日々の雑学 ●●●
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西本幸雄という人
2011年11月27日(日) 19:19
名将・西本幸雄氏が亡くなった。
91歳とのことだから、ご長寿であったし、死を惜しむというよりも功績を振り返って感謝を示したい。

昨日、この予定原稿をほとんど書き終えていたのだが、投稿を失念し、汚い私の部屋の写真などを晒してしまい、非常に申し訳ないことであった。

西本幸雄さんは現役時代はオリオンズでプレイした人である。

毎日・大毎・ロッテオリオンズ、千葉ロッテマリーンズのファン・関係者は偉大なOBである西本氏を輩出したことをもっと誇りに思わなければならない。

立教大、学徒動員で召集、中国で終戦を向かえ、八幡製鐵、別府星野組を経て、毎日オリオンズに入団した時に西本幸雄は既に30歳であった。

現役生活は毎日オリオンズでのわずか6年間だが、1950年のルーキーイヤーには、オリオンズのリーグ優勝、日本一に貢献。
また、1951年の西鉄ライオンズ戦で、内野手を総動員して使い果たしてしまったオリオンズは、セカンドを守れる選手がいなくなってしまった。
左投げの西本幸雄が「私がやりましょう」と申し出て、セカンドの守備についた。
守備機会はなく、試合は終了したが、左投げの二塁手は、西本さん含め、3人しか出現していない。

1952年に主将に就任。
1954年にはコーチ兼任に。
1955年限りで現役を引退。
1956~1958年、オリオンズの二軍監督。
1959年に1軍コーチに昇格。
1960には、別当薫の後を継いで、監督に就任し、いきなりリーグ優勝、日本シリーズ進出を果たす。
しかしこの日本シリーズでの采配を巡って、大毎の永田オーナーの怒りを買い、優勝監督をわずか1年でクビにしてしまう。

その後は皆さんご存知のように、阪急ブレーブス、近鉄バファローズの監督として「名将」と呼ばれる。

パリーグの弱小チームを率いて、監督として日本シリーズに8回出場。
一度も日本シリーズを制覇出来なかったことで、「悲運の名将」と呼ばれたりするけれど、ご本人は「悲運」という言い方には否定的で「8度も日本シリーズに出場できたのだから、私は幸せ者だ」と言っていた。

3つのチームを優勝させた監督は、プロ野球史上、西本幸雄と三原脩の2人しかいないのだが、三原は1リーグ時代のジャイアンツと、西鉄ライオンズ、大洋ホエールズであったのに対し、西本は、現役選手時代、コーチ、3チームの監督時代全てパリーグでしか野球に関わっておらず、まさにパリーグの一筋の人であった。

セリーグにあらずんばプロ野球にあらず、という時代であり、同い年の川上哲治が率いるV9ジャイアンツと日本シリーズを戦ってきた。
全パリーグファンが拝跪すべき名将であった。

選手として大きな実績を残したパリーグのプレイヤーというのは、稲尾和久、野村克也、張本勲、落合博光、野茂英雄、イチローとたくさんいるのだが、やはり、西本幸雄を抜きにしてパリーグ史を語ることは出来ない。

なかなか人気の出なかった時代のパリーグを支え続けた恩を忘れてはならない。
オリオンズOBとして、きちんと遇することが出来なかったことも大毎、ロッテオリオンズ、千葉ロッテマリーンズとしても慙愧に耐えない。

プロ野球ニュースの解説者としての長年の功績も記しておかなければならないだろう。

91歳とご長命だったけれど、日本プロ野球界が大きな重鎮を失った思いは大きい。

ご冥福をお祈りする。
お通夜は明日28日、告別式は明後日29日である。

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