日々の雑学 ●●●
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懐かしき日光軌道線電車
2013年04月06日(土) 23:40
岡山市内を走る路面電車、岡山電気軌道で活躍していた3000形電車が明日でサヨナラ運転をして、ふるさとの東武鉄道の日光軌道線が走っていた日光市に里帰りすることになるそうで、日光軌道線100形時代の塗装に戻された。

nikkou_shiden.jpg

これは実に懐かしい。

私の幼少時、日光市には叔父叔母一家が住んでいて、歳の近い従妹もいたので、夏休みなどは毎年日光に行っていた。
春秋やスキーシーズンなど、年に複数回、日光に行っていた年もあったように思う。

国鉄の日光駅前から東武日光駅前を経て、単線ながら120号線の道路上や専用軌道を走っていた。
単線なので、道路との併用軌道も道路の真ん中ではなく、道路の片側に寄って軌道が敷かれていた覚えがある。

日光市内の清滝の近くに、幸せの黄色いハンカチのような社宅があった叔父叔母の家まで、普通はタクシーで行ってしまうことも多かったけれども、この日光市内の軌道線に乗ることもあったように記憶する。

国鉄日光駅~馬返し間の日光軌道線は1968年に廃止されているので、私が小学校に入る前には廃止されており、よく覚えているものだ、と思うのだが、非常に懐かしい記憶が鮮明に残っている。

日光駅から乗ることもあったが、清滝から馬返まで軌道線に乗り、馬返~明智平間にあったケーブルカーに乗り換え、明智平からロープウェーで展望台まで行き、華厳の滝を望むというコースでも利用した記憶がある。

ところどころ専用軌道になるのも楽しい路線だったので、非常に幼かった頃だが、懐かしい電車として思い出されれる。

軌道線が廃止になった後も、東武日光駅手前で軌道線への接続回送用に分岐している部分が残っていたり、荒沢だったか、田母沢だったかを渡る鉄橋が残っていたり、廃止後も軌道線の痕跡があって、そういう記憶も重ねられて、日光軌道線の記憶は補完されているかもしれない。

今考えると、日光ぐらいの街に路面電車が走っていたなど、信じがたい話ではあり、幻のような気もする。
しかし当時の日光は今以上に古河の企業城下町であり、この軌道線も観光客もあてにはしていたものの、開通時の日光電気軌道(株)は日光町と古河電工の合弁会社であり、古河精銅所からの貨物輸送も目的として敷設された軌道であった。

清滝というか、丹勢下の電停の手前かもしれないが、下の地図で清滝駐在所の手前で、120号線から北側に膨らんだ迂回路のような道路がある。
これが、日光軌道線の専用軌道の跡であったように記憶している。
kiyotaki.jpg

岡山から日光市に返還されることはニュースに載っているのだが、日光市側でどこでどういう風に展示することになるのかは、記事ではわからなかった。

日光軌道線の車輌自体は、東向島駅にある東武博物館に200形が展示してあるのだが、日光の地元で展示される意義は、また違ったものになるだろう。

40年以上前に廃止になった路面電車の車輌が岡山で現役で使われ続けていたことも驚きである。
この車輌は、製造が1953年で1968年廃止だから、日光を走っていたのは15年ほどで、岡山を走っていた期間の方が全然長いのである。

どちらの市民に馴染みが深いかと言えば、むしろ岡山市民なのだろうが、里帰りということで、何かの折に日光を再訪することがあったら、間近で見てみたいものである。
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