ちょっと他の場所に掲載する。

われらが恩師Tuba多戸先生からの色紙を贈呈する。
201105140010_R.jpg

この新しい(と言っても築100年の部分もあるそうだが)さとうの店舗兼住宅の状況について、説明受ける。

固定電話回線の開通は半年先になるそう。

オーナーさんは一人暮らしのお年寄りで、緊急避難で首都圏の息子さんに身を寄せているだけで、いずれは帰って来たいということなので、当面の使い勝手は良いが、ここで再建するわけには行かないことなどを聞く。

大船渡市内の金融機関は岩手銀行の大船渡支店はやられてしまったので、地銀として営業しているのは佐藤の店の隣の岩手銀行盛支店だけで、そういう意味でも立地は良いのだが。
201105140023_R.jpg

全く報道はされず、日本は略奪とかなくて素晴らしいということになっているけれども、被災地の治安は実際には相当悪く、津波警報が解除される前に、ATMなどは全部こじ開けられていたそうで、さとうの家の金庫も翌日行ってみたら、バールでこじ開けられており、さとうの家の金庫は土地の権利書とかしか入っていなかったので中身は手付かずで放置されていて、鍵は流されてしまっていて、自分で開けることが出来なかったから、かえって手間が省けて助かった、とのこと。

停電中は、実際性犯罪も多かったようで、仙台市内とかは全く報道されないけれども、大変危険な状態だったらしい。

全ての車のアルミホイールは持って行かれていて、材料として売るらしい。
白昼堂々励んでいる人たちもいて、咎めても「ガレキなのだから、何をしようと勝手だ」と開き直っているらしい。
切れた電線から金属を持って行く集団もいるらしい。
遠野市あたりにダンプを置いて、軽トラ何台も出して沿岸をピストン往復し、盗んで持って帰るという組織的な動きをしているグループもあるとのこと。

仙台国分町の盛り場では、武勇伝を誇らしげに自慢し合っているらしい。

震災当初数日は、現地の人で出来心の人。
数日経てば西日本方面から、はじめからそれ目的で組織的に乗り組んでくる人たち。
一週間ほど経つと外国人グループという感じだったようだ。

全員でファミレスで昼食を食べ(普通にファミレスで食事が出来ます。大船渡では)、さとうはちょっと避難所の仕事へ、残りの人間でさとうの店がもとあった場所に行く。

201105140035_R.jpg

「ガレキが増えているな」とおのじとJun。
一ヶ月前は中まで入れたのだが、積み上げられたガレキでちょっと敷地に踏み込めない状態に。
ガラスの破片が非常に多いので、ちょっと踏む込むのが怖いのだ。

干潮時だったのだが、さとうの家のすぐ裏の海は驚くほど海面が高く、佐藤の家の前の国道45号線は、大船渡駅からちょっと南に行ったところでは、干潮時だったけれど、水が来ていた。
満潮になると、さとうの家の前の45号線も水に浸かるそうで、この場所での再建は難しいのかもしれない。

さとうが当初避難していて、その後は運営の手伝いに行っている大船渡北小学校の避難所を訪問。

さとうを乗せて、陸前高田を経由して、内陸に帰って来たのだが、ちょっと今日は、もう日付も変わるので、陸前高田の話と、前沢での夜の部の話は明日以降に送る。

本当に何もなくなってしまっている陸前高田を見てしまうと、大船渡はガレキといえども物が残っているだけマシな状態なのだが。

すみません。この時点で、まださとうはファンカーゴと対面していません。
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