日々の雑学 ●●●
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新交響楽団第229回演奏会でした
2015年04月20日(月) 00:13
湯浅卓雄先生を指揮にお迎えして、
ショスタコーヴィチ:祝典序曲
橋本國彦:交響曲第2番
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

橋本國彦の交響曲第2番は、1947年、日本国憲法の制定の記念曲として依頼作曲され、初演の場は新憲法発布の祝賀会でのことなので、誰でも聞ける会ではなかったはず、その後放送録音もされたらしい?、Naxosの日本人作品撰集の中の一つとして、湯浅先生の指揮する藝大フィルハーモニアが録音、という経緯はあるものの、本日の演奏が作曲後68年を経て、パブリックな場所・客前で初めて演奏されたことになる。

私は従前からの主張通り、過度な前衛への忌避感というか、音「楽」は聞いて楽しいものでないとならないし、悲劇的なテーマを扱うにしても、心を奪われるメロディや、ハーモニーというものは、何がしか必要なのではなかろうか、と思っている。
内外問わず「保守的作風」と一蹴され、まともに扱う価値のないものと処理されてきた作曲家たちを見出し、愛し、慈しむ傾向は私の中に抜きがたいものとして、あり続ける。

そんな私から見ても、それにしても、橋本の交響曲第2番は、ずいぶんと前時代的な牧歌的な曲ではある。
皇紀2600年奉祝曲として作られた交響曲第1番や、オーケストラ・ニッポニカによって蘇演された「交響的諧謔」などの方がチャレンジしている要素は多々みられ、橋本國彦の管弦楽曲としても、平明で清澄になっている。
湯浅先生の解釈によれば、戦争が終わって藝大の職からも開放され、2年後の1949年には44歳の若さで亡くなっている橋本國彦にすれば、何のしがらみもない、自分の書きたい音楽を素直に吐露した作品なのではないか、と忖度されていた。
あまりに平明な音楽にびっくりするかもしれないのだが、歌曲の人であった橋本國彦の美質は随所に発揮されており、68年間も放置されていて良い曲ではないだろう。

ショスタコーヴィチの交響曲第10番は、かつて小泉和裕先生のタクトで、演奏したことがあるのだが、あの頃は自分も若く、まだモノがわかっていなかったように思う。
この曲の背景を詮索することは、一度脇に置き、表題のない絶対音楽としてみた場合、ショスタコーヴィチの交響曲の中で(5番をも凌駕する)最もバランスの取れ作品なのではないか、と思われる。

「交響曲」というのは、本来、絶対音楽であるべきであろうし、表題なしに、何を表しているか、は、聴衆の感興に委ねられるべきものだと思っている。
ベートーヴェンの「田園」や、ドヴォルザークの「新世界より」、シューマンやメンデルスゾーンの交響曲にも多々あるけれども、作曲家自身が、表題や何らかの「音楽以外の示唆」を与えてしまっている作品は多く、それらが価値が低いというつもりはないけれども、後代の演奏者解釈や聴衆の想像力の余地を狭める効果があるのは確かだろう。
独唱や合唱による歌詞を持つ「交響曲」も違った意味で音楽の「絶対性」が損なわれる部分があるだろう。

文字や言葉など、音楽以外の示唆で、作品世界を補完することは、それはそれで意味があることで、非常に成功する例も多いのだが、「交響曲」とは何ぞや?と原理主義的に突き詰めて行くと、やはり音楽が音楽のみとして絶対的に存在している「絶対音楽」であって欲しい、と思うのである。

また、テーマ性や表題に頼ることなく、音楽のみで作品世界を構築する方が、難易度の高い作業のように思われるし、高貴な作業であるように思われるのだ。

テキストの劇性と深く結びついたワーグナーなどの音楽的深遠性、表題音楽の権化であるリヒャルト・シュトラウスやプッチーニのオペラの劇性を否定するつもりはないし、自分も大好きなのだけれども、音楽はまず「音楽」であるべきだろうし、受け手の感受性によって、如何様にも味わえる作品の価値は、もっと大切にされなければならない、と感じている。

そういう意味での絶対音楽として、20世紀の最も成功した例が、ショスタコーヴィチの交響曲第10番ではなかろうか、という思いを感じながらのシーズンであった。

今後、どれだけ良い音楽と巡り会えるかわからないが、若い頃にはわからなかったものがわかるというのも良いことのように思う。

そして、次回の曲の中のダフニスとクロエ第2組曲という曲は、私が18歳の時に、生まれて初めてオーケストラの中で音を発した曲であり、若い頃にはわからなかったものがどれだけわかるのか、興味深く臨みたい。

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